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邪悪の正体

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 といってもいいだろう。
「儲かることを見越しての資金投入であり、もっといえば、それが仕入れのお金ということになるのだ」
 ということは、
「儲けがなければ、在庫になってしまい、仕入れた分のお金を返せなくなる」
 ということになる。
 もし、仕入を加工せずに販売できるものだとすれば、ワンチャン、
「返品」
 ということも考えられるが、基本、
「仕入れを加工せずに販売するものは、返品不可だったりするものが多い」
 ということであろう。
 賞味期限がながかったり、そもそも、そんなものがなく、老朽化だけの問題だったりする非食品などは、そんな返品不可だったりするだろう。
 そうなると、最初でつまずくことになる。
 だが、バブルの時代は、それでもうまく行っていたわけだから、今の時代しか知らない人からみれば、
「夢のような時代だった」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
 同じ自転車操業でも、
「バブル期と、それ以外の時期では、天と地ほどの違いがある」
 といってもいいだろう。
 そんな時代において、考えてみれば、
「誰も、バブルの崩壊というものを予想できなかったのか?」
 ということになるのだ。
「ひょっとすると、想像がついていた学者も結構いたかも知れない」
 しかし、それらの人は皆、
「政府かどこかの団体から、緘口令が敷かれ」、
「そんなことを言えば、世の中が混乱してしまう」
 ということで、誰も気付かないふりをしていたのかも知れない。
 そうだとすれば、緘口令を敷いた連中の罪は大きい。
 特に、
「銀行は絶対に潰れない」
 などということを言っていた連中にどれだけの罪があるというのか?
 それは、同じ平成でも、それから10年後くらいに起こったことで、政府の体制で、
「福祉や、年金などは、100年大丈夫だ」
 といった当時は人気があった政治家がいたが、実際には、10年もしないうちに破綻したということもある。
 さらに、同じ神話ということであれば、関西の震災の時、
「高速道路は、少々の地震では大丈夫」
 あるいは、東北の震災では、
「原発は大丈夫」
 と言われていた神話がことごとく崩れたではないか?
 確かに、
「想定外の大地震だった」
 といってしまえばそれまでなのだが、本当にそれだけでいいのだろうか?
 起こってしまったことは仕方がないとしたとしても、
「これから起きないようにいするにはどうすればいいか?」
 ということが大切なのである。
 実際に、関西の地震の後、
「耐震構造の見直し」
 ということで各自治体でいろいろ調査したが、そのほとんどが、どうしようもないものだったりして、結果として、ひどいものだった。
 だから、
「今後はそんなことのないように」
 ということで、しっかり検討し、耐震構造に乗っ取った対策を取ったはずなのに、十数年経って、今度は、関西で地震が起こると、
「なんと、耐震構造に達していない」
 ということで、
「崩れた建物があり、その下敷きになって、人が死んでしまった」
 という事件が起こった。
「同じ関西でこれはどういうことか?」
 と言われたが、関西なのかどうかということ以前に、
「全国一律で、見直しをやったり、出た結果に基づいて、対策が取られたのではなかったのか?」
 ということは、かつて全国一律で調べた時というのは、
「本当は全部調べたわけではなかった」
 ということを意味しているのではないか?
 関西で手抜きは許されないということだろうから、関西でこれでは、他の地域など、
「ほとんど、調査をしていないのではないか?」
 といっても過言ではないだろう。
 それを考えると、
「自治体というもの、政府というものが、どれほどいい加減か?」
 ということが分かるというものだ。
 ひょっとすれば、
「あの地震が、あまりにも想定外だったので、あれだけでかい地震なら、言い訳が聴くだろう。そういう意味では、今くらいでも、ちょうどいいのではないか?」
 ということで、再調査は、ほとんどいい加減だったのかも知れない。
「人の命を何だと思っているんだ?」
 と言いたい、
 しょせんは、金儲けの道具でしか、人を見ていないから、そういうことになるのではないだろうか?
 ということで、これは、あくまでも、政治にかかわることで、個人間ともなると、もっとドロドロしたものが蠢いているのかも知れない。
 そんなことを考えていると、
「世の中というものを、どのように考えればいいのか?」
 ということを考えさせられる。
 非常に、仰々しい発想だが、これは、かすみのくせとして、まずは、目の前のことを中心に考え、それによって、まわりを見ていこうとするよりも、逆に、一度全体を見ることで、どんどん、狭めて行こうと考えるところがあるからだ。
 その発想は、
「減算法」
 と、
「加算法」
 という考え方から、成り立っている。
 加算法と減算法では、
「加算法の方が攻撃的で、減算法の方が、防御に徹している」
 と、一般的に考えられるように思うのだが、かすみとしては、その逆で、
「減算法の方が、攻撃的だ」
 と思っているようだ。
 なぜなら、前に聴いた話であるが、
「将棋の隙のない布陣というのは、どういうものなのか分かるかね?」
 と聞かれた人が、
「分らない」
 と答えると、
「最初に並べた形なんだよ。一手差すごとに、そこに隙が生まれる」
 ということであった。
 つまりは、最初を満点と考えると、完全な減算法ではないだろうか?

                 鬱状態の時

 そんなかすみだったが、あれはいつだっただろうか? 高校3年生の頃だったか? 予備校に通っている時、再度、あの時の、
「正夢」
 を思い出すことになったのだった。
 というのも、
 ちょうど、予備校からの帰り道、実は以前の記憶のその部分が消えていたのだが、その時、どうやら、
「後ろから近づいてきた男に悪戯されそうになった」
 ということだったらしい。
 しかし、実際には何もされた形跡はなかったのだが、ただ、後ろから羽交い絞めにされて、どこかに連れて行かれそうになったところを、ちょうど巡回していたおまわりさんに助けてもらったということであった。
 おまわりさんは一人だったので、かすみを介抱するだけで、男を捕まえるだけの余裕はなかったという。
 ただ犯人は、後から捕まったことと、
「その時、かすみを一人置いてしまっていたら、そのトラウマはひどかったに違いない」
 という、医者の話から、この判断に間違いはなかったのだ。
 けがをしているところはなかったが、医者の話では、
「彼女は、少し精神疾患の予備軍みたいなところがあるので、神経を使ってあげなければいけない相手なんですよ」
 ということであった。
 それを聴いて、警官は、
「それじゃあ、私の判断は間違っていなかったと?」
 というと、医者は、黙ってうなずいた。
作品名:邪悪の正体 作家名:森本晃次