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邪悪の正体

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 と嘆くしかない状態に、自分の運命を感じる親友だったのだ。
 親友としては、
「かすみさえいなくなってくれたらな」
 と思うようになったのも事実なのだが、それを思ったことが原因なのか、その親友が見ている前で、かすみは、交通事故に遭った。
 もう少しで、車の下敷きになるところだったが、うまく身体をひねったことで、何とか助かったのだ。
 ただ、この時は本当に偶然であり、しいていえば、
「反射神経のなせるわざ」
 ではなかったか?
 ということはいえただろう。
 それでも、親友からすれば、
「私が変なことを思いさえしなければ」
 という自己嫌悪に襲われていた。
 実は、かすみも、人を憎んでよく自己嫌悪に陥ることが多かったので、同じように、自分を憎むことが少なくなかった。
 結局、お互いに、
「似たところがある二人だ」
 といっていいだろう。
 そんな親友のことを、一時期、
「許せない」
 と思っていると、少し冷静になってきてから、
「私は何に、こんなに怒っているんだろう?」
 と思うようになってきた。
「男に対しての、未練はないはずだった。もちろん、腹が立っているので、怒りがこみあげてくるというのはあるのだろうが、それ以外に、何かムズムズしたものを感じていた」
 と言えるだろう。
 それが何なのか分からないので、腹が立つのを、親友のせいにして、自分の中途半端な気持ちに無理矢理にでも、正当性を結び付けようとしていたようだった。
 そんな思いがあるからか、親友に対しての気持ちを少しで和らげると、
「あの男」
 を思い出してしまうのだ。
 それも、最初の、
「優しかった頃」
 のあの男をである。
「憎んでいるはずなのに」
 と思うと、余計に忘れられなくなるのだ。
 そんな思いは、かすみに、
「自己嫌悪」
 と、
「怒り」
 を感じさせる。
 その怒りが誰なのか?
 ということになると、実際の怒りの矛先が誰になるのか、分からなくなってしまうのだった。
 そう思うと、急に意識が遠のいていく自分を感じた。
 そして、何かを思い出しそうになり、思い出そうとすると、
「激しい頭痛」
 に襲われるのだった。
 その頭痛というのは、
「昔、テレビで見た記憶喪失の人が、記憶を引っ張り出そうとしていると、それを妨げる激しい頭痛がしてくる」
 というその光景を思い出したのだった。
 記憶を失った人が、思い出そうとすると、頭痛がするというメカニズムを、その時、まだ少女だったかすみだったが、少女なりに考えたことは、今から思っても、的を得ていることだったように思えるのだった。
 というのも、
「記憶を失うということは、それだけショッキングな経験をしたからであって、わざと、
「忘れよう」
 としているのだろう。
 それを思い出そうとするのだから、当然、
「生みの苦しみ」
 のようなものがあり、思い出すためには、どうしても、避けて通れないものがあるのだということになるのではないだろうか?」
 ということであった。
「生みの苦しみ」
 というのは、少々大げさであるが、
「これくらいの大げさな表現でないと、この本当の苦しさは理解できないものではないか?」
 ということであった。
 かすみにとって、たまに起こる頭痛。それは、
「記憶の中から出てきそうで出てこない記憶であるが、今なら、少々の苦しみであれば、我慢できれば、思い出せるような気がする」
 ということで、わざと、自分で、思い出そうとして試みるということをしているのであろう。
 それを思うと、本当に、
「自分を抑えることができなくなりそうな気がする」
 ということであった。
 そんな状態で、一度だけではなく二度までも、おかしなことに巻き込まれたことで、記憶喪失状態を引き起こすことになると、そのうちに、二重人格だと思っていたことが、
「実は、躁鬱症ではないか?」
 ということになったのだ。
 というのは、かすみが、一度交通事故に遭ったことがあった。
 後ろから走ってきた車に引っ掛けられたという状態で、そのまま衝撃で信号機の柱に打ち付けられ、そのまま倒れたことがあった。
 その時、記憶喪失を発症したようで、病院で、精神科の先生に、記憶喪失の催眠療法を行ってもらっている時、
「どうもおかしい。普通の催眠療法がどうも聞いていないようだ」
 ということが医者に分かったようだ、
 医者がいうには、
「二重人格か、躁鬱症の状況がなければ、このように、催眠療法が効かないということはないはずなんだが」
 ということであった。
「じゃあ、どちらの可能性が高いんですか?」
 と、外科の医師に言われて、
「うーん、今のところ、どちらともいえないですね。少し状況を見てみないと」
 と、精神科医は、そういうのだった。
「先生、どうなんですか?」
 と、数日経ってから、精神科医は聞かれた。
 黙っていると、外科医師が痺れを切らしたように、
「まあ、今のままだと、ケガの方もそれほどのこともないので、あと数日で退院させることになりそうなんですが、このまま退院させていいんですか?」
 というので、
「分かりました。明日私の方で、少し調査してみましょう」
 ということで、翌日、外科医に言われて、
「ちょっと、申し訳ないんですが、神経科医の方に行っていただけますか?」
 と、外科医師に促されるままに、かすみは、精神科医の扉を叩くことになった。
 精神科医は、彼女に何枚かのカードを見せてみたり、催眠術をかけるように、振り子を動かしてみたりした。
 そのうち、実際に催眠術にかかってから、その先は、いつものような、夢の世界に入りこんでいた。
 かすみは夢の中の意識で、
「この夢は覚めずに覚えている」
 というような気がした。
 ということは、
「私はこの夢を悪いことのように感じているのかも知れない」
 と感じたが、もし、医者のいうように、
「二重人格」
 なのか、
「躁鬱」
 なのか?
 と聞かれると、
「躁鬱の方が病気であり、そっちの方が、永遠に続いていきそうで、怖いのだった」
 ということを考えると、
「やっぱり、躁鬱症か?」
 と考えるようになった。
 躁鬱症というのは、大まかにいれば、それぞれの症状を、周期的に繰り返すものであり、なかなか、そのスパイラルから抜け出すことはできない。しかし、何等かのきっかけで、急に抜け出すこともできるようで、
「その分、タイミングを計るのが大変なのだ」
 ということだ。
 こういう病気を持っている人は、自分でも、分かっていて、対処法も、
「本能で身についている」
 ということが分かっているようだ。
 結構内容が分かっているので、それ以上、どうしていいのか分からない。
「先が見えている現象」
 といってもいいのかも知れない。
「躁状態から鬱状態」
 あるいは、
「鬱状態から躁状態」
 というのを繰り返すのだが、どちらかは、大体、いつ頃に変わるかということを、自覚できるものだというのが医者の話であった。
 分かったからといって、それが、どのように影響したり、自分のためになるかというのは、最初は分からなかった。
 しかし、
「病を知る」
 ということが、
作品名:邪悪の正体 作家名:森本晃次