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自己バーナム

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「お金というよりも、気持ちの問題の方が大きかった。いくら接客とは言いながら、どんな性癖を持っている人か分からず、風俗というものを、高い金を払っているということで、まるで、ハーレムのようなもので、女の子が何でもいうことを聴いてくれるとでも思っているような、とんでもない、
「勘違い野郎」
 が一定数いるのも、否定できないだろう。
 日下部は、その嬢とそんな話をしているうちに、緊張は完全にほぐれていった。
「それが、彼女の特徴であり、長所なんだろうな」
 と感じた。
 風俗嬢というのは、彼女が最初で彼女しか知らない時は、
「この女性は天使だ」
 と思っていた。
 勘違いだとウスウスは分かっていたが、
「自分が好かれている」
 というように感じるのであった。

                 大団円

 その頃からだろうか? 普段の生活の中でも、
「自分が好かれているのではないか?」
 と思うようになった。
 人間には、
「モテキ」
 というものがあるというが、それは20代の頃に自分は終わったと思っていた。
 しかし、その頃に感じた、
「モテキ」
 とは違っている。
 その頃には、自分の中で、
「確固たる自信」
 のようなものがあった。
 大学時代の前半は、自分でも、
「何をやっているのか分からない」
 という時期であったが、三年生になり、ちょうど成人式を迎えたあたりから、自分というものが、どうも、何か違っている。
 というように感じるようになったのだった。
「それがどこからくるのか?」
 ということを考えていたが、それがどういうことなのか、自分でもよく分かっていなかった。
 ただ、その頃から始めたアルバイトで、結構、社員から、
「よく頑張っている」
 と言われると、自分の中で、調子に乗ってきているのが分かってきた。
「それがいつからだったのか?」
 ということに対して、自覚もあったのだ。
 そんな状態になったことを、
「まるで夢を見ているようだ」
 と感じていた。
 自分が思っている通りに、世の中が動いているような感覚になったのだ。
 だから、夢を見ているという感覚になったのであって、そう思うと、
「自分が、超能力者にでもなったかのような」
 というポジティブといえば、ポジティブだが、自惚れという、自信過剰でしかないともいえるのかも知れない。
 そんな時、
「モテキ」
 がやってきたのだ。
 普段なら、
「モテキ」
 などという言葉、
「そんなの迷信だ」
 といってはねのけているかも知れないのに、その時は、信じ込んだ。
 自惚れと自信過剰の狭間にいたのに、
「それでいい」
 と思うと、自分の考えが間違いないと思うようになったのだ。
 そのおかげで、元女房と知り合えたのだから、自分の人生の最初としては、よかった気がする。
 しかし、結果として離婚ということになり、
「第二の人生」
 というものを探そうと思っていた時、大学時代に先輩に連れていってもらった、
「風俗や、パチンコ」
 というのを思い出したのだった。
 あの頃とは少し自分の中で趣が違う。
 逆にあの頃のような、罪悪感のようなものはなかった。むしろ、
「毎日を一生懸命に生きているから、こういう娯楽が癒しになるんだ」
 と考えるようになったのだ。
 といっても、その考えが、正しいものなのかどうか、正直分からない。
 だが、実際にパチンコをして一日が終わっても、風俗に行って、その帰りにも、前には確かにあった
「罪悪感」
 なるものはなかったのだ。
「癒しを求めて」
 と考えるからなのだろうか?
 いや、考えられることとしては、
「何かに洗脳されている」
 ということであった。
 しかし、罪悪感があるよりも、ない方がいいに決まっている。せっかく癒しを求めに行っているのだから、素直に楽しめるのが最高だ。
 というようなことを考えているのだった。
 子供の頃から、ずっと、自分の考えは似たようなもので形成されていたような気がする。それを、自分で、どこか認められないというような考えがあったのではないだろうか?
 そう思うことで、
「風俗にしても、パチンコにしても、最後に訪れる。罪悪感が違うものに、憑依していそうな気がする」
 というものであった。
 そんな時、考えたのが、
「自分で自分を洗脳しているのではないか?」
 ということであった。
 そもそも洗脳というのは、
「マインドコントロール」
 ということで、他人がその人の気持ちをコントロールすることで産まれるものなので、
「自分で自分を洗脳」
 ということは、論理上、おかしなことだと言えるのではないだろうか?
「ヘビが、自分の身体を、尻尾から飲み込んでいけば、どうなるか?」
 というような考えである。
 似た考えとしては、
「マトリョシカ人形」
 であったり、
「合わせ鏡」
 という考えに似ているといってもいいだろう。
「マトリョシカ人形というのは、人形をあけると、その中にさらに人形が入っていて、さらにその人形をあけると……」
 ということで、どんどん小さくなっていく考え方だ。
 また、
「合わせ鏡」
 というのは、自分の、前後、あるいは左右に鏡を置いて、その鏡のどちらかに映っている姿を見るというもので。
「前に映っている自分の後ろに鏡が写っていて、その鏡には、自分の後ろ姿と今前に見えている鏡が写っている……」
 ということで、こちらも、どんどん小さくなるが、
「自分の姿が、永遠に続いていく」
 というものであった。
 これは、
「論理的な考え方」
 という意味でいけば、
「半永久的に続いていくものであり、ゼロにはならないものだ」
 ということを示している。
「ゼロにならないから、半永久的に続いていく」
 ともいえるだろう。
 数学で、
「整数を整数で割れば、どんなに分母が無限であっても、ゼロであったり、マイナスになることはない」
 という考えと同じである。
 つまり、最後に残るのは、
「限りなくゼロに近いもの」
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
「ヘビが自分の尻尾から自分を飲み込んでいっても、半永久的なものが、限りなくゼロに近いものとして残る」
 と考えるのだ。
 だから、人間は、
「最後まであきらめない」
 という気持ちになり、それが自分で自分を洗脳できる範囲なのだろう。
 この頃の日下部は、一度、占い師に占ってもらったことがある。
 その時、話を聴いていて、次第に白けてくるのを感じた。
 さすがに、その人には言わなかったが、
「何だよ、これ。誰にでも当てはまることを言っているだけじゃないか?」
 と思ったのだ。
 誰にでもあてはあることを、さも当たり前のように言って、自分の言っていることが間違っていないと相手に思い込ませ。そこから、自分の占いを信じさせるという、
「心理操作」
 ではないか?
 と感じたのだ。
「なるほど、だから、皆占い師の言っていることが正しいと思うんだ」
 と考えるのだった。
 それが洗脳であり、
「マインドコントロール」
 なのである。
 しかも、これは、二段階あるから、余計に信じ込んでしまうのだろう。
 後で聞いた話だが、
「バーナム効果」
作品名:自己バーナム 作家名:森本晃次