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自己バーナム

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 長年のずさんな管理で、自分たちの老後のために、国が貯えていたはずの貯金を、亡くされたのだ。
 自分の家のタンスに貯金を隠しておいたのを、泥棒が入って、それを持っていったのと、同じことである。
 しかも、今回のこの事件は、一部だけの問題ではなく、
「国民全員に降りかかる問題であり、今もまだ全部が解決したわけではない」
 というではないか?
 そういう意味では、あの時の政府がやったことは、
「泥棒以下」
 ということになるのではないか?
 国民の貯金を、政府が、ずさんな管理で、失くしてしまったのだ。
 もし、これが民間企業なら、
「トップ総入れ替え」
 であったり、下手をすれば、破綻しても仕方がない状態である。
 今回は、
「政権交代はしたが、ちゃんとまた戻ったではないか?」
 しかも、一期でまた政権に返り咲いている。
 こんなことが許されてもいいものであろうか?
 それを考えると、
「野党も野党だが、泥棒以下の政府をまた復活させるというのは、どういうことなのか?」
 ということである。
 あれだけ、政府をこけ下ろし。
「あの政府は腐った」
 と言っていた人が、数年で、その党に票を入れるのだ。
 もっといえば、
「それだけ野党が情けない」
 ということで、野党は、
「泥棒以下の政府のさらにその下」
 ということもあり、
「政党助成金など、払う必要はない」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんな野党と比較される、
「自粛警察」
 どちらも、
「クズ」
 といってもいいが、やはり
「野党の方がクズかも知れない」
 と言えるのではないだろうか?
 自粛警察は、そもそも、組織というわけではない。ただ、世の中に対して害を及ぼしている方が多いがそれでも、彼らがいるおかげで、
「見せないところで、自粛している」
 といってもいいところもあるだろう。
 しかし、野党の場合は、いい意味でも悪い意味でも、その行動はすべてにおいて、
「世の中に影響を与えるのだ」
 というのは、彼らはいくら野党だとは言っても、
「れっきとした政治家だ」
 ということだからだ。
 選挙で勝ちぬいて、
「党所属の国会議員」
 ということである。
 そんな国会議員ということもある政治家として、彼らには、それだけの仕事をしてもらわないと、何と言っても、
「血税で飯を食っている」
 というわけである。
 それを考えると、自粛警察などと比較にならないほど、その責任というのは、大きいというわけである。
 ただ、そんな野党も昔は、確かに、批判ばかりはしていたが、その言葉には、それなりに信憑性はあった。
「ただ、同意はできない」
 ということだからである。
 完全に、他国から押し付けられた民主主義の時代に、しかも、昔は、政党の数も全然少なかった。
「五大政党」
 とよばれていた時代がずっと続いてきたのに、今では、スポーツに特化した党であったり、ある国営企業を攻撃するというだけの党であったりと、
「こんなの本当に存在意義があるのか?」
 と言われるほどのものである。
 そう考えると、野党と、自粛警察、立場の違いから、優越はつけられるが、実際にやっていることに関しては、
「大差はない」
 といってもいいかも知れない。
 それを考えると、パチンコ屋が攻撃されたあの時、結局、騒ぎ立てただけで、それを真に受けた市町村が、名前を晒すと、今度はそれが却ってまずい結果を生み、
「パチンコ屋に人が殺到する」
 ということになった。
 しかも、それでも、感染者の報告はないわけで、却って、
「パチンコ屋は安全だ」
 ということを、広めてしまったことになるのだ。
 最初から締め付けようとさえしなければ、
「パチンコ屋は平和だ」
 ということになり、しこりが残ることはなかっただろう。
 結局騒ぐだけ騒いで、世間のためになるどころか、ただの。
「お騒がせ」
 というだけで終わったということは、野党とやっていることと、その結果を考えると、「本当に同じレベルだ」
 ということになるであろう。
 そんなパチンコ業界であったが、今では、確かに昔ほどの賑わいはなくなってしまったが、それは、
「自粛警察」
 のせいではない、
「喫煙ができない」
 であったり、
「健全なパチンコ」
 というイメージで、あまりお金をつぎ込まないようにするための機種改造であったりが、大きな影響を与えている。
 というのも、確かに、
「玉持ちがいい」
 ということで、たくさん開くようになって、例えば、千円で三分しか持たなかったものが、五分持つということになると、同じ時間でも、玉の減り具合は少ないということになるだろう。
 しかし、そのままであれば、パチンコ業界が赤字になってしまうので、
「大当たり確率を絡めに設定する」
 か、あるいは、
「当たった時の、出玉を抑えるかしかない」
 ということになるだろうが、ここで、大当たり回数を絞ってしまうと、
「全然面白くない」
 ということになる。
 しかし、
「あんまり爆発的には出ないが、コンスタントに当たる」
 ということであれば、遊戯性という意味で、楽しめるし、皆うまくいくと考えられる。
 確かにそうかも知れないが、それは、これからパチンコを始める人であればいいかも知れないが、
「今までもやっていた」
 という人から見れば、
「面白くなくなった」
 ということになるのだ。
 実際には、
「普段は結構大きく負けたりするけど、たまに、数十連荘とかして、とんでもないくらいになる」
 という経験をした人には、その楽しみがないわけなので、それこそ、
「パチンコ離れ」
 というのが加速してもしょうがないというものだ。
 新たな客を呼び込むといっても、
「タバコも吸えない」
 という状態になって、何が楽しいというのだろうか?
 ちなみに、パチンコの大当たり確率というのは、
「完全確率方式」
 というもので。例えば、
「365分の1」
 という台であれば、普通に考えれば。
「365回転させれば、それまでに必ず当たる」
 と考えるだろう。
 しかし実は違っているのだ。
 というのは、
「おみくじを引くのに、普通なら、外れを引いたら、引いたのは、表に出してしまうが、パチンコの場合は、それをもう一度中に入れる。つまり、365分の1から、外れれば364分の1になるのではなく、当たるまで365分の1に変わりはない」
 という意味での、
「完全確率」
 という方式なのだ。
「だから、1000回転まわしても、当たらないこともあれば、1回転で当たることもある。単純に全回転から大当たり回数を割ったものが、大当たり確率として計算するというものなのだ」
 ということである。
 そういう意味では。
「パチンコって、実によくできている」
 といえるだろう。
 しかも、実際の開発の時、実際の当選確率にするようにいかにつくりこむかということがどれだけ難しいかということになるのであろう。

                 風俗とパチンコ

 日下部は、今までに、風俗やパチンコなどに走ったりした。それも、離婚してからのことであり、離婚するまでは、まったくなかったことだった。
作品名:自己バーナム 作家名:森本晃次