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洗脳と洗礼

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「そもそも、国の金。予算というのは、その元になっているのは、何なんだ?」
 ということである。
 国は民間会社と違って、国の予算、さらには、国会議員のような、
「公務員と言われる人の給料」
 に至るまで、その元になっているのは、
「我々国民の義務として、払わされている税金が使われているのだ」
 憲法でいう、
「国民の三大義務の一つにある納税」
 というもので賄われているのだから、その使い道は、本当にちゃんとしてもらわないといけないのだ。
 だから、キチンと、国会や議会が存在し、税金の使い道や、年度における予算を組むのは、国会の一番の仕事といっても、過言ではないだろう。
 それなのに、
「ソーリの一存なのかどうか分からないが、戦争をしている片方の国に、無償援助しているなどというバカげたことをして、どうして、ほとんどの国民は、何も言わないというのだろう?」
 それを考えると、
「この国の国民も、バカが多い」
 と思わないわけにもいかなかったのだ。
 そこまでいうと言いすぎなのかも知れないが。
「国が出す金というのが、元々税金であり、血税と言われるのが、どういうことなのか、誰も考えていないのだろう」
 ということになるのだ。
「血税」
 つまり、
「国民の税金だという意味で、国民が汗水たらした一部の金で、政治家は飯を食っているのである。もう少し、考えて使ってほしい」
 と思いたい。
 今のままだと、
「ソーリが、外国にいい顔したいために、俺たちの金を使っている」
 としか思えない。
 そもそも、自国と関係のない国が戦争をしているのであれば、日本のように、
「専守防衛」
 しかできない国は、真っ先に、
「中立宣言」
 をしなければいけないのだ。
 戦争状態を起こした国は、宣戦布告をしなければならないというのは、その一番の理由は。
「世界各国に、宣戦布告によって、自国は戦闘状態に入った」
 ということを思い知らせ、諸外国に、その立場をハッキリさせるためのものなのだ。
 つまり。
「片方の国に加担するのであれば、敵対する国に対して、自国も敵対する」
 ということを示していることになるので、
「いつ攻撃されても文句は言えない」
 という状態になる。
 下手をすれば、国交断絶で、その国から、大使館も国外退去ということになりかねないのだ。
 しかし、中立ということを宣言すれば、攻撃されることもないが、今度は、どちらの国に対しても、支援もできなければ、何もできない。
 ただ、中立にしておけば、基本的に戦闘に巻き込まれることはないのだ。
 日本という国は、先制攻撃のできない国なのだから、
「中立でなければいけない」
 ということになる。
 だから、
「支援など、ありえないはずなのだ」
 と言えるであろう。
 しかも、さらに、もっとひどいのは、敵対している国に対して、
「経済制裁」
 までしているではないか。
 これは、完全に、敵対しているということを、公然と宣言しているようなものだ。
 いくら、超大国の、
「属国並み」
 といっても、直接攻撃されないだけでもマシというもので、
 ただ、その敵対している、超大国によって、物資がなかなか入ってこないということが影響して、
「未曽有の物価高」
 になっているということであった。
 それを思うと、
「やはり、政府は、いや、今のソーリは、国民のことなどまったく考えていない」
 といってもいいだろう。
 かつて、
「世界的なパンデミック」
 というものが巻き起こり。約3年間ほど、国内は、悲惨なことになったが、最近、やっと落ち着きかけているのだが、そんな中でも、政府は、国民のために、支援を渋っていたという経緯があった。
 そもそも前述のように、
「国家が支援する金というのは、元々が税金で賄っている」
 ということを考えれば、
「金を出さなければいけない」
 ということくらいは当たり前のことである。
 それを分かっている人間がどれだけいるというのだろう?
「そう、金を運営している、政治家にその自覚があるのだろうか?」
 と思うのだ。
 いや、自覚があるのであれば、
「そんな、中立を保って、片方に加担しないのが当たり前の我が国で、あのようなあからさまに支援金を出したり、片方には経済制裁を掛けたりなどということができるはずもない」
 と言えるのだ。
 日本で困った人が山ほどいるのに、それを放っておいての、
「ソーリの、海外にいい顔したい」
 という理屈で、元々税金を払った人間を見殺しにするのだ。
「支援した海外の連中が、税金を納めてきたのか?」
 ということである。
 税金というのは、国民が、何かあった時、あるいは国民生活に必須のものを政府の予算として使うのだから、
「税金は、政府に預けた自分たちが困った時のための金ではないか?」
 ということだ。
 政府が、絶対君主制でもなく、しかも、民主国家であるにも関わらず、個人の立場のために、金が使われてもいいのだろうか?
「政府というのは、あくまでも国民の代表であり、民意に背いてはいけないはずではないか?」
 ということなのだ。
 今の政府は、ソーリの
「私物化」
 になっているようだ。
「支援するはいいが、国民のための金は、ちゃんと返ってくるんだろうな?」
 返ってくるはずなどない。
 それどころか、たった今苦しんでいる国民に使わずに、他の国に使って、皆それでいいと思っているのだろうか? そうであれば、よほど国民は、
「バカなのか?」
 それとも、政府に
「洗脳されているのか?」
 ということにしかならないだろう。
 今のそんな政府は放っておいて、
「今の自分は何を趣味にすればいいか?」
 というのを考えるようになったのは、社会人になってから、数年が経ってからだった。
 大学時代にも、
「何か趣味がほしいな」
 とは思っていたが、ちょうどその頃というと、
「趣味よりも恋愛」
 という意識があり、何かを趣味にするということへの優先順位が低かった。
 そのおかげで、自分の目指すものが分からずに、頭が錯そうしたが、意外と社会人になると、今度は分からなかったものが分かってきて、最初は、
「五月病」
 なるものに、見事に嵌ってしまったが、
「なぜ嵌ったのか?」
 ということを考えていくうちに、その理由が分かってくるようになると、
「社会人になるというのも、悪いことではないな?」
 と考えるようになったのだった。
 どこで分かったのかというと、
「ちょうど社会人になって、5年目くらいのことだったのだ」

                 限りなくゼロに近い存在

 山岸は、大学時代を、後から考えると、
「無為に過ごしてしまった」
 と思うようになっていた。
「とにかく、彼女がほしい」
 というのと、
「彼女を作って、童貞を卒業するのだ」
 ということを考えていたのだ。
 大学二年生の頃までは、
「とにかく、友達をたくさん作ろう」
 と考えるようになった。
「友達をつくれば、その中で自分を好きになってくれる女の子が、必ず含まれているはずだ」
 と、思うようになっていた。
「友達から始めるのが、一番自然だしな」
 とも思っていたので、
作品名:洗脳と洗礼 作家名:森本晃次