力の均衡による殺人計画
そんなことを考えていれば、
「私のような、異常性癖を意識している女でも、果たして、本当の愛を掴むことができるのだろうか?」
と考えた時、
「確かに旦那の父親とはいえ、恋愛感情を抱いたが、勘違いではないかと思えるほどの気持ちになったが、すぐに消えたのは、自分が義父との間に、必要以上の壁を作ったからなのかも知れない」
と感じた。
それは、年の差なのか、それとも、苦しみからなのかも、自分でもよく分からなかったが、
「近寄りがたいが、それだけではないものがあるのではないか?」
と思ったが。今隣で行われている
「SMショーを見ていると。義父に対して、近寄りがたいなどという気持ちは、まったく失せてしまう」
と思う程になっていたのだ。
「二人の興奮は、ハンパないと思えてきた」
そして、
「きっと、二人は汗まみれなのだろうな?」
と感じると、
「空気はジトッとした空間の中で、まったく動いていないので、風も来ない」
という雰囲気になっているのではないか?
ということであった。
「自分の中にあって、他人にないものは、たくさんあるが、逆も真なりではないだろうか?」
ということを考えていたが、
「実際に、その二つが平衡感覚を持っている必要があると感じると、それは、異常性癖というものは、人間に感情がある以上、なければいけないものだ」
ということだ。
ということは、
「異常性癖というものは、あるなしの問題ではなく、あるものという前提で考えた方が。理に適っているといってもいいのではないか?」
と感じるようになっていた。
さて、そんな、
「異常性癖」
であるが、
「時として、自分を助けたり、する場合がある」
といえる。
自分が、
「異常性癖である」
と考えると、その分だけ、本当の自分に近づけることになる気がするのだ。
異常性癖というのが、どのようなものなのかというと、自分が少なくとも知っているのは、
「盗聴」
であったり、
「SMなどという、いわゆる、アブノーマルな世界を覗きたくなるという、言葉そのままの遍歴だといってもいいだろう」
「盗聴」
などは、完全に犯罪であるが、SMというものは、犯罪ではない。
むしろ、昔のイギリスなどでは、
「大人の遊び」
と言われるようになり、
その大人の遊びというのは、
「紳士や貴族の高貴な遊びだ」
ということである。
遊びと言われるものを考えると、
「いろいろな道具が出てくるが、それらを駆使して、一つの芸術を作り上げよう」
と考えたりもするだろう。
そこで求めるものの中に、
「美」
というものであるとすれば、そこで感じることのできる言葉として、
「耽美主義」
というものがある。
これは、
「倫理であったり、道徳などに優先し、すべての優先順位には、美というものが中心になっている主義のことである」
と言われるもので、それが、
「異常性癖」
というものに、密接に結び付いているといえるのではないだろうか?
だから、
「隠したい」
であったり、
「表に出せないもの」
であったりするのだろう。
警察も、不倫をしていることが分かってきた。
幸恵の方としても、
「警察なんだから、そのうちに、奥さんが浮気をしていることを、すぐに突き止めることでしょう」
と思っていた。
奥さんが、その話を実際に聞いた、そのニュースソースの出どころは、
「なんと、夫の孝弘であった」
それを刑事さんから聞かされた幸恵はビックリしたが、刑事から、
「若奥さんは、そのことについて、ご存じでしたか?」
と聞かれたので、どう答えていいのか迷ってしまい、まともに答えられなかった。
たぶん、幸恵が狼狽していることを知っているのだろう。刑事はそれ以上、何かをいうわけではなく、若奥さんとしての態度にすぐに戻った。
そのあたりは、
「さすがだ」
ということであろう。
ただ、
「でも、あの人がどうして知っていたのだろうか?」
ということであった。
「もし、あの人が知っていたということを、私が知っていると、あの人は分かっているのだろうか?」
と、感じた。
もっと言えば、
「刑事は、旦那が知っているのだから、奥さんも知っているだろう」
ということなのだろう。
それによって、夫婦仲の良さを探ろうとしているのか、そうだとすれば、家族関係を調べることで、
「家族の中に犯人がいるのではないか?」
ということを考えているのではないかと感じるのだった。
この考えは、
「よくあることなのかも知れない」
捜査についての、一種の、
「マニュアル」
というか、
「テンプレート」
のようなものなのかも知れない。
今までの捜査において、まず、どうして旦那が知っていたのかということであるが、
どうやら、旦那に投書のようなものが来たのだという。
そこからは、指紋のようなものも検出されず、誰が出したのか分からないものだった。
ワープロで打たれていて、筆跡も分からない、今の時代には当たり前のことである。
そういえば、昔の脅迫状などは、筆跡を分からなくするために、よく、新聞の切り抜きを使われていたというが、
「脅迫状をつくるだけで、どれだけの時間が掛かるのか?」
ということを考えれば、
「殺人計画を立てて、実行しようと思うと、昔と今とでは、どれほどの時間的にも手間としてもかかるか?」
ということである。
さらに殺人というと、いろいろなパターンであったり、トリックであったりとあるのだが、今の方が、時間的にはかなり早く、計画に対しての実行までに、時間は相当短縮できるのだが、逆に今は、それ以上に、
「犯行の実行が難しい」
と言えるのだろう。
殺人のトリックとして、いろいろあるが、今の時代では、
「実行が不可能」
であったり、
「難しい」
というものが、結構増えてきた。
戦後くらいに、殺人トリックというもののパターン化がされたが、その中で、
「今では不可能ではないか?」
と言われるものがいくつかあるではないか?
まずは、
「死体損壊トリック」
という種類の、おわゆる、
「顔のない死体のトリック」
であるが、これは、今では、
「ほぼ不可能だ」
といってもいいのではないだろうか。
「顔のない死体のトリック」
と呼ばれるものは、
例えば、首と胴体を切り離し、首を隠すというような、
「首なし死体」
であり、特徴のある部分を抉ったり、傷つけたり、指紋のある手首から先を切り取ったりして、
「被害者の身元を分からなくする」
というものである。
この際に、どのようなメリットがあるのかというと、
「被害者と加害者が入れ代わっていても、分からない」
ということである。
被害者が特定でいないが、
「数人の中からの一人」
というくらいまでは、特定できるというものであれば、
「犯人と被害者になりうる人がいて、喧嘩が絶えない」
という状態であれば、
「基本的に、被害者と犯人が逆だ」
と思わせることが目的だ。
という公式めいたことがあるのだ。
その場合、犯人は、死んでいるのだから、
「いくら指名手配をしても、見つからない」
ということになる、
作品名:力の均衡による殺人計画 作家名:森本晃次