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洗脳と洗礼

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 そのせいで、彼女のわがままは、
「あばたもえくぼ」
 とでもいえばいいのか、
「どんなに悪いところでも、いいところにしか見えない」
 というものであった。
 それを考えると、
「彼女を救えるのは、俺しかいない」
 と思うようになった。
 彼女に対して、あまりにも精神状態に、むらがあることから、
「何かの精神疾患を患っているのではないか?」
 と思ったが。そんな興奮状態の時に限って、彼女には、絶対的な自信があるようだった。
 この状態は、後になって、別の機会で精神疾患というものを勉強した時、
「思い当たる節があるな」
 と思って調べた時、感じたのが、つかさのその時の状態だったのだ。
 というのは、
「躁状態」
 というのが、そういう状態に近いということを書いてあったのだ。
「躁状態というと、まず、自分が何でもできると思い込むこと。過度のハイな状態になり、実際にまるでスーパーマンにでもなったかのように、自分には失敗なく、なんでもこなせると思い込んでいる」
 というのだ、
 だから、これ以上ないというくらいに自信過剰になっていて、眠らなくても平気だというくらいに精神状態だけが特化してしまっていることで、身体がついてこないということもあるのだという。
 そんな精神状態になると、もっとひどいことになってしまう。
 それが対人関係であった。
 自分が何でもできると思うので、決定的な優越感を味わっている。そうなると、まわりの皆に対して、優越感が生まれてきて、マウントを取ったうえで、まわりの劣等生を平気で口にして、相手に気を遣うということが一切なくなってしまう。
 そうなると、まわり全員に恨まれてしまい、自分が孤立していくのだ。
 しかし、当の本人は、
「自分だけでだって、何とでもなる」
 と思っているので、孤立したことが分かったとしても、そんなに不安にはならないだろう。
 そもそも、自分が孤立しているということも分からない。それだけ、精神的に、ハイになっているのであって、
「誰にも何も言わせない」
 ということを、さも当たり前のことのように感じるのだ。
 それを思うと、
「俺もよく耐えたものだな」
 と考える。
 彼女のその時がそういう状態だったのかどうか。医者が診断したわけではないので分からない。
 というのも、
「躁状態になると、まさか自分が病気だなどということが分からない」
 という。
 だから、いくら先生に診てもらおうと思っても本人にその気がないのであればしょうがない。
 さすがにこの状態で、首に縄をつけて、引っ張っていくわけにはいかない。
 しかし、実際には病気の可能性が高いのだから、それを一人で相手にするというのは、
「いくら恋人だ」
 と言っても難しいことである。
 一つ気になるのは。その時の彼女は、
「ハイな状態ではない」
 ということである。
 いつも笑顔であったり、目が輝いているというような、典型的な躁状態というわけでもなく、しかも、その期間がたったの一日、いや、数時間ともなると、
「躁鬱症」
 と呼ばれるものの、躁状態ではないといえるであろう。
 確かに、数時間の躁状態というのも、実際にないとは言えないだろう。
 だからこそm医者の診断が必要なのだが、あの状態になった、つかさを制することができるのは、誰もいない。
 母親でも無理なのだから。さすがに、山岸では無理だろう。
 では、元カレであれば、どうだったのか?
 ということを考えてみた。
 実際に逢ったことのない人であるが、今頭の中で、
「二度と会うことは不可能なのだ」
 と思うと、その男性は、
「神に召された」
 という感覚になり、
「彼以外に彼女を制する人間はいない」
 と思うと、山岸は複雑な心境になった。
 いや、複雑な心境というよりも、もっと違った発想であった。
 というのは、
「彼というのは、ひょっとすると、俺の分身のような人ではなかったか?」
 という思いである。
 心の中では、
「かないっこない」
 と思っているが、彼女が慕う男性は、二人しかいないと思うのだ。
「そのうちの一人が、天に召されたのだから、残った自分がしっかりしないといけない」
 と考えるようになった。
 確かに、彼女は、躁状態だった。
 だが、
「彼女がこんな風になったのがいつぃからなのか?」
 というのが、問題だ。
 自分と付き合うようになってからという可能性は低い気がする。
 そういえば、付き合う前にパートのおばさんたちが、自分に彼女をけしかけようとした時、ちょろっと話をしていたのが、
「彼女のあの性格、山岸君で大丈夫なんだろうか?」
 というようなことを言っていたような気がする。
 というのは、さすがに、山岸も最初から、つかさのことを何とかできるとは、思っていなかった。
 そこまで好きになったわけでもないが、
「まわりも応援してくれているし、今の自分であれば、いろいろ大丈夫なのではないか?」
 という、自分の中にも自信過剰なところがあったので、その気持ちの表れが、
「つかさを好きになった」
 という自分の中の答えだったに違いない。
 そして、実際に、
「つかさの性格」
 というものを分析していくうちに自分の中でも、
「本当に大丈夫だろうか?」
 ということを考えるようになっていた。
 つかさは、好き嫌いも多く、気分屋であったことから、
「躁鬱なのか?」
 と考えると、
「鬱状態」
 というのが、ほとんど見受けられない。
 躁状態の中で、何か自分で不安に感じるようなことがあるようだが、それは、勘違いというものであり、つかさには、自分が自分でも分からないという気分になるくらいであった。
 では、一体いつから、こんな状態になったのだろう?
 ということを考えてみるが、どうしても想像の域を出ないが、考えられるのは、
「元カレと付き合っている時ではないか?」
 と考えた。
 そして、その時、元カレとの間で、きっと、彼女を抑えつけようという気持ちがあり、それが喧嘩になって、お互いに不安を募らせることで、女はどうしても、、先に我慢ができなくなり、男に当たっているうちに、男がたじろいだその時の間隙をついて、一気に攻めるということを覚えたのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「俺に太刀打ちできるだろうか?」
 ということをどうしても考えてしまって、そのせいもあってか、
「俺はどこまで相手をすればいいのか?」
 と、元カレの所業を恨めしく思うのだが、逆に、
「もし、俺が元カレの立場だったら、同じことを感じていたんだろうな」
 と思うと、自分も、元カレに頭が上がらない気持ちと、
「託された」
 という思いから、責任のようなものが生まれているような気がして、それを思うと、
「どうすればいいのか?」
 とも考えるようになったのだった。
 そんな状態で、結局、別れることになった。
 それも、別れを切り出したのは、相手からだった。
「あなたの言っていることが信じられなくなった」
 ということであったが、最初は何が起こったのか分かるはずもない。
 もっとも、付き合い始めた頃は、
「何が起こっても不思議なことはない」
 と感じていたが、そのうちに、
作品名:洗脳と洗礼 作家名:森本晃次