洗脳と洗礼
もちろん、脅迫などではなく、
「私、生活が苦しいの」
と言って、
「今の自分が、あまりにもみじめだ」
ということを演出するような話をしていた。
確かに生活は苦しそうだった。病気のせいで仕事ができないということが発覚し、状態的にどうしようもないのだった。
最初は、普通にお願いをしていたのだが、それだけでは済まないのか、次第にエスカレートしてくるのだった。
「惚れた者の弱み」
というべきか、どうしても、言われればお金を出してしまう。
そんなのが、何度も続いてくると、男の方も、実際に貯金を切り崩しているのに、
「たいして悪いことをしている」
という意識もなくなり、どんどん、つぎ込んでし合うのだった。
もちろん、お金を使うことに罪悪感はない。ただ、同じお金を使うにも、
「無駄遣い」
になってしまうと、
「自分は何をしているんだ?」
ということになりかねない。
ただ、そんな風になりかねないのは、
「相手の術中に嵌っている」
というべきなのか、
「まず最初に、相手がこちらのことをその気にさせる」
ということから始まる。
つまり、
「大好きだ。慕っている」
などと言って、相手をその気にさせておいて、次第に、こっちが、その気になってくると、
「いや、好きになったと思ったのは、勘違いだった」
というようなことを少しずつ言っておいて、少しだけ、留飲を冷ましておき、
「だけど、あなただけが頼り」
というような言い方をしてくれば、男というのは、意外とお金を出すものである。
「下手に好きなままにしておくと、ぎこちなくなった時に、お金を出してくれない」
とでも思ったのだろう。
一度同情からでも、お金を出す人は、
「別れるということがないわけなので、一度自分の信念でお金を出したのだとすれば、それ以降お金を出さないことで、相手がどうにかなってしまうと、その後悔をずっと背負っていかなければならない」
ということを考えて、
「援助を打ち切る」
ということができなくなってしまうのだ。
「中途半端な愛情からの同情よりも、最初から同情に訴えておく方が、相手の気持ちをグッと掴むことができる」
というものだ。
しかも、もし、これが愛情だとすると、一度貢いだことで、
「愛情表現だった」
ということであれば、二度目は、
「だったら、結婚しよう」
であったり、
「結婚前提でなかったら、出せない」
ということで、
「愛情と同情」
を切り離そうとするだろう。
だから、最初の施しは、
「愛情だ」
と思っても、二度目からは、違う形での愛のカタチをつくろうとする。
それが、結婚というゴールであるのだが、
「結婚というのは、ゴールではない」
ということを、相手は気づくのだろう。
そうなってしまうと、
「彼女に対する自分の想いは、結婚というものに向かっているのか、それとも、その先を見ているのか?」
ということであった。
しかも、結婚という見えているものの先には、何があるかというのは、
「一度結婚したことのある人間でないと分からない」
ということである。
しかも、
「一度でも結婚したことのある人が皆見えているといえば、それは、間違いである」
と言えるのではないだろうか?
「結婚というのは、人生の墓場だ」
と言われるが、まさにその通りではないだろうか?
だから、今の時代では、結婚ということ自体をしようとしない人も多い。
「社会が悪い」
という感覚もあるだろう。
結婚して、子供を産む感覚には、ほど遠い。
「子供を産んでも、奥さんも働かなければやっていけないという状態で、保育所の空きがない」
という問題。
「しかも、預けた保育所が、ロクでもないところが多い」
という問題から、子供を産むことに抵抗がある。
もっといえば、今の社会問題として、
「少子高齢化」
という問題があり、
昔は4,5人に一人の割合で、若者が老人を支えていたが、今は、2人以下くらいの割合で、支えているという。
さらに、将来的に、
「一人で一人を」
ということになると、
「働いた分の半分を老人のために使う」
ということになるだろう。
「子育て支援」
などと言って。政府が、
「子供もために支援金を出す」
などと言っているが、これだって、税金。
子供のいない人の分まで、子供がいる人のために使われるというのは、実に理不尽だ。
民主主義の考え方である、
「多数決」
ということを考えれば、
「明らかにおかしい」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、
「子供を育てよう」
という人もなかなか増えない。
もっといえば、
「これから生まれてくる子供たちの運命は、今の政府を射ている限り、悲惨なことにしかならない」
というわけだ。
「老人を養うために働く」
ということになり、しかも、今度は、自分が老人になった時は年金制度というのはなくなっており、
「元気な人は死ぬまで働く」
ということになる。
そもそも、政府が人為的ミスによって、皆の大切な年金を消してしまったことで、こんな風になってしまったのだ。
そんな、
「地獄しか見えてこないような世の中で、誰が子育てのリスクと一緒に、子供たちが生きていくうえでの、分かり切ったリスクを伴うという人生を、背負わせることになる」
ということを、保証しなければならないのだろうか?
そんな時代において、
「誰が結婚などするものか?」
ということである。
しかも、今の若者は、
「草食系男子」
などと言われ、セックスというものをすることすら、違和感のようなものがあるだろう。
確かに、
「結婚して、子供を産んで」
ということから、
「子孫繁栄」
などというのは、古臭いというよりも、今では、下手をすると、
「胡散臭い」
とすら言えるかも知れない。
今のように、政府がいうように、子供ができなければ、老人を養うことができない。
というような話であれば、それはあくまでも、
「公共の」
ということになる。
しかし、片方では、一つの家族を見れば、
「何で、苦しい思いをして子育てまでして、金を掛けなければならないんだ?」
ということである。
政府が、そういうのなら、
「子供を育ててやるから、養育費は国が払ってくれ」
であったり、
「養育費を全部タダにしろ」
と言いたいくらいである。
しかし、そんなうまくいくわけもなく、結局、子供をつくる人がいないどころか、結婚する人もいなくなったくらいで、社会構造が、以前と違った形に変化をしていたのだ。
だから、
「恋人ができない」
という人であれば、身体にたまった、
「欲求不満を解消させる」
という意味で、風俗店が流行ってもいいはずなのに、それも、別に売り上げが伸びているわけでもない。
逆に昔と違って、
「嬢になる」
というのも、暗いイメージばかりではないので、実際の風俗嬢は、
「夜職」
といって、昼間は、事務員などの
「昼職」
を行って。夜は風俗で働くという子も増えているのだ。
そんな社会情勢なので、昔でいうところの、
「健全な男女交際」
というのもうまくいかなくなっている。