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自己バーナム

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「診療が終わり、受付あるいは、会計に行って、治療費を払った後、処方箋を貰って、調剤薬局にて、処方してもらい、そこで、薬代を払う」
 というシステムになっている。
 パチンコの、
「三店方式」
 とはまったく違う理由なのだろうが、今では、分業制になっているのか、会計などが、医療法と、薬事法によって違うものがあり、税金などに影響しているからなのか分からないが、そんなところではないだろうか?
 特に、政府は、
「自分たちが楽になるように、システムを変えるのが好き」
 だからである。
 そのくせ、どこかの厚生労働省のように、
「年金を消した」
 などということをやってのけたりするのだ。
 何と言っても、その原因が、
「ずさんな管理」
 であり、それが何人にも積み重なったせいで、社会問題になったのだ。
 それでも、懲りずに、今でも、ずっと昔からの、
「悪しき習慣」
 を繰り返すことで、
「まったく反省していない」
 と言われるようになるのであった。
 そんな政府であったり、役所仕事がどれほど情けないものなのかということは、分かり切っているのだ。
 役所というところ、正直、
「いつも問題を起こしている」
 という印象がないでもない。
 そういえば、以前、
「世界的なパンデミック」
 において、社会問題になったことがあった。
 あれは、確か、
「間違って一人の人に、街中の補助金を振り込んでしまった」
 ということであった。
 振り込んだのは、
「二重振り込み」
 であって、本来振り込まれる人のところには普通に振り込まれていた。
 だから、その時、損をしたのは、役場だったのだ。
 だが、役場が損をしたということは、そもそも、その補助金というものがどこから出ているのか?
 ということである。
 そのお金は、
「街の予算」
 から出ているのだ。
「じゃあ、街の予算って、どこから来るのか?」
 というと、それは、税金なのである。
 そう、いわゆる、
「市県民税」
 というものが、
「街の予算」
 となるのだ。
 もっといえば、街の人が汗水たらして働いたお金からの税金が使われたということである。
 これは、街としては、大きな問題だった。
「税金のムダ遣い」
 どころか、ずさんなやり方で、取られてしまったわけだ。
 取られたというと人聞きが悪いが、
「街がお金をあげた」
 ということになる。
 それは、当然返してもらうべきお金で、その金額も数千万円ということだったのだ。
「最初は返すつもりだったが、街の対応が悪かったので、ネコババを考えた」
 というのだから、実際にはどちらが悪いのか分からないが、少なくとも、血税を使われた町民にとっては、たまったものではない。
「それだけの金があれば、少しでも、自分たちのための施設をつくったり、改修してくれる金に使う方が、どんだけいいか?」
 ということである。
 しかも、金をもらった人間は、
「仮想通貨」
 に変えるという形で、どうやら、
「海外カジノに手を出して、使ってしまった」
 ということを言い出したようだ。
 残っていれば、返却義務はあるが、使いきってしまったというと、それを証明するすべがないのだった。
 何と言っても、
「海外のカジノなので、日本の法律が通用しない。個人の資産の開示など、よほどの罪でもない限り、してくれるわけはない」
 ということを分かっていての、確信犯であった。
 きっとそのニュースを聴いた時、国民のほとんどは、
「汚いやつだ」
 と思ったことだろう。
 確かに、
「街側の対応が悪かった」
 というのは、ウソではないだろう。
 しかし、だからといって、街の人間の血税を、ネコババしていいというのは、理論にあっていない。
 それを考えると、
「この男のあからさまなやり方は、誰が見ても、容認できることではない」
 ということであろう。
 だが、事件は急転直下で、何と、海外カジノから、そのお金が街に帰ってきたというではないか?
 何がどうなったのか、正直分からなかったが、ハッキリ言って、
「正義のため」
 ということではないだろう。
 それぞれに、思惑や計算があって、こういうことになったのだろうが、その後もいろいろもめていたようだった。
 実際に、いいのか悪いのか。なかなか難しいことである。
 まぁ、そんな問題とは別に、同じ、
「正解的なパンデミック」
 の時期に、渦中のパチンコ屋という業種で問題になったことがあった。
 というのは、いわゆる、
「第一回目の、緊急事態宣言下」
 でのことであった。
 あの時は、
「基本的に、インフラであったり、薬局、スーパー、コンビニなどの生活必需品を取り扱っているところ以外は、休業要請を全国で実施する」
 というものであった。
 一般企業、飲食店。学校なども、
「軒並み休業」
 ということになったのだった。
 そのかわり、補助金が出るというものであったが、正直、
「そんな雀の涙ほどで、やっていけるわけはない」
 というところがほとんどだったが、一部には、
「補助金が一律」
 ということもあって。普段は店を開けていても赤字になりそうな店が、
「店を閉めることで黒字」
 ということになるのだから、
「実にありがたい」
 ということであった。
 しかし、ほとんどの店、
 特に、
「客がたくさんいないと、やっていられないという店。都心部の家賃だけで、かなりのものになるところなど、本当に客が来てなんぼ」
 というものであった。
 さらに、
「一日、売り上げが百万以上なければ、赤字」
 というようなところは、一か月、数万円などという補助金など、あってないようなものだ。
 それであれば、
「どうせ、要請しかできないのだから、店を開けてもいいじゃないか?」
 というところも多かったようだ、
 実際に、店を閉めることができなかったところで、
「性風俗の店」
 であったりは、確かに相手いた。
 一度タクシーに乗った時、タクシーの運転手から、
「あの頃は毎日、2,3人の客がいればいい方だったけど、駅で待機していると、朝、繁華街にいく女の子がいるんですよ」
 と言っていた。
 どうやら、それが性風俗に女の子のようで、
「客として乗ってくれるのだから、神様のようなものですよ」
 ということであった。
 風俗の店は確かに、痛かっただろうが、実際に来る人に、それほど怖いという意識のある人はいなかったような話だった。
 本当はその方がもっと怖いはずなんだが、それでも、客として来てくれるだけでもよかったというのだ。
「どうせ、客が来なくて、店を閉めても、開いていても、結果、大きな借金を背負うことになるのであれば、モラルに背いても、店を開ける方がなんぼかいい」
 ということであった。
「このままなら、首を括らないといけない」
 ということであれば、
「病気で死ぬかも知れない」
 と思うよりも切羽詰まっているのだから、
「そりゃあ、店を開けるわな」
 ということである。
 店を開けるというのも、しょうがないということであり、
「性風俗に関しては、しょうがないところがあるのでは?」
 と考えてしまうのであった。
作品名:自己バーナム 作家名:森本晃次