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自己バーナム

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 ということから、始まっているもので、
「離婚しない理由」
 というものを考えているのは、
「離婚をしたくないから」
 という意義を考えるからであった。
 最初から、視点が変わったということであり、それだけ今は、
「離婚という方向に追い込まれているからだ」
 といってもいいだろう。
 それは、相手が完全に離婚というものを既成事実のように作り上げていて、
「離婚しないための理由を考える」
 ということで言っていたものが、今度は、まわりがどんどん、離婚の方にその立場を固めていくことで、
「離婚しなければいけない理由」
 というものを考え、今度はそれを否定する理由を考えなければ、離婚というものに引っ張り込まれるということになるのであった。
 いくら待っても、女房が帰ってくる気配はない。
「嫁さんの実家に行ってみると、どうも、向こうは、離婚を望んでいるようだ」
 としか思えなかった。
 奥さんの両親に、
「味方になってもらおう」
 などというのは、とんでもなくおこがましいことであった。
 相手の家族は、どっちに転ぼうとも、
「娘の幸せ」
 しか願っていない。
 そのためには、離婚ということになっても、仕方がないと思っているので、考えるというのは、
「円満離婚」
 であろう。
 いくら離婚が正しい選択だと思ったとしても、これが、
「拗れた離婚」
 ということであれば、非常にまずい。
「再婚するにしても、この時の混乱がトラウマとなって、次回もまずいことになるのではないだろうか?」
 と考えるとすると。
「離婚というのは、これほど厄介なことはない」
 と言えるのではないだろうか。
 結果、1年近く経ったうえで、先に進まないということで、
「調停離婚」
 へと相手方は乗り出したのだった。
 調停離婚というのは、離婚に相手が応じないのであれば、調停ということを家庭裁判所に持ち込めば、そこで、男女それぞれに、
「呼び出し状」
 のようなものが届く、いわゆる、
「出頭申請」
 といってもいいだろう。
 ほとんど同じ日になるのだろうが、お互いに出張には、ちょうどいい日程を調整しての出頭になるだろうが、基本的には、まず、原告(訴えた方)が先に話をするという形になる。
 調停委員というような人が、話に出てくる、男女二人組ということになる。
 というのは、男女ともに、話を聴くわけなので、それぞれの代表が調停員となるのは当たり前のことで、特に夫婦間のことなので、
「男女で話し合いには、男女が立ち合う」
 というのは当たり前のことであろう。
 調停委員が、男女ともに話を聴くのだが、夫婦であっても、立場としては、
「被告と原告」
 ということになる。
 したがって、調停が成立するまでには、夫婦であっても、二人が遭うということはありえないのだ。
 つまり、最初に、原告側の意見を聞いて、それを被告側に伝える。
 彼らのように、離婚を被告側が頑なに拒否している場合は、意外と、調停に持ひこむと、コロッと離婚に傾くことがある。
 というのも、日下部氏のように、離婚に応じられない理由に、
「離婚しなければいけない理由が分からない」
 ということにあり、男としては、まず考えるのは、
「自分は、結婚前や新婚時代の楽しかったことを思い出すので、奥さんも思い出せば、離婚と思いとどまる」
 と思っているところがある。
 しかし、奥さんの方とすれば。そうではなく、
「そんなことは、実家に帰る前に、散々考えた」
 と言いたいのだろう。
「オンナが何かを言い出す時というのは、すでにその気持ちはかたまっていて、逃れることができない」
 というところまで来ている時である。
 つまりは、それから旦那が考えようとすることは、すでに奥さんは通り過ぎてきているわけで、旦那がこれから考えようというのでは、
「時すでに遅し」
 ということだ。
 つまりは、
「調停に持ち込むということは、奥さんからすれば、形式的なことの最終高いだ」
 ということである。
 調停委員から、
「もう奥さんの心は先に行っているので、あなたも、これからの将来を見ればいい」
 という言われ方しかしない。
「もうこの期に及んで、元に戻ることはない」
 ということである。
 そこまでくるとさすがに旦那の方も、覚悟を決めるしかない。実際に、身体の力は完全に抜けていて、もうどうしようもないとことも、欠片ほどに残っていた一縷の望みも、まったくなくなったわけだ。後は、財産分与の問題だけだった。
 子供がいないので、親権、養育費の問題はない。後は財産分与だけで、その話が終れば、後は、裁判所側で目録を作成し、それをそれぞれで持って、分与を行えば、それで、離婚成立ということになる。(原告側は離婚届に何もサインをした覚えはないので、離婚調停の文書が、離婚届の役割をするのではないだろうか?)
 というのが、離婚調停である。
 これは、完全に形式的なことだといってもいい。もっとも、あんな場面い引きつり出されると、ほとんどは、やり直すなどということは皆無だと思い、気持ちも冷めてしまうだろう。
「こんなところに引っ張り出しやあがって」
 という気持ちになるのであった。

                 好きになる魔力

 離婚してから、十数年が経った。離婚してからすぐくらいは、しばらくは、
「女性を好きになる」
 ということに、少し敬遠していたような気がする。
 というのも、離婚するということに対しては、そこまで違和感を感じなかったが、さすがに、
「調停」
 ということになると、少し、背筋が伸びた気がした。
 別に裁判というわけでもなく、離婚に際しての文章の取り交わしまで行われたわけなので、もめることはなかった。
「法律というのは、たまにはいいこともするんだ」
 というくらい、調停での離婚がうまくいったことはありがたかった。
 離婚の時、
「まだまだお若いんだから、これからの人生を有意義に、自由に生きてくださいね」
 と調停委員に言われた。
 そもそも、離婚の決意をした時、
「彼女にはもう、復縁の気持ちはない。無理を押しとおしても、いいことはないので、後は、これからの人生を自由に生きるということを考えればいい」
 と言われた。
「確かに、その通りだ」
 と思った。
 中学時代、
「両親が離婚の危機にあった」
 というのを聴いたことがあった。
「もう中学生になったから」
 ということで教えてくれたのだろうが、実際には、
 離婚というのは、お互いの気持ちのすれ違いということで、本当にそこまで考えていたかどうか。分からないというところであった。
 そんな離婚というものを、
「まさか、自分がするなんて」
 と思うのだった。
 中学時代には、
「離婚を考えるくらいだったら、結婚なんかしなければいいんだ」
 と思っていた。
 それは、勝手に思っていることであって、
「結婚をするということは、最後まで一緒にいるということで、そもそも、できちゃった婚などというのは許さない」
 と思っていた。
「人間に本当に自由などがあるのだろうか?」
 ということを考えた時、
「人間は生まれてくる自由も、死ぬ受有というものないのだ」
作品名:自己バーナム 作家名:森本晃次