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邪悪の正体

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「おこぼれに預かれればいい」
 という程度であろう。
 だから、
「大人の雑誌も、その大学生から巡り巡ってこちらに来たというだけで、これこそ、おこぼれということになるのであろう」
 ということであった。
 友達がもってきた雑誌が、ちょうど、
「レズビアン特集」
 というものだった。
「こんなもの、男性は喜んでみるんだ?」
 と、かすみは思った。
 それを、友達にいうと、
「男って、レズが好きみたいよ。変態なんでしょうね」
 と言って、笑っていた。
 その友達を見ていると、苦笑いをしているが、毛嫌いをしているわけではないようだ。
「彼女にも、レズの気があるのかしら?」
 と考えて彼女を見ると、最初は、幼く見えていたが、次第に、大人っぽく感じられるから不思議だった。
 そう思って、レズを演じている女性を見ていると、最初の、あどけなさが、次第に大人の雰囲気が感じられるように見えてくると、
「恥ずかしそうにしている様子が、大人の色気を感じさせる」
 という雰囲気を醸し出しているのだった。
「羞恥心というものが、女性を美しくする」
 というのを聴いたことがあった。
 羞恥心という言葉の裏返しとして、
「禁断」
 という言葉が頭に浮かんでくる。
「禁断」
 というと、性的描写には、たくさんある。
「不倫」
 であったり、
「近親相姦」
「幼児凌辱」
 などという犯罪に関係するものもあったりする。
「不倫」
 というと、今は法律違反ではないが、大日本帝国時代には、
「姦通罪」
 という犯罪であった。
 姦通罪というものがなくなったのは、日本における、
「姦通罪」
 というものが、特殊だったからだ。
 というのは、
「女性による不倫は、姦通になるが、男性による不倫は、姦通とはならない」
 ということだったのだ。
 要するに、
「男尊女卑」
 というものであり、
 敗戦によって民主化したことで、
「民主憲法」
 としても、
「日本国憲法」
 に定められた、
「法の下の平等」
 というものに違反しているということであった。
 法の下の平等というと、いわゆる、
「男女平等」
 ということであった。
 さすがに姦通罪のような、明らかな、
「男尊女卑」
 というものは、新憲法下では、明らかに違反ということになるのだった。
 だから、他の国に先んじて、姦通罪が廃止されたのだが、そもそもの法律が、
「悪法だった」
 ということであろう。
 しかし、それ以外は、最初から犯罪だ。
 ただ、近親相姦に関しての考え方は、こちらも、姦通罪と同じで、国ごとに違っている。
 特に、昔の日本などでは、
「1親等では結婚できない」
 というように、直接的な血のつながりでさえなければ、結婚ができるという時代ものだった。
 だから、近親婚が結構続いているというのもうなずけるだろう。
 今の世の中であれば、
「3親等以内ができない」
 ということで、従妹などとの結婚はできるのだ。
「そもそも、どこからが、本当の近親婚になるのか?」
 という境目は、結構曖昧なのではないだろうか?
 国によって解釈が違ったり、同じ国でも、時代によって違ったりする。
 それだけ、
「その国の事情や、都合が影響している」
 ということだろう。
「風俗文化というものへの解釈によって、どのように考えるか?」
 ということになるのだろう。
 今の時代でも、
「同性同士の結婚」
 というものは、物議をかもしているが、できないわけでもない。
 日本でも、
「LGBT」
 などと言われるものがあり、
「性同一性障害」
 などと言われる。
「生まれながらに、肉体と精神の性が、同一でない人」
 というものがあるということが言われるようになり、実際に問題になっていういる。
「大人になるまで、自分は肉体が男だと思っていたが、心の中で、何かおかしい」
 と感じるようになっている。
 だが、
「こんなことを考えるのは、自分がおかしいからだ」
 という考えであったり、
「同性愛の気があるのではないか?」
 と思うことで、自分が変態なのではないか?
 と考えることで、
「そんな自分を許せない」
 と考えるようになるのだった。
 そんな思いがあるのに、
「自分にまさか同性愛の気があるなんて」
 と思うはずないなので、最初から、そんなことは考えない。
 だから、余計に、
「自分が変態では?」
 と思い込むのだった。
「男として、女性に興味がある」
 あるいは、
「オンナとして、男に興味がある」
 というのは当たり前のことであり、思春期には、
「そんな当たり前のことを、当たり前だと思えないほどに感じる時期なのだ」
 ということであった。
 かすみは、レズビアンということに関しては、特殊な思いを持っていた。
 それは、羞恥心の中に、7
「何かがある」
 ということを感じるのだが、それがどういうことなのかが分かっていなかったからだ。
「かすみは、記憶を失っている時期があるというのを意識していたが、その時期を思い出そうとすると、頭が痛くなる」
 これは、記憶を思い出そうとする時の、
「副作用のようなものだ」
 と思っていたが、それに間違いはないだろう。
 ただ、もう一ついえば、
「ここで記憶を取り戻すと、今現在の記憶が消えてなくなるのではないか?」
 ということを考えることで、それが怖くなるのではないか?
 と考えるのであった。
 記憶というものを考えた時、それを意識するためには、言葉通り、
「記憶という空間から、意識という場所に持っていき、そこで、記憶の内容を活性化させることで、意識できるものではないか?」
 と考えるのであった。
 普通の記憶であれば、封印を解くことで、そのまま簡単に意識へもっていき、活性化させることができるはずなのだが、そもそも、記憶が欠落している部分があれば、そこには、
「今の記憶から、遡った、一種の作られた記憶というものが、延長線上に存在しているのではないだろうか?」
 そう思うと、元々あったはずの記憶が、本当は消えてなくなったわけではなく、
「どこか別の場所に格納されているのではないか?」
 ということを考えれば、
「記憶というものが、多重で格納されてしまった」
 と考えるのだ。
 だから、失われたはずの記憶が元の場所に戻ることで、意識を取り戻すことができたとすれば、
「架空という形の延長線上の作られた記憶」
 というのは、
「なかったもの」
 として、考えられることになるのではないだろうか?
 ただ、この記憶は、今の、
「本来なら失われたはずの方の意識が動かしているものであることから、実際に戻ってきた記憶とは共存できるわけではないので、忘却の彼方として、別のところに格納されてしまうので、再度、意識として思い出そうとしても、思い出すことができないのではないだろうか?
 これが、一種の、
「裏の記憶喪失」
 と言ってもいいのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「記憶喪失になってしまうと、記憶喪失の間に意識している記憶は、別の場所に格納されるので、決して意識として取り戻すことはできない」
 と考えられるのではないだろうか?
 そんなことを考えてみると、
作品名:邪悪の正体 作家名:森本晃次