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ゆずは

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 しかし、その緊張も最初のそのときだけのことで、一瞬の緊張を頂点として、次第に溜飲が下がっていったのだろう。
「俺は熱しやすく冷めやすいからな」
 とゆかりの前でいったことがあったが、
「これは、ゆかりだから言えたことなんだよな」
 と、いまさらながらに自分の無頓着さが垣間見えるのだった。
「優柔不断」
 で、
「無頓着」
 この
「最凶の組み合わせ」
 というのは、これほど厄介なことはない、
 何とか、
「最凶の組み合わせ」
 から、
「最強の組み合わせ」
 へと、舵が切られるのを見なければいけなかったのだ。
 しかし、別れというのも、突然だった。
 いや、別れというのは、往々にして、
「最後は突然にやってくるものだ」
 と言ってもいいのかも知れない。
 昔、ドラマで。言葉のラストが、
「突然に」
 というのがあったが、そのドラマも、突然に別れてしまうという話だった。
 今回特にその話が頭の中から離れなかった。
 その話というのは、
「付き合っていたカップルの、女性の方が、不治の病に掛かっていて、最初はやけくそ気味になっているのだったが、次第に落ち着いてくると、好きなことをして残りの人生を歩んでいくという、少しベタな内容だった」
 しかし、こういう物語は、
「ベタであるほどベタがよく売れる」
 という都市伝説のようなものがあったが、実際にそうだった。
 そういうベタな内容でないと、ハッピーエンドにならないということで、
「これが、自分なんだ」
 ということを思い知らせるようなそんな話にしなければ、重たすぎて、誰も見ないだろう。
 しかも、誰も見ないと言っても、
「最初くらいは」
 ということで、最悪ではあったが、皆無に等しいというほどのことはなかったことで、内容を見ているうちに、本当の重たさを思い知るようになると、
「せっかくの最終回の展開が面白いのに」
 と作者はいうが、実際にどうすることもできずに、最後には、視聴率が最低をさらに更新して、
「視聴者は、限りなくゼロに近づいてしまった」
 というのが、本当のところではないだろう。
 結局、
「二人は、別れることになる」
 のだが、二人の気持ちに一点の曇りがなかったことで、お互いに別れるということに賛同したのであって、それは、お互いに、
「別れたくない」
 という思いが、幅広い接点の中で、結びついてしまったのだろう。
 外から見ている限りでは違和感がないだけに、
「若い二人に別れさせる」
 ということは、実に滑稽だということが分かるというものだ。
 そんなことを考えていると、
「二人の感覚は、彼女の死が近づいてくるうちに、さらにピュアになってくる」
 つまり、演出がそのように導いているというわけであるが、そのことを見ている視聴者にどこまで伝わるかである。
「死」
 という、逃れられない運命に立ち向かっている話なので、どんなに取り繕ったとしても、
「彼女が死ぬ」
 ということに変わりはないのだ。
 いくら、
「フィクション」
 だと言っても、運命から逃れられないことで、その思いは、実にシビアで、リアルな感覚になるのだろうか。
 ということであった。

                 ショッキングな事実

 それから少しして、板倉は、夢の中で起こったことが、正夢であることを知るのだが、それが、
「予知夢」
 だったとは、どうしても思えなかった、
 なぜかというと、その話を聴いたのは、その時初めて聞いたわけで、リアルに遭遇したというわけではないからだった。
 何しろ、ゆかりと別れてから、数年が経っていた。
 その間に、誰と付き合ったというわけではないが、最初の一年くらいは、
「めちゃくちゃ、長かった」
 と思ったのだ。
 それは、
「あまりにもその時間が長すぎた」
 ということで、
「彼女を失くした」
 というショックが大きかった。
 誰だって、最初はショックが続くことだろう。
 最初は、
「何がショックだったのか?」
 ということが分からなかったからで、その理由が分かると、
「対応のしようがある」
 というものであった。
 要するに、失恋のショックというのは、最初に、
「どうして自分がショックに陥っているのか?」
 ということが、分かるか分からないかということが大切なのであって、
「そんな当たり前のこと」
 と言えるようなことが分からないのだから、それは、問題が引っ張られるというのも分かるというものだ。
 算数でもそうではないか?
「1+1=2」
 という公式を、最初から受け入れられる人は、それ以降の算数のカリキュラムにおいては、比較的スムーズに入れるのだろうが、最初で、受けれられないとなると、受け入れられるまでの時間、どうしていいのか分からないということで、まったく先に進んでいないのだ。
 受け入れられない人は、理屈で考えるのだろう。
 この公式を真剣に考えると、説明できる理屈があったとしても、算数をまったく知らない人に説明などできるはずがない。
「頭が硬い」
 と言われれば、そうなのだろうが、実際にやってみると、本当に理屈で考えてしまうことで先に進まないのだった。
 算数において、最初の公式を理解できないと、次の公式が分かるわけはない。
 と言って、最初の公式を理解できている人などいるのだろうか?
 ほとんどの人が、
「こういう風になっているだけなんだ」
 というだけのことで、別に理解できているわけではないのだった。
 ここで差がついてしまうと、焦る人もいるだろうが、それよりも、理解できないことの方が頭の中で疑問に感じられることで、いずれは、
「諦めの境地」
 と言えばいいのか、結果としては、
「そんな風になっているだけなんだ」
 と思うのだが、本当にそうなのだろうか?
 と考えるが、
「割り切る」
 という形にしてしまうと、自分の考えている通りに話が進むということになるというものであった。
 だから、小学生の低学年の時は、算数は、いつも0点だったりした子が、急に高学年になると、
「ほとんど満点」
 を取るというような怪現象も起こるのだった。
 先生ですら、当然のことながらビックリするだろう。
 何しろ、一番の劣等生で、どんなに教えても、
「分からない」
 というのだ。
 それは、やはり、教えている方向性が違うのだろう、
 本人は、
「理屈が分からない」
 のである。
 学校の先生は、
「途中までは分かってきているが、どこかからか、分からなくなったのだろう」
 と思っているのだから、そこから先は、
「交わることのない平行線」
 を描くことになるのだ。
 だから、まさか、最初の公式が分かっていないなどとは夢にも思わないので、それを分かっているつもりで話せば、生徒の方も、ちんぷんかんぷんなのは当たり前というものである。
 それと、意味合いは違うかも知れないが、
「最初を理解できるかどうか?」
 というのが、主旨であるとすれば、
「主旨が同じ」
 ということで、算数の発想と似ているのかも知れない。
 しかし、この恋愛に関していうと、その発想は、
「自分一人で悩んでいる」
 ということであった、
 小学生の時は。
「何の役にも立たない」
作品名:ゆずは 作家名:森本晃次