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ゆずは

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 実際に、男子として聞いたことはなかったので、どうやって知るかというと、基本的には、男子は、誰か先輩から聞いたり、友達から聞くという、
「口伝」
 のような形か、同じ口伝でも、
「女の子から教えてもらう」
 ということもありのようで、
「その時の女の子には、恥じらいなんかないさ。あからさまに恥ずかしい言葉を連呼しているのさ」
 というのだ。
「おもしろいか?」
 と聞くと、
「おもしろいというのとはちょっと違うが、恥ずかしいことを平気で口にしているということは、それだけ、大っぴらにいうのだから、余計に恥ずかしいということを悟らせないように喋っているんだろうな」
 ということであった。
「逆も真なり」
 ということになるのだろうか?
 そんなことを考えていると、
「俺たち男は、そんなこと誰から教わるかによって、見方もまったく違ってくるから、本当は、保健体育の授業として、キチンとした形で聞くのが当たり前なんだけどな」
 と言っている人がいたが、まさにその通りだった。
 そもそも、これらの、
「性教育的な話」
 というのは、高校生になってから、生物の授業で勉強することだ。
「だったら、何も高校生になるまで待たなくても、中学生の思春期の段階でやればいい」
 と言えるのではないだろうか?
 実際に、教育界の方で、
「性教育の授業というものを、正式化させればいいのではないか?」
 という意見があるかどうかというのは、正直分からないが、それを、
「性犯罪につながるから、中学生には早い」
 という意見があるとすれば、それこそ、本末転倒である。
 というのも、
「性犯罪は、知らないから、知りたいと思うことで起こる犯罪だということになれば、教えておく方がいいに決まっている」
 と言えるのではないだろうか?
 それを考えると、
「教育委員会という立場から考えると、犯罪を未然に防ぐということから、性教育にっ関しては、中学から進めるべきではないか?」
 という意見であってもいいのではないか?
 と感じるのだった。
「中学生の思春期というと、確かに一歩教育を間違えると、もっと性犯罪が進むかも知れない」
 という考え方もあるだろう。
 しかし、それは、
「自分たちが決めてしまって、実際に性犯罪が増えてしまうと、すべての責任は、教育委員会になってしまう」
 ということである。
 だとすれば、
「このまま何もしなくても自分たちのせいにならないのであれば、このままがいいのだ」
 ということになり、そこで、
「何もしないのが正解」
 という、実に保守的な考え方になり、今の政府と何ら変わりのない、
「ご都合主義になってしまう」
 ということであろう。
 その時の女の子は、その日が初めてだったようだ。
 いわゆる、
「初潮」
 というもので、彼女自身、いずれは自分の身体に生理が訪れるということは分かっていたが、それがまさか今だったとは思わず、しかも、その状態になっていたことを、まったく分からなかったことで、かなりの羞恥の気持ちになっていたようだ。
「恥ずかしい」
 ということを連呼しながら、布団に顔うずめて、絶えず、恥ずかしがっているだけだった。
 しかし、次の日には、まわりが気を遣っているにも関わらず、
「何もなかったか」
 のように、
「おはようございます」
 と言って、学校に登校してきた。
 さすがに一日で生理が終わるわけもなく、少し身体を休めながらの行動は、いつもの彼女を知っているだけに、痛々しく感じるのだった。
 その日は、さすがに学校で待っていても仕方がないということで、
「もう、皆帰ろう」
 と、彼女を連れて校舎に向かって、一人戻ってきた彼女が、そう声をかけたのだ。
 皆。心の中で、
「帰った方がいいよな」
 と思っていたのだろう。
 誰もその言葉に反対を申し立てる人は誰もいなかった。
 当然のごとく、学校から帰ったのだが、
「どうも何か納得のいかないことがあるんだよな?」
 と板倉は感じていたが、その意識として、
「あの臭いが、どうにも忘れられない」
 ということであった。
 そして、今のままでいけば、
「あれが生理の臭いだ」
 ということを思い知らされてしまい、あの臭いを感じたその時は、
「吐き気を催して、どうにもたまらなくなってしまうのではないだろうか?」
 と感じたのだった。
 その臭いを思い出した時、彼女の生理の時に思い出したつもりだったが、ひょっとすると、もっと前のことだったのではないかと思うのだった。
 というのは、彼女の生理を感じてから、数日が経っていたその時、どこからか、風に乗って、
「鉄分を含んだ、酸っぱい臭いを感じた」
 のだった。
 その臭いが、
「生理の時に感じた臭い」
 だったのか、それとも、
「子供の頃に目撃した、あの悲惨な交通事故の意識だったのか?」
 どちらにしても、トラウマとして残っていたのは、どちらにしてもあったことだった。
 その記憶は、はるかに子供の頃の方が遠かったが、生理への意識とは違うところで、
「どちらが遠く感じるか?」
 と言われると、ほとんど変わったという意識がないように感じるのだった。
 その時に感じたのは、
「交通事故の感覚」
 というものは、
「臭い」
 という意識だけではなく、別の意識としての、
「瞼の裏にこびりついている光景」
 と両方があったのではないか。
 そして、それらが単独であっても、小さなトラウマくらいにはなっているといっても過言ではないだろう。
 そう思うと、
「瞼の裏への意識」
 さらには、
「臭いというもののトラウマ」
 しかもそのトラウマが、
「羞恥心から来ている」
 というものであれば、その二つが揃ってこそ、さらなる大きなトラウマを作り出すのではないだろうか?」
 と言えるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「臭いを思い出すと、瞼に裏に光景が」
 そして、
「瞼の裏に光景が浮かんでくると、その時一緒に臭いも経ち籠ってしまう」
 ということで、その意識が、重複して感じ、
「切っても切り離せない」
 という感覚になるのだろうと、感じるのであった。
 それを思うと、
「トラウマというのは、一つだけではないのかも知れない」
 と感じる。
 そのために、
「五感」
 というものがあり、それぞれに、
「覚というものを導くのではないだろうか?」
 と感じるのだった。

                 匂いフェチ

 そんな板倉は、
「臭いのトラウマ」
 として、子供の時の、
「交通事故」
 そして、中学生の時の、
「生理の女の子」
 という意識があったのだ。
 それから、自分が少し変な性癖になったということに、ウスウスながら気づいていたが、なるべく自分の中で否定するようになっていたのだ。
 どうしても忘れられない臭い、それが、
「酸っぱいのだが、鉄分を含んだ、血の臭い」
 という一見、共通性のないものが、自分にとっての正当性というような感覚になってしまったのだ。
 だから、
「臭いが混じって、まったく違うものになった時、そして、その中には、血を思い起こさせる、トラウマのようなものが頭の中にある」
作品名:ゆずは 作家名:森本晃次