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邪悪の正体

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「記憶の共存が許されないとすれば、どちらの記憶が自分にとって本物だということにするか?」
 ということを迷うだろう。
 しかし、思い出すまで、
「もう一つ、記憶がある」
 としても、
「それを思い出すことは、自分にとっていいことなのかどうか?」
 ということを考えさせるので、無意識に、思い出していいものかどうかを感じているので、思い出すことを拒否する自分がいることで、
「頭痛に襲われるのではないだろうか?」
 と考えられるのだった。
 つまり、
「頭痛というものが、自分にとって、正当性のようなものの証明である」
 と考えると、
「記憶を取り戻すことは、今の記憶を失うのではないか?」
 ということの証明なのかどうか分からないが、少なくとも、
「今の記憶を失うかも知れない」
 ということを考えている-、
 という証明なのだろう。
 だから、人によっては、
「自分が記憶を失っている」
 ということを分かっていないともいえる。
 分かっているのかも知れないが、認めたくない思いによって、起きるジレンマが、自分を苦しめるのだと考えると、
「苦しむよりも、事実を隠滅したい」
 という気持ちになったとしても、無理もないことであろう。
 それを考えると、
「失った記憶を取り戻したくない」
 あるいは、
「取り戻した記憶の代償が、どのようなものなのか?」
 と考えれば、それが、
「羞恥のことなのかも知れない」
 と考えるのだった。
 羞恥心というのは、
「身体の反応に影響するものだ」
 と言える。
 性的反応によって起こる心境は、まず最初に、襲ってくる、羞恥心によって、
「変態的発想なのではないだろうか?」
 ということを感じるので、その内容が、
「いかに犯罪にかかわることであるかも知れない」
 と感じることで、
「自分がいかに羞恥心に痛みを感じることになるのだろうか?」
 と考えるのだった。
 鬱状態になると、音楽を聴くと、
「かなり精神的に楽になっている」
 と言ってもいい。
 どんな音楽がいいかということは、その時の気分によるのだが、最近、好きなアーチストの音楽を聴くと、安心できるので、よくその音楽を聴くようになった。
 だが、かすみは、その音楽を聴くと、思い出す人がいた。
 その人が好きだという気持ちに変わりはないだけに、
「その人は自分をどういう気持ちで見ているのか?」
 と考えたが、相手が、自分のことをどう考えているか?
 と思うのだが、好きだと思っていることが、ウソかも知れないと感じるのだった。
「クラシック音楽」
 は、西洋風だと思っていると、それだけではないかも知れない。
 日本風の建物、神社やお寺、お城を見ながらでも、クラシックの音楽は、心地よく聞こえ、旋律が、好きな人の顔を思い起こさせるのであった。
 冷静になると、クラシックの音楽が、その男性を思い出させることで、プレッシャーを感じることになるだろう。
 クラシックと言っても、交響曲のようなものから、ピアノ曲などの音楽までもが、一度聞き始めると、毎日でも聞いていないと、我慢できないのだった。
 クラシックというと、どうしてもイメージされるのが、
「月」
 だった。
 実際に、月というものは、
「暗い中に、明るさが滲み出ているような感じ、宇宙を思わせる中で、月の明かりを見ていると、明るさに照らされていると、月光がいかに明るいかということを感じさせるのであった」
 月というと、西洋であれば、
「オオカミ男」
 のように、満月で、オオカミに変身する人間であったり、日本では、
「竹取物語」
 のように、
「月のお姫様が、日本の竹の中から生まれて、成長した姫が、今度は月の世界に帰る」
 というお話で、
「一瞬、何を言いたいのか?」
 ということが分からない話であったが、日本最古と言われるような話が、宇宙に関係しているというのが、おかしな気がしてくる。
「絶世の美女」
 ということで、求婚者がたくさん駆けつけるということであったが、考えてみれば、平安時代当時というのは、
「男性が夜這いを掛ける」
 という形が主流であり、
「和歌」
 などでも、男性が忍んでいくという話が主流だったので、竹取物語というのも、その通りに、求婚者が押し寄せたというのも、分かるというものだった。
 月光によって、見えている影の長さが、しばらく見ていると、影が足元から、放射状に延びているのを感じた。
 歩いていると、それが、円を描くように。クルクル回っているのだが、下手をすると、
「負のスパイラル」
 を感じさせるものであった。
 月光のように光が反射し、影が見えているのを感じると、
「光を感じさせない」
 というものが、どのようなものなのかと考えると、
「暗黒星」
 を思わせるのだった。
「星というものは、自らが光を発するか、あるいは、光を反射させることで光っているように見せるものだということであるが、ある天文学者が、創造した星で、自らは、光を発しないという、邪悪な星がある」
 というのだ。
 その星は、そばにいても分からない。ぶつかるかも知れないと思っただけで、これほど恐ろしいものもない」
 というわけである。
 そんな、
「暗黒星」
 と呼ばれものは、実際に、この世に存在するのだろうか?
 他の星とは、隔絶された存在、それが、
「暗黒星」
 である。
 ただ、そのような星が本当にあるとして、その存在が本当に、
「なくてはならない存在」
 であろうか?
 そういう意味でいくと、レズのような関係であっても、さらには、躁鬱症のような関係であっても、それぞれに、両極性というものを持ったもののような気がする。
 というのも、
「レズという関係は、どちらかが、男役を演じることで、性行為の疑似化ができるというもので、いつも、男約と女役が決まっている場合だ」
 とは限らないだろう。
 だから、レズの関係としても、躁鬱症の場合も、
「双極性」
 と呼ばれるくらいに、躁状態と鬱状態のそれぞれを持っていることになる。。
 それを考えると、
「暗黒星のように、他の星とまったく隔絶された状態の星も、他の星とはまったく違うという意味で、その両極性というもの」
 であったり、
「本当に、必要なものなのかどうか? 考えさせられるものだという意味で、後の二つと似通っている」
 双極性障害というのは、
「病気だから、しょうがない」
 と言われるかも知れないが、果たしてそうだろうか?
「確かに、病気だから仕方がない部分もあるだろうが、本人が自覚していなかったり、諦めの気持ちを少しでも持ってると、救うことができなくなるのではないか?」
 と言えるだろう。
 それは、記憶喪失の時に感じることであったが、
「記憶を失っている間に生まれた記憶というものが、記憶が取り戻してしまうと、その部分が欠落する」
 ということであれば、どうなるというのだろう?
 というのも、
「記憶を失っている間にできた記憶は、リセットされるということであれば、その時に行ったことは、すべてがなかったことになる」
 そうなると、まるで、未成年によって、なされた契約は、取り消すことができるというような法律のようではないか。
作品名:邪悪の正体 作家名:森本晃次