自己バーナム
「大変な時代だった」
といってもいいだろう。
特に、初期というと、幕藩体制を築くために、大変な時代でもあった。
そういえば、幕府というと、徳川時代で、3つ目となるが、以前の幕府も体制が整うまで、結構大変だった。
鎌倉幕府はというと、頼朝死後は、北条氏による、執権政治の確立までに、まわりの御家人と、すべて滅ぼしての、北条一族による、
「独裁政治」
というものが始まることになった。
そして、足利幕府ともなると、元々の、
「朝廷における南北朝」
と言われる時代が、60年近くも続いたりして、落ち着かなかった。
徳川幕府にしても同じである。
初期は徹底的に、諸大名の力を削ぐ形で、諸大名に、
「謀反の疑いがある」
などと言って、改易のあらしが起こっていた。
かつての、
「豊臣恩顧の大名」
に限らず、何と、家康時代の初期から、いわゆる、
「三河譜代」
と呼ばれた、古参の大名の家も、簡単に潰された。
三代将軍家光に至っては、弟までも、改易させたくらいである。
もっとも、
「素行の悪さ」
というものがあり、あまりよいウワサがなかったというのも事実だったようで、真相の方は、
「何がどこまで本当だったのだろう?」
というところである。
そんな時代であり、改易が終ると、今度は、武士や公家に対しての。
「諸法度」
をつくったり、
さらには、各大名に、
「参勤交代」
というものを義務付けることで、
「大名の力を削ぐ」
ということも行われたのであった。
それを思えば、
「平和な時代」
というのは、
「戦がなくなってから、実際に成立した政府の安定が認められるまでの間に、かなりの荒療治が行われなければいけない」
ということは、決定事項なのであろう。
それを思うと。歴史というものは、
「繰り返されるもの」
と言え、さらには、
「結局は、過去の教訓が、どれほど生かされるかによって、時代が変わってくる」
というものだ。
実際に、戦乱の時代から、やっとのことで、平和な時代の到来と、政府による、
「政治体制が確立」
というものがなったとして、またすぐ戦乱の時代となったり。政府内部での問題が巻き起こることで、
「平和ではあるが、政治体制が、本当の平和をもたらしているか? ということは実に疑問だ」
ということになるであろう。
徳川幕府など、改易の影響で、街に、改易されて失業した、各大名の部下たちが、世の中に溢れ、
「召し抱えてくれる大名」
を探すといっても、そんなところはない。
江戸時代には、
「士農工商」
という身分制度が確立された時代だったが、身分が高くなるからといって、
「幸福」
というわけではない。むしろ身分が高いほど、悲惨な人生だったりする。
武士は、年貢として挙がってくるコメが給料となるので、コメ以外の物価が上がると、困ったことになるのだ。
「武士の魂」
と言われる、刀を質入れしてまでも、金を借り受けるということも、平気で行われたようだ。
そうでもしないと生きていけないということであった。
農民などは、もっと悲惨で、
「生かさず、殺さず」
と言われ、
「死なない程度にこき使われる」
というものだった。
だからといって、土地を捨てて逃げるわけにもいかない。どこに行っても自体は変わらないのだ。
飢饉であっても、年貢は普通に取られる。
だから、役人であったり、武士で餓死する人はほとんどいなかったが、農民などの平民は、
「餓死の山」
だったという。
何と言っても経済や食料を支える人たちが、バタバタと死んでいくのだから、大変なことだったのは当たり前のこと。
つまり、そんな時代において、
「あまりにも、抑えつけられることで、戦にもならない」
というだけのことである。
言いすぎかもしれないが、
「見せかけの平和」
といっても過言ではないだろう。
平和といえば、今の時代もそぅであろう。
「日本国憲法」
に守られた国であるが、果たして、
「平和だ」
と言えるのだろうか?
「戦争がないこと」
というものだけが、本当の平和だといえるのだろうか?
そんなことを考えていると、
「大日本帝国」
の時代というのは、元々、
「諸外国からの侵略」
に備えて、
「国を富ませて、軍を整える」
という意味での、
「富国強兵」
という時代に入ってくることになる。
この考え方は、戦国期においては、
「織田信長」
の考えに近かっただろう。
もちろん、ほとんどの戦国武将が、似たようなことを考えていたのは、間違いないといえるのだろうが。特に信長は、
「貿易港である。堺、草津、大津などを抑え、物資の流通を握り、さらに、
「楽市楽座」
や、南蛮との貿易において、国を富ませ、たくさんの鉄砲を手に入れることで、軍を整えるということを、あからさまにやったのだ。
そのおかげで、畿内を統一し、天下統一までもを、ほぼ手中に収めたのであった。
大日本帝国も似たようなものである。
「富国強兵」
から先、時代が少しずつ歪になっていくことで、世界情勢からも、混乱の時代に突入したことで、いずれが、
「大日本帝国」
は、軍主導となっていき、
かの、
「大東亜戦争」
という悲劇に突っ走っていったのである。
そんな時代を、
「敗戦国」
ということで、終焉を迎えたのだが、大日本帝国は、ある意味、
「あの時代を生き残るためには仕方がなかった」
という意味で、世界の中では、一大名のようなものだったといっても過言ではないだろう。
今の時代に横行しているのは、
「汚職や、贈収賄」
さらには、政府の愚かな政策によっての、
「政治の腐敗」
というものだといってもいいだろう。
確かに、法律的なものは、拡充されているといってもいい。
ただ、それは、大日本帝国においても、しっかりとはしていた。
だが、
「立憲君主」
という、今の民主国家とは、
「国家体制」
が違うのだ。
それを考えると、今の時代は、
「民主国家」
「自由主義」
という言葉に騙されて、
「平和国家」
というよりも、
「平和ボケによる、お花畑思想の国家だ」
といってもいいだろう。
「自由というのは、その裏には、義務という言葉が背中合わせにある」
ということを考えておかないと、誰もが皆、自由を求めて行動すれば、
「社会など、成り立つわけはないのだ」
といってもいいだろう。
今の世の中というのは、もっとひどいもので、今から十数年前に起こった、
「政府による、大失態」
ということで、社会問題が起こったではないか。
「そう、年金喪失問題」
であった。
今まで紙ベースであったものを、今度はコンピュータ管理しようとして改めて、年金資料を確認した厚生労働省の人間が、
「あまりにもずさん」
だといえる管理のために、いざ調べてみると、年金の目録がなかったようなものだった。
「これでよく、年金の管理ができていたな」
というものだが、
実際に今支払われている年金も、
「すべてが正しい」
と言い切れるのだろうか?
というのも、正直なところ、
「どれが誰の年金か?」