力の均衡による殺人計画
もう一つのメリットは、
「自分が死んだことになっているのだから、捕まることはない」
ということだ。
しかし、ここで重大な問題があるのだが、それを加味したうえで、これをリスクとして考えるかということであるが、
「死んでしまったことになっている」
ということであれば、国民の権利や自由というものは、まったくないといってもいいだろう。
戸籍では死んだこと、あるいは、失踪中ということになるのだから、身元を証明させるわけにはいかない。
さらには、病気になっても、保険証がないのだから、うっかり病気にもなれない。
部屋を借りる時や、就職や免許の更新。
安全のために、
「顔を変えようとしても、外科手術になるのだから、自分だけでなく、保証人もいる。これは部屋を借りる時にも言えることだろう」
そんなことを考えると、
「20年くらい前までは、時効というものがあった」
殺人でも、
「15年」
そこまで見つからなければ、警察に、その事件で動くことはできないというものだ。
しかし、今はその時効も、凶悪犯ならば、
「時効というものは、撤廃された」
ということになるのである。
今は、
「どんなに頑張っても、自分が犯人である限り、犯人の自分が死ぬまで、事件は有効なのだ。自分が死んでしまうと、そして、それが警察に分かった時点で、被疑者死亡ということで、送検されて、警察は、それで終わりということになるのだ」
死人を裁くわけにもいかない。
それが当たり前のことで、被疑者が死んでしまったら、裁かれる人がいなくなったわけで、裁判になるわけもない。結局は、
「被疑者が死ぬまでに警察の捜査ができなかったということで、警察が非難を受けるくらいであろう。
もちろん、被害者側からすればたまったものではないだろうか、結局どうすることもできないということだ。
この事件も、今は、
「科学捜査」
も進んでいて、
「首がなくとも、特徴のある部分を潰していようとも、DNA鑑定で、ある程度までは、被害者の身元を特定できる」
というものである。
そうなると、時効がないということも一緒に考えると、
「死体損壊トリック」
としては、
「そう簡単にできるトリックではない」
と言えるであろう。
さらに、他の犯罪としては、
「アリバイトリック」
などというのも、なかなか難しいものではないだろうか。
昔。昭和の時代に流行った、
「トラベルミステリー」
のような、時刻表を使ったトリックなども、なかなか難しい。
特に、今は、どこにいても、どの場所でも、その人を特定しようと思えば、地道な捜査さえすれば、できなくもないだろう、
特に、今のように、防犯カメラやWEBカメラなぢ、至るところにあるので、それを確認すれば、特定できなくもないだろう。
さらに、今は、
「あおり運転」
などという問題から、車の中に、
「ドライブレコーダー」
のようなものが、今では標準装備という形になっているのだ。
「どこにいても、底にいるという証拠は残るわけで、逆に、アリバイを申し立ててtも、その場所の防犯カメラに映っていなければ、申し立てをしても、それは有効ではないということだ」
ということを考えると、アリバイトリックというのも、難しくなるだろう、
そういう意味でいけば、同じ理由で、
「密室トリック」
というものも、不可能と言えるのではないだろうか。
そもそも、
「密室殺人」
などというのは、
「あり得ることではない」
ということである。
基本的に、
「密室トリック」
というと、二つのパターンに別れるだろう。
一つは、
「針や糸を使ったりする」
という、
「機械トリック」
であり、
それ以外といえば、
「時間的に無理なアリバイのようなトリックと組み合わせ、小説における、叙述であったり、犯人によって、勘違いさせる計画。あるいは、偶然できた密室などというトリックとして、今のように、複雑化している社会の中で、密室として考えるだけのトリックを演出しようとすると、それだけまわりにカメラなどが設置してあることで、それを理解できるようにするには、難しい」
ということであろう、
ということになると、
「密室殺人も今ではありえない」
ということになる。
他のトリックというにば、今の、
「密室トリック」
と同じような発想で、
「どれか、他のトリックと組み合わせなければ、成立しないような、いわゆる、トリックの進化のようなものがなければいけないのではないだろうか?」
というのも、
「密室トリックが叙述トリックであったり、アリバイトリックとの組み合わせのように、他のトリックも、どれかと組み合さなければいけない」
ということになるだろうか?
死体損壊トリックというものが、従来では、
「犯人と被害者が入れ代わる」
という、
「公式」
が、一般的だと言われるが、そこに、
「一人二役」
を組み合わせることで、死体損壊トリックと思わせることで、事件の真相を、
「闇に隠そう」
というテクニックを使うものがあったりした、
それが、
「捜査、さらには、トリックの進化」
であり、そのことが、時代の流れとともに、
「トリックの進化が、社会の進化であったり、科学力の進化についていけなくなる」
ということで、事件が、曖昧になるか、あるいは、逆に、
「バレやすい」
ということになる。
それは犯罪の抑止につながるかということが、成り立つのかということを考えるのであった。
しかし、犯罪の抑止につながっているかというと、どうなるのだろう?
いろいろな状況によって、トリックを完成させにくくなったからといって、犯罪がなくなるというわけではない、
むしろ増えたかも知れない。
大団円
計画犯罪は減ったかも知れないが、下手をすれば、計画犯罪以外のものが増えてきたのだといってもいい。
昔言われた、
「衝動殺人」
というものは、どうなのだろうか?
通り魔殺人などと呼ばれるものがそうではないだろうか?
これに関していえば、
「愉快犯的なものも少なくはない」
と言える、
そうなると、なぜか増えてくるのが、
「犯罪の連鎖」
である。
模倣犯と呼ばれるものもあるが、なぜか、
「重大事件」
あるいは、
「重大事故」
というものは、なぜか連鎖反応を起こすのであった。
それを思えば、昭和の頃に、
「ホテル火災」
という重大事件があり、その時の犠牲者家族が、翌日、地方から東京に向かっている最終の飛行機が、
「山に突っ込んで、墜落する」
という事故を起こした。
ということもあったのは、今でも覚えている人はたくさんいることだろう、
この二つの事故に、何らかの、被疑者側に、関連性があったというわけではないだろうが、それなのに、事故が連日続いたというのは、
「連鎖反応だ」
といっても無理もないことであろう、
そんな連鎖反応は、他の事件、事故でも結構起こっている。
ただ、今回問題になったのは、
「ビル火災犠牲者の家族を載せた飛行機が、事故を起こした」
作品名:力の均衡による殺人計画 作家名:森本晃次