小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

洗脳と洗礼

INDEX|5ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 ということになるのだった。
 夢の世界が、どこか、
「無限の世界を創造する」
 というのは、そういう理屈からなのではないだろうか?
 そもそも、相対するものが、この世には一番多いではないか。それが三つになると、
「三すくみ」
 というものになってしまう。
 相対するものとして、
「善と悪」
「昼と夜」
「プラスとマイナス」
 などと、いくらでも発想ができるのだ。
 しかし、その相対するものに、世の中のものがすべて、
「そのどちらかに当て嵌まるか?」
 ということなのかと考えると、そういうことではない。
 よく考えてみると、
「相対するものが複数存在していて、それが無限にあることで、世の中が成り立っているのではないか?」
 と言える。
 それを考えると、相対するものの、無限というのがこの世だと考えれば、
「無限の集合体自体が、相対するものではないか?」
 ともいえるだろう。
 そう考えると、
「夢を見ている時間に見る夢というのは、パターンとして、無限にある」
 というもので、
「その発想は、起きている時に起こる、さまざまな可能性と似ているのではないか?」
 ということが言えるのではないだろうか?
「ロボット開発」
 において、不可能とされる、その問題点として、
「フレーム問題」
 というのがある。
「世の中には、無限の可能性があるが、それをロボットにいかに認識させるか?」
 ということであるが、普通であれば、無理である。そこで、
「パターンをフレームに当てはめるように、少し分割して考えればいいのではないか?」
 と言われるが、それを行うとすると、
「そもそもが、無限であるので、それを割り算で細分化するとしても、普通に割り算で考えたとしても、整数で割ったとすれば、その答えは結局無限にしかならない」
 ということである。
 つまりは、
「無限というものを、何で割っても無限しかならないのであれば、フレーム問題というのは、その段階でできるものではない」
 という考え方だ。
 しかし、夢のように。
「いくら無限にあったとしても、結果としては、二分割されたものからの派生なので、キチンと二つずつを分けていけば、いずれは、最終的な、
「相対する二つの塊にしか出てこない」
 ということであろう。
 そう考えれば、
「解読不可能」
 と言われた、フレーム問題も、
「元々は二つ、しかも、相対する二つの集合体ではないかと考えれば、そこに、細分化という法則が生まれ、その法則を見つけさえすれば、フレーム問題は解決する」
 と言えるのではないだろうか?
 ただ、実際にフレーム問題を、
「こんな簡単に言えるのは、他人事だからだ」
 という人もいるかも知れないが、
「他人事ではなく、客観的に見ている」
 と考えれば、納得できることもあるだろう。
 それを考えると、
「夢がまさか、ロボット工学への解決につながるとは、思ってもみなかった」
 と言えるのではないだろうか?
 そういうことであれば、同じ発想としての、
「タイムマシン」
 という問題も、理屈医叶うのかも知れない。
 タイムパラドックスの考え方として、まずは、四次元という発想が問題なのだ。
 タイムマシンというのは、そもそも目的としては、
「縦横高さという三次元のどこかに、時間軸が広がれば、四次元の世界であり、その時間軸を操れるのが、タイムマシンということである」
 ということになるだろう。
「次の時間には、果てしない無限の可能性が」
 ということであるが、それは、本当に次の瞬間ではなく、
「自分が求めている瞬間に、無限の可能性が広がっている」
 というだけである。
 無限の可能性というのは、あくまでも、
「目指しているところであり、直感の可能性というのは、本当は、相対する二つに凝縮されるのではないか?」
 ということである。
 さて、今度問題になるのは、
「直近の次の瞬間というのは、どういう時間なのか?」
 ということである。
「一秒なのか?」
 というと、もっと細かい時間なのかも知れない。
 この曖昧さが、実際に分かっていないので、
「次の瞬間」
 というものが、本当の時間というものの刻みのさらに広いものであったとすれば、そこに無限という言葉が絡んできても仕方がないことだろう。
 しかし、その瞬間が、まるで、
「限りなくゼロに近いもので、それ以上分割できないものだとすれば、半永久的に進んでいる問題の逆バージョンなのかも知れない」
 ということである。
 だから、
「限りなくゼロに近いものの存在を考える時、
「可能性の、裏表」
 と考えれば、
「タイムパラドックス」
 にしても、
「ロボット工学の問題」
 としても、そこに広がっているキーワードは、
「限りなくゼロに近い」
 という存在になることであろう。
 そんなことを考えていると、
「裏表などの、両極性と呼ばれるものは、この世にはある意味必須かも知れない」
 と言えるだろう、
 そんな中で、
「両極性障害」
 と呼ばれるものがある。
 この両極というのは、
「躁と鬱」
 と呼ばれるものが存在している場合のことをいう。
 よく言われる、
「鬱病」
 というものとは、似たような言葉ではあるが、病気としてはまったく違っているものだということで、
「双極性障害というものは、脳の病気で、薬などの処方による正しい治療を行わないといけない」
 と言われている。
 双極性障害というものには、二つあり、
「?型」
「?型」
 と、それぞれある。
 前者の方は、躁状態がハッキリとしていて、完全な双極性で、後者の場合は、それほど大きな躁状態を伴わないものをいうという。
 後者の方が、症状的には軽いように思えるが、難しいところがあって、
「躁状態が少ないので、ただの鬱病だということで診断されてしまう」
 ということであった。
 実際には鬱病と双極性障害の鬱状態とでは種類が違う、薬も違うものなので、医者が、
「鬱病だ」
 と判断して、薬が効かないということもあるようだった。
 もう一つ言えば、
「躁状態においては、躁状態になると、ハイになって、自分が病気ではないという錯覚を起こしてしまう」
 というのだ。
 だから、医者に通わなかったり、自分で勝手に治ったと思って、薬を飲むのを辞めてしまったりする人もいる。
 どちらにしても、病気の進行を早めてしまい、治療の機会を失わせるということになると、大きな問題となるのであった。
 そんな双極性障害というのは、
「鬱状態と躁状態が交互にくるもので、昔でいう、躁鬱病と呼ばれるものと同じようなものである」
 といってもいい。
 しかし、双極性障害は脳の病気であり、薬の処方がなければ治らないと呼ばれるものである。
 躁状態になってくると、何でもできるような気がしてくるので、一気にやる気が漲ってくるのはいいのだが、眠れない状態が続き、疲れやすく。眠りが浅いという状態になったりするのだった。
 そのため、自分がまわりよりも偉いと思い込み、上から目線で人に当たったり、そんな態度を取ることで、まわりから恨まれるというような、人間関係のトラブルを生みやすい。
 問題は、
作品名:洗脳と洗礼 作家名:森本晃次