記憶喪失の悲劇
「ええ、そうですけど、よく分かりましたね?」
というと、
「うふふ」
と、含み笑いではあるが、愛嬌のある笑顔にすっかり、緊張の糸がほぐれてきた。
これも当たり前のことである。当然、スタッフ側も、先輩と一緒にきた三十郎で、前に先輩が予約する時、彼女を予約してくれたのだから、当たり前といえば、当たり前のことだった。
「あらためまして、みなみといいます」
と、彼女は源氏名を言った。
源氏名というのが、彼女たちのいわゆる、
「芸名」
であるということは分かっていた。
そして、スタッフからも、
「ご予約は、みなみさんで間違いないですか?」
と何度も聞かれているので、すっかり、
「みなみさん」
という女性にイメージは沁みついていた。
もちろん、宣材写真も見ているのでイメージはあった。
女の子によって、どこまで顔を出すかというのは、それぞれなのだろうが、彼女は、唇だけ隠して、目は出していたので、イメージも分かっていた。
いかにも、
「童貞キラー」
と言われる、
「お姉さま風の女性だ」
というイメージでいて、しかも、初対面から、どこか塩対応を感じたことで、
「ちょっと、気を引き締めないといけないか?」
とばかりに、
「叱られないようにしよう」
と考えたほどだった。
先輩も最初から言っていた。
「俺も最初は、先輩に連れてこられたけど、次からは一人だったので、一人デビューの時は、相手の女性から、いろいろしきたりのようなものを教えられたものだったよ」
と言っていた。
まさにその通りで、その話は後日談になるのだが、この日は、まずは、
「みなみ嬢」
にお任せするということでの、
「まな板の上の鯉」
ということであった。
みなみ嬢は、とにかく優しかった。
気を遣ってくれていることが、身に染みて分かるような気がして、それが嬉しかった。
そもそも、三十郎は、それほど、人の優しさに触れたことがないと思っている方だったが、それは、きっと
「自分は、人の気持ちに気付かないタイプなのではないか?」
と思っていたからであった。
好きな人ができても、相手が、
「自分に気を遣ってくれている」
という意識が見られなければ、次第に冷めてくるところがあった三十郎であったが、最近ではそれを、
「俺って、どうしても、見返りのようなものを求めているからなのかも知れないのかな?」
と感じるようになったからであり、それは、反省材料ではあった。
しかし、逆にいうと、それができないということは、
「自分が本当にそこまで、本当にその人のことを好きになったわけではないのか?」
と感じていると思うようになっていた。
「半分当たっている」
と考えるようになった。
確かにその通りなのだろうが、
「最初に好きになった」
という気持ちに変わりがあるわけではない。
だから、
「半分は、当たっている」
と思うが、
「半分も、違っている」
ともいえるのであった。
もっといえば、
「俺はこれまでに、本当に好きになったといえる人、ちゃんといたのだろうか?」
とも思えて、そういう人は、もし、一度冷めたり、別れたりしても、後悔ではないが、その人への想いというのは、残っているものではないかと思えるのであった。
今回、相手をしてくれている、
「みなみ嬢」
も、冷めた言い方をすれば、
「お金が絡んでいるから、優しくしてくれている」
と思っている。
それでも、お金を払って、一定時間、最高に尽くしてくれる時間を与えてくれるのであれば、
「それも悪くないのではないか?」
と思うようになった。
「結局、恋愛だと思っていても、見返りを考えたりするのであれば、同じではないか?」
とも思えるのであった。
そう思うと、先ほどまでの緊張は、少しずつほぐれてくるような気がした。
緊張がなくなったわけではないが、それよりも、心地よい気持ちは、
「まるで、宙に浮いたような感覚で、どうにでもしてほしいという感覚は、まさに、快感という言葉にふさわしい時間帯だ」
といってもいいだろう。
身体を、彼女の手が這うだけで、まるで電流が走ったような気がして、身体が反応してしまう。
それを、まるでいたずらっ子のような目をする、
「みなみ嬢」
は、妖艶な笑みを浮かべて、こちらを、あくまでも、下から見上げる様子は、却って、三十郎の、サディスティックな部分を目覚めさせる結果になったのかも知れない。
攻守交替して、三十郎が責めに回ると、
「待ってました」
とばかりに、
「みなみ嬢」
は、三十郎に身を任せている。
「あぁ」
と時々、切ない声を上げる。
その声が、耳に当たって、
「湿気を帯びた空気って、本当にあるんだ」
と感じさせるのであった。
湿気を帯びた空気というのは、肌にまったりとまとわりついてくるもので、心地よさと一緒に、
「けだるさ」
のようなものを、同時に感じさせるものだ。
だが、そのけだるさは、決して鬱陶しいものではなく、
「これから、何度でも味わうことになるのだろうが、その都度飽きの来るものではないと言い切れるだろう」
と思えるものであった。
今は、肌と肌が触れ合っていることで、相手の体温を感じ、
「自分だけが熱くなっているのではないか?」
と思っていたことが、気のせいだと思うと、
「あぁ、彼女も俺に感じてくれているんだ」
と思うと嬉しくなってくる。
お金が絡んでいようと、
「仕事だから」
ということであろうと、
「彼女は俺で感じてくれているということは、紛れもない事実なんだ」
ということであった。
そう思うと、三十郎の指も、
「みなみ嬢」
の肌を這っていた。
「あぁ」
と、お約束の喘ぎ声が聞えた。
「本当に感じてくれているんだ」
と思うと、その快感に酔いしれる自分を感じると、
「俺も、我慢できなくなってくるじゃないか?」
と、快感に酔いしれるだけでは、済まされないということを、感じてくるのであった。
「みなみ嬢」
は、自分が責められている間でも、男の身体を絶えず触り続けている。
それは、あくまでも、
「絶えることのない探求心」
からなのか、必死になって、何かを探しているようだった。
それは、きっと、
「どこをどう刺激するか?」
ということを、必死になって、探っているということであろう。
「男というものを、いかに貪るかということは、女の本性」
であり、それを感じる男も、同じようにしたいと思うのは、
「男の本質だ」
と言えるのではないだろうか?
男というものを、いかに感じるかということは、男にとっても、
「願ったり叶ったり」
であり、逆に
「女の本質、男の本性」
だともいえるのではないだろうか?
「オンナは、快感をいつまでも、保ことができ、何度でも、絶頂に達することができ、さらに、男の何倍もの快感を得ることができる」
と聞いたことがある。
最後の比較という部分は、比較対象になるものを、感じることができないということで、
「どこまでが本当なのか?」
ということになるのだろうが、その時の、三十郎は、その言葉を聴いても、
「信じて疑わない」