自己バーナム
ということを考えたのだ。
というのは。
「人間は、親を選べない。つまり、いつどこで誰から生まれてくるか? ということは分からない」
ということであった。
「金持ちな家に生まれる、貧乏な家に生まれる」
ということを選べない。
「戦争をしている国」
あるいは、
「平和な国」
で生まれるかを選べない。
または
「平和な時代に生まれてきたのか、それとも戦国時代に生まれてきたのか?」
ということによっても違う。
そういう意味で、
「生まれながらにして、不平等だ」
と言えるのではないだろうか?
自分たちが生まれた時代というのが、大きな影響を持つ場合もある。
特に歴史などを勉強していると、そう感じる。
例えば、過去の歴史において、大きく二つに分けることができるとすれば、
「戦争などによる群雄割拠の時代」
であったり、
「平和な時代」
というのに、大雑把には、分けることができるだろう。
例えば、最初の、
「戦乱の時代」
というと、過去からいえば、平安時代後期の、
「武士のおこり」
と言われる時代からは、結構、小さな小競り合いが起こていたりした。
まだまだ、武士というと、
「貴族などの荘園を守るために、貴族に雇われた武装集団」
という時代であった。
しかも、それらの時代が、荘園を守るだけでなく、地方に行くと、まだ開拓していない土地を開拓することによって、武士も自分たちの時代になったりするのであった。
そんな時代において、
「自分の土地を増やさなくてはいけない」
というのは、彼らが、自分の土地を守るために、
「さらに強い武装集団をつくろうとすると、どうしても、人海戦術のように、兵力という意味での、兵員を集める必要がある」
つまり、彼らとしても、
「土地を保証されないと、主君といえど、命がけで戦うということをしない。だから、それだけ兵力を増やすには、土地が必要になってくる」
ということである。
そうなると、土地を得るには、まわりの土地を侵略するということしかないだろう。
だから、戦乱となっていき、それが、
「武士が武士として生き残る」
ということになるのだろう。
そんな武士の発生のいわゆる、
「黎明期」
に起こってくる小競り合いは、ある意味仕方のないものなのだろう。いずれ、幕府ができて、その体制が固まっていくと、時代は落ち着いてくる。
しかし、幕府の力が弱くなると、全国の大名が力を持ち出して、
「下克上」
などという、
「力によっての、秩序」
という考えが生まれてくると、後は、軍乳割拠の時代となってくるだろう。
「いかに、生き残るか?」
ということが、まずは、基本の時代になっていくのであった。
特に戦国時代と呼ばれる、群雄割拠の時代には、前述の、
「下克上」
というのが当たり前という時代で、
さらに、
「自分たちの国を守る。さらには、隣国を攻める」
というためにも、いろいろなものができたり、考え方も変わってきたりしただろう。
「城郭」
というもので、自分たちを守る。
という考え方であったり、隣国と同盟を結んだり、そのための政略結婚などというものも、今の時代では考えられないことであったりした。
それも、すべては土地のため、包茎制度というものが、崩壊した形になってきていたが、それぞれの国において。大名は、いかに敵から身を守り、自分の土地を発展させるかということを、政治、経済の面からも考えていき、力のある大名は、
「京に上って、天下統一」
というものを考え、
力のない大名は、
「いかにして、この乱世を生き残っていくか?」
ということを考えていくことになるのだった。
そんな時代において、どうしても、
「戦に明け暮れる」
ということで、今の時代とは、明らかに違う風俗習慣というものが存在していた。
戦というと、戦場が舞台になるのは当たり前のことであり、何週間も、下手をすれば、1年以上も、戦場で生活することになる。そうなると、そこは、
「男だけの世界」
当然、
「同性愛」
というのも、蔓延ってくるというものだ。
いわゆる、
「男色」
「衆道」
というものだ。
男同士の性癖を描いたマンガであったり、ライトノベルというものもたくさんあり、今の時代においては、そんな小説であったり、マンガは、
「BL」
つまりは、
「ボーイズラブ」
と言われている。
男色や衆道と、BLとでは、まったく違うジャンルといってもいいだろう。
戦国武将同士の、男同士が貪っている感じと、いわゆる、
「イケメン同士」
による、美しい性癖の描写とでは、自ずと違っているのは分かっている。
それが、
「戦に明け暮れる時代」
においての、
「恋愛事情」
といってもいいだろう。
男色が蔓延っている時代といっても、キチンと結婚もしている。
そこには、二つの大きな問題があり、一つは誰にも分かることであるが、
「子孫繁栄」
である。
「男の子が生まれて。その子が、家督を継ぐ」
ということで、家が続いていくということは、今と変わりがない。
だから、一夫多妻制であっても、それはしょうがないことなのだ。
正妻が一人に、側室が数名いる。正妻に子供ができなければ、側室に子供を望むという形である。
そして、この時代の結婚の目的というのは、
「隣国であったり、自分たちに都合のいい領地と仲を育む意味での結婚」
ということで、いわゆる、
「政略結婚」
というものだ。
これには、重要な意味があり、
「同盟を結ぶ」
ということでも婚姻と、もう一つは、
「人質」
という意味合いもある。
これが、この時代の大きな特徴だったのだ。
この時代において、いろいろ今から思えば理不尽なことも多いが、自分たちが生き残るため、そして、天下を目指すためということで生まれたさまざまな文化風習は、今とはかなり違うかも知れない。
あの時代において言えることは、
「今の時代のように、完全に決まった社会構造において、天下を取るには、決まった方法しかないが、昔であれば、戦において、領土を増やしたり、そこには、様々な諜報行為であったり、戦が繰り広げられ。最後に天下を握る人間は、寸前にならないと分からない」
ということだったのだ。
歴史において、そんな戦乱の時代の次には、
「戦のない、平和な時代」
というものがやってくる。
その時代には、一つの大きな政府が存在する。
「朝廷」
であったり、
「幕府」
と呼ばれるものである。
特に戦国時代が終わってから、江戸幕府が設立され、豊臣家が、
「大坂の陣」
で滅んだことで、
「天下泰平の世」
が来たということで、徳川家康による、
「元和堰武」
というものが宣言された。
これは、
「武器を蔵にしまい込んで、今後は戦を起こさない」
という宣言だったのだ。
ここに平和な世の中が成立し、実際には、幕末までの約260年間近くの、
「戦のない時代」
が訪れたのだった。
ただ、この時代は、
「戦はない」
という時代ではあったが、だからといって、
「幸せな時代だったのか?」
というと、そんなことはない。
むしろ、