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洗脳と洗礼

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 と実際に、付き合い始めるようになってから、考えるようになった。
 だが、後から考えると、
「本当に、好きになったという時期もあったのだろうか?」
 ということを考えさせられるのだ。
 確かに、
「好きになった瞬間って、いつだったんだ?」
 と聞かれると、正直に言って、
「いつだったのか?」
 ということが分からない。
 それなのに、何をやっているのかが分かっていないことで、決めたはずの覚悟が揺らいでくるのだ。
「揺らがないのが、覚悟のはずなのに」
 ということを考えると、
「本末転倒なのでは?」
 と感じるようになってくる。
「覚悟というのは、どういう覚悟なのか? 一緒にいるということは、相手が犯した罪であったり、所業は、自分も一緒になってかぶるということなのだろうか? それとも、逃げられないことに対して、彼女がおかしくなった時、自分がサンドバッグになったとした時、甘んじて、自分の心を犠牲にして、相手に言いたい放題言わせるか?」
 ということになるというのだろうか?
 あいりという女が、
「何か怪しいということは、少しは分かっていたような気がした。しかし、下手に詮索したり、相手に何か考えさせるようなことになれば、自分で自分の首を絞めるということになってしまう」
 と考えたからだった。
「俺が、好きになる女性には、こっちから従うようにしないと、相手が何かに気が付くと、俺のことを放って逃げてしまう」
 というような妄想に駆られていたのだった。
 だから、相手に、
「気を遣う」
 ということが一番大切なことで、それを気にしておかないと、悲惨なことになる。
 ということは分かっていることではないだろうか。
 そんなことを考えていると、あいりの怖さが身に染みてきた時期を感じていた。
 というのは、あいりは、
「毎日のようにトラブルを抱えている」
 ということを言っていた。
「ストーカーのような人がいるから、気を付けないと」
 と言っていたのだ。
「俺が、気を付けてやろう」
 と言って、
「彼女の様子を遠くから見ているようにしよう」
 というと、
「警察に相談しているから、下手をすれば、あなたが警察から職質を受けることになるかも知れない」
 ということと、
「あなたの存在が相手に分かると何をするか分からない」
 ということを言っていた。
「なるほど、その通りだ」
 と言って、自分は、表に出ないようにした。・
 また、
「会社の方で、会議中に話をしたことで、もめごとになって、自分だけが、悪者になってしまった」
 ということをいうのだった。
 会社のことであれば、こちらが入り込めるわけでもないし、信憑性に関しては、
「彼女の言っていることを信じるしかない」
 ということになるのである。
 そんな話が毎日のようにあり、絶えず、山岸に相談として聞いてもらっていたのだ。
 しかも、彼女には、何人もの相談相手がいて、
「俺だけじゃないのか?」
 という思いを抱くのだが、それでも、
「病気なんだからしょうがないか」
 ということになる。その病気も、大きなものとしては、
「双極性障害」
 だというのだ。
 この病気は、脳の病気であり、
「病院で処方された薬でしか効果がない」
 と言われているものだった。
 確かに病院で処方された薬というのは、結構な効き目がある。
「鬱病とは、薬の種類も違うから」
 ということを言われている。
「まぁ、トラブルが多いのも、病気だから、しょうがないんだよ」
 と言っている。
 確かに、
「病気だから仕方がない」
 と言われれば、それまでであって、それ以上のことを何も言えなくなってしまう。
「だけど、本当にそうなのだろうか? 病気と言えば何でも済まされるという、当たり前のことに対して、不思議に思わない方が、おかしいのではないだろうか?」
 ということであった。
 確かに、薬の効果があるから、双極性障害の人は、治療を受けられるのだろう。本当に大変な病気だということなのだろう。
 結局、
「俺というのは、都合のいい男であり、利用されているのではないか?」
 と思い始めると、その発想がどんどん深まっていき、しかも、その発想が次第に辻褄が遭ってきて、結果として、一つの仮説が生まれてくるのだった。
 その仮説は、結局、最初に
「考えていた内容であり、その内容が、自分の中で、一周回ったという感じになっているのではないか?」
 と思うのであった。
 結果としては、同じところに結びついてきたが、実際には、その思いは、一つのところで止まっているわけではない。いくつか、
「無限の可能性」
 のようなものがあり、その中のどれかが、
「結果として同じものを生んだ」
 ということになるのだろう。
 つまりは、実に偶然が重なったといってもいい。
 無限の可能性の中から、まったく同じ結果が出るというのは、結果が出たことが偶然ではなく、無数の可能性の中から選択された、そのプロセスが、偶然だと思うと、
「結果が偶然だ」
 と思うよりも、はるかに低い確率の、下手をすれば、
「限りなくゼロに近い」
 というくらいの確率だったのかも知れない。
 ということは、
「自分が、彼女と出会ったという確率よりも、さらに、この結果を生んでいるということは、さらに、その結果が出る確率は、非常に高い」
 ということになるだろう。
 そう考えると、
「そもそも知り合ったことを、ただの偶然と言ってもいいのだろうか?」
 ともいえる。
 出会いに、必然性も、当たり前だという思いというのもあったのかどうなのか?
 そういうことを考えると、
「出会うべくして出会った」
 というのは、不思議なことではなく、しかも、本当は、
「出会うべきではなかった相手と出会ったのではないか?」
 と言えるのかも知れない。
「出会うべくして出会った」
 という時の、
「出会うべく」
 というのは、
「出会うべきだった人と出会った」
 ということではなく、まったく逆の発想から生まれた言葉で、そう考えることが、最終的に、不自然ではなく、辻褄があっているのではないかと、感じさせるのだろう。
「違和感なく感じられた」
 ということから、
「出会いにぎこちなさがない」
 ということであれば、
「出会った時よりも、そこから見える結末の方が、限られている」
 ということである。
 それだけ、出会いというところの広さに比べれば、結末というのは、狭き門のようなものだといえるだろう。
 そうやって考えると、出会った相手に対して、
「出会うのではなかった」
 と、後悔を感じる相手であり、
「ここから、修復させたい」
 と思うと、なかなか難しい。
 やり方を間違えると、もっと悲惨なことになる。そうなると、怖いから、動けなくなるのだろう。
 動けなくなるから、意識をしないようにする。意識をしないから、結末だけしか見えない状態で、後から考えても、
「もうどうしようもなかったんだ」
 と、自分で考えるということをしないことで、自分の中での言い訳をしようと考えるのではないだろうか?

                 大団円

 相手は、そのうちにお金を要求するようになった。
作品名:洗脳と洗礼 作家名:森本晃次