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洗脳と洗礼

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「鬱から躁になる時である、一番気が楽そうに思うが、実際は、鬱の状態を引っ張りながら、頭では何でもできると思っているのだから、下手をすると、自殺でも何でもできると思うのである」
 つまり、自殺をしようと思うのであれば、
「今のこの瞬間が一番危ない」
 ということで、鬱から躁状態に変わる時が一番自殺の可能性があるのだというのであった。
 そんな脳の病気の人以外で、
「自殺を何度も繰り返す」
 という人がいる。
 確かに、いろいろなことがあり、
「病んでしまっている」
 という人がそのほとんどなんだろうし、今の世の中、本当であれば、、
「税金を払っているんだから、何とかするべき政府」
 が、まったく役に立たない。
 特に、パンデミックの時には、
「経済を動かさなければいけない」
 ということや、ちょうどオリンピックだったということもあって、一年は、よかったのだが、それ以降は、
「金の亡者」
 と言われている。
「世界オリンピック協会」
 だったか、そういう名前の組織と手を組んで、
「金が儲からないと困る」
 ということで、国民の八割以上がオリンピックに反対しているにも関わらず、事もあろうに、
「パンデミックに打ち勝った」
 などという、とんでもないスローガンで、開催に踏み切ったという政府である。
 打ち勝ったなどというのは、ちゃんちゃらおかしい話であり、そうこう言っている間に、人がバタバタと死んでいき、医療崩壊まで起こしているので、救急車が来たはいいが、
「受け入れ病院がない」
 ということで、
「半日近く救急車の中で、応急手当てを受けている間に、なくなってしまった」
 などという、とんでもない自体が起こっていたのだ。
 要するに、政府は、
「自分たちは何もしないから、自分たちの命は自分たちで守れ」
 と言っているようなものだ。
 そんな状態の国が、何をしてくれるというのか、正直、
「経済を回す」
 といっても、そんなによくなったわけでもない。政府が何かをしたわけでもないし、ただ、自粛が緩和されたというだけのことで、政府の手柄でも何でもない。
 そんな、
「バカ政府」
 は放っておいて、自殺をする人が、絶えないのは、今に始まったことではない。
 実際に病んでいるわけでもなく、普通に生活していて、
「あの人が自殺なんて、まさか」
 という人が結構流行ったことがあった。
 それは、パンデミックになったことで、あまりウワサにはならなかったが、もし、パンデミックでかき消されることさえなければ、社会問題になっていたことだろう。
「列車に飛び込む人」
「自殺の名所から飛び降りる人」
「リスカを繰り返す人」
 リスカを繰り返す人はなかなか死にきれないともいうが、この時期は確実に死んでしまっていた。
 まるで、
「覚悟の決め方がハンパではない」
 という感じであった。
 そんなことを考えていると、
「本当に今の世の中、何が起こっても不思議がない」
 と言われたパンデミックの時代の前哨戦として、
「それにふさわしい時代だった」
 と言えるだろう。
 それを思うと、
「自殺をする人の心境に、いくつかの種類か、パターンがあるのではないか?」
 と考えられるというような話をしている学者もいた。
 しかし、あまりにも、奇抜な発想なので、誰も打て遭わないというのが、その常識だったのだ。
「自殺菌」
 なるものがあるという発想である。
 これは、人の心にそっと忍び寄って、少しでも、
「死にたい」
 と感じた気持ちを、継続させるというものだ。
 というのも、
「本当に死にたいという気持ちは、自殺菌によるものではなく、衝動的なものであっても、心の奥にずっとくすぶっているものであっても、そこは、しょうがないというものであろう」
 という発想で、
「しかし、問題は、目的である自殺してしまうまで、その気持ちが継続し続けるという作用を持っている」
 ということだった。
 つまり、
「自殺菌自体は、市に至らしめる直接的なものを持っているわけではなく、一種の誘発剤というものだ」
 と言えるだろう。
 以前、あるインフルエンザの特効薬として脚光を浴び、今も主流になっている薬の中にあるもので、その副作用に、
「思わず自殺をしたくなる」
 というものがあるということがあった。
「ベランダから飛び降りる」
 という人が多発するということで、社会問題にもなったが、これも、ある意味、
「しょうがない」
 ともいえるかも知れない。
 今では、聴かないので、改良されたのかどうか分からないし、他の薬が出てきたのかは分からないが、実際に今でも使われているということは、ある程度の改良はされているのかも知れない。
 そういうことを考えると、
「この自殺菌というのは、突然変異的なものではなく、元々は何かの副作用ではないのか?」
 ということも考えられる。
 しかし、この
「自殺菌」
 という発想も、本当に実際に証明されたわけではないので何とも言えないが、
「副作用」
 だとすれば、どういうことになるのだろう?
 ちょっと考えれば、恐ろしいということになるのではないだろうか?

                 菌とウイルス

 世の中には、
「菌」
 であったり、
「ウイルス」
 なるものが蔓延っている。
 人間に伝染し、それが発病することで、体調を崩したり、大流行をもたらしたり、さらには、死に至らしめたりするのが、
「菌たウイルスというものである」
 と言われるが、菌の中には、決して悪いものばかりではなく、
「善玉菌」
 と呼ばれるものもある。
 そこから、病気を治す特効薬が生まれたりするわけで、
「人間が菌に犯された」
 というと、悪いことばかりではないともいえるのだ。
 何と言っても、健康な人間であっても、菌やウイルスを一定数保有しているものである。問題は、それが悪玉菌であり、しかも、致死量に達するほど抱え込んでしまうと、死に至るかも知れないということである。
 そういえば、数年前くらいだったか、
「菌を余裕している人間?」
 という話を描いたドラマがあった。
「菌というものを身体に保有し、ずっと山で暮らしてきた人物が、ひょんなことから人間界に出てきて、人間のエゴや嫉妬、さらには、欲というものに翻弄されることで、いろいろな事件、事故が起こる」
 という話で、
「最後には、愛によって、自分がするべきことを見つけていく」
 というような話だった。
 つまり、
「同じ、菌やウイルスと言っても、薬にもなれば、毒にもなる」
 ということである。
 この話は、いろいろな発想が渦巻いているものではあるが、好きな人ができて、その人を守りたいという気持ちが、善玉である菌の本当の気持ちを見つけることができるというもので、
「一番偉い」
 という暗黙の了解のもとで生きている、この
「人間社会」
 というもので、それだけのことを考えて生きている人がどれほどいるというのか。
 考えていないというわけではないと思うが、それよりも目先のことであったり、
「嫉妬や、偏見」
 というのは、ある意味、本能としてしょうがないところもあるだろうが、私利私欲という、
「確信犯的」
作品名:洗脳と洗礼 作家名:森本晃次