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邪悪の正体

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 ということになるのだ。
 それを考えると、
「自由というものをどのようにはき違えるのかということが、運命を変える」
 といっても過言ではない、
 自由というのは、そうやって考えると、
「誰かの犠牲の上で成り立つというのは、おかしなことだ」
 ということになり、
「本当の自由なるものが、存在するわけもない」
 と考えられるのではないだろうか?
 自由という言葉であるが、その考え方には、一つの、
「結界」
 のようなものがあると思っている。
 これは、
「広義の意味」
 あるいは、
「倫理的な意味」
 でということでの話になるのだが、 
「人に迷惑を掛けるかどうか?」
 という言葉ではないかと思うのだ。
 つまり、
「人間というのは、生きているだけで、息をしているだけで、誰かに迷惑を掛けている」
 と言われている。
「だったら、無人島で暮らせばいいのではないか?」
 と言われるだろうが、そうなると、今度は、
「自由という言葉の範囲」
 というところに話が及んでくるということになるのだ。
 というのは、
「無人島だと、確かに他人には、迷惑を掛けないだろうが、生きていくには、食べなければいけないわけで、そのために食料になるものを食することになる」
 というのだ。
「ジャングルに深く分け入って、植物だけを食すればいいのだろうが、それだけで済むわけもなく、動物性たんぱく質や、脂肪の必要なので、狩猟も必要となるだろう」
「だったら、動物の自由はどうなるのだ?」
 ということになる、生き物ということであれば、植物にまで言及もできるだろう。
 そうなると、食べるということだけで、まわりの生き物の自由を奪っているということになる。
 もちろん、これは究極の話であるのだが、
「それを考えると、どこまでの迷惑を考えるかということも、大きな問題となってくるのではないだろうか?」
 だとすれば、
「他人に迷惑を掛けない自由というものもあるのではないか?」
 ということになるのだ。
 もし、他人や、他の動物の自由を奪ってはいけないのだとすれば、
「そもそも、自由というものはありえない」
 ということになる。
 だから、自由というものの存在を認めるということは、
「人に迷惑を掛ける自由が存在する」
 ということになる。
 逆にいえば、
「人に迷惑をかけないということがありえないのだから、自由を認めるということは、人に迷惑をかけない自由が存在する」
 という理屈にならないわけはないということになるのだ。
 問題は、この
「迷惑」
 という範囲であるが、
「例えば、人と一緒にいるだけで、相手の貴重な時間を奪っている」
 といってもいいだろう。
 それを、迷惑と捉えるか捉えないか?
 ということになるのだが、迷惑ではないとすれば、掛けられた本人が迷惑と思っていない場合によるのだろうが、人によっては、迷惑を感じる人もいるだろう。人によって違う場合は、その時々のシチュエーションで分けるということになるのだ。
 それであれば、最初から、そんな面倒臭い発想をしなければ、得られない自由ということであれば、
「最初から、自由など存在しない」
 と考えた方がいいだろう。
 だとすると、我々が自由と思っているものは、定義としての自由ということと、かけ離れているということになるのだろう。
 ということになれば、
「人に迷惑を掛ける自由は存在する」
 というよりも、
「自由の存在を肯定するのであれば、人に迷惑を掛けるものしかない」
 ということになる。
 そうなると、その度合いが問題となり、自由を主張する人間は、その度合いも理解していないと、自由を主張する権利も資格もないということになる。
 それを考えると、かすみは、自由というものが分からなくなっていた。
 その頃からかすみは、自分が、
「どうも何かおかしい」
 と感じるようになっていた。
「何がおかしいのか?」
 ということはハッキリしないが、
「テンションがまったく上がらない日」
 と、
「テンションが上がりすぎるのだが、そこに意味はなく、一日が終われば、無駄に疲れている」
 という日があるのだった。
 最初は、感覚が短かったのだが、途中からその感覚がどんどん長くなっていき、気が付けば、それぞれに、数週間という、
「適度な期間の定期的な感覚」
 ということになってきたのだ。
 さすがにこれくらいの感覚になると、テンションが下がってきた時は結構きつい。
 朝起きるのも億劫で、体調が悪くなる。
「眠りが浅いから、疲れやすくなる」
 ということは分かるのだが、
「なぜ、このようなことになるのか?」
 というのは、ハッキリと分かるものではない。
 それを考えると、
「まずは、病院にいくべきか?」
 と考えるのだ。
 病院というと、まずは、街の精神科に行ってみた。
 先生の話では、
「これは、双極性障害ということでしょうね」
 というではないか?
「双極性障害とは?」
 と聞くと、
「読んで字のごとしで、二つの局面を持った性格ということですね。躁状態と鬱状態。つまりは、躁うつ病というやつですね」
 というのだ。
 病名を聴くと、よく聞く、躁鬱症という言葉であったが、正直、ずっと他人事だと思い、逆に、
「そんなやつがそばにいると面倒臭い」
 という本音があったのだ。
 それはそうだろう、
「病気を理由に、あれもダメ、これもダメと言われ、ちょっと話すだけでも、相当に気を遣わないといけない」
 ということになるのだ。
「相手を追い詰めてはいけない」
 あるいは、
「相手を怒ってはいけない」
 さらには、
「相手を否定してはいけない」
 などと、相手が焦ったり、不安になるようなことをすると、パニック障害を引き起こしたり、癲癇を引き起こしたりすることになるからだろう。
 実際に、街を歩いていて、一人の男性が、道端に横になって、痙攣をおこしているのを見たことがある。
 交差点に差し掛かるところだったので、たくさんの人がいたが、皆ビックリして、誰も何もできなかった。
 もっとも、知識のない人間が、迂闊なことができないのも当たり前のことで、せめて救急車を呼んであげていたが、せめてそれくらいのことしかできないのであろう。
 実際に、救急車はすぐに来て、救急隊員がそそくさと出てくると、群衆は蜘蛛の子を散らすように、道をあけ、その状態を見守っていた。
 中には、
「今度自分がその場面に達した時、自分もてきぱきとしなければいけない」
 という思いの人もいるだろう。
 さすがに、この場面に遭遇した人は、
「癲癇というのは、話には聞いたことはあるが」
 という程度の人がほとんどで、だからこそ、
「そんな場面に出くわすという偶然は、そんなにないに違いない」
 と思っているに違いない。
 だが、果たしてそうだろうか?
 実際に、ここにいる人は、皆同じようなことを思っていたはずなのに、
「出くわしてしまった」
 と感じている。
 そう思うと、
「次は、自分が何とかしなければいけない場面になる可能性だってあるのだから、今回の状況をしっかり把握しておき、次回に備えようと思うからこそ、皆その場から立ち去ることができないのだろう」
作品名:邪悪の正体 作家名:森本晃次