未来への警鐘
ということを言われるだけで、鼻で笑われるということになる。
だが、実際にバブルが弾けると、まず最初に攻撃されるのは、銀行だった。
そもそも、銀行というところは、基本的に、
「金を貸し出して、その利息を儲けとする」
というものだったのだ。
特に、バブルの時代のように、
「回収がほぼ完ぺきに行われていた」
ということであるから、貸す方も気前がいい。
つまり、
「80万年、貸借したい」
と企業が言ってくれば、
「100万円でどうですか?」
といって、余裕のあるお金を貸し出すという、
「過剰融資」
というのが蔓延っている。
すると、
「20万円分の利子が余計についてくる」
というわけで、銀行も儲かるということだ。
しかし、歯車の一つが崩れると、企業がお金を返せなくなってくる。そうなると、
「貸し出した分、すべてが焦げ付くことになり、利子で儲けるなどという状況ではなくなる」
ということになるのだ。
だから、銀行は、そんな貸倒しが膨れ上がり、いわゆる、
「不良債権」
となり、
「借金が焦げ付いて、お金が回らなくなる」
ということになるのだ。
なぜ、そうなるのかというと、
「世の中のほとんどが、自転車操業で成り立っている」
ということだからだ。
「まず儲けるためには、会員を集めたり、顧客になる人を募る必要があるので、宣伝費が必要になり、そのためには、従業員を増やさなければならないので、人件費が必要となる」
というところから、
「集めた会員が、どれだけ買い物をしてくれるか?」
ということのために、いい商品を開発したり、今度は客に宣伝するという、営業活動が必要になってくる。
つまりは、
「売り上げを見越して、宣伝費や人件費などを供出するのだが、最初は赤が続くのが分かっていて、それでも、どこから黒に転じるか?」
ということを見越して、
「長期経営計画」
というものが練られるのであった。
ただ、それも、すべてがうまく絡み合うことで、回っていくのがベストなのだが、そのうちにどこかでひずみが出てくると、経営は一気に、傾いてくる。
さらに、
「どの部分が悪いのか分からない」
ということになると、結果、
「訳が分からないままに、破綻してしまう」
ということになりかねない。
結果として、
「従業員が路頭に迷い、関連会社の零細企業は、一気に連鎖倒産の憂き目にあう」
ということになるのだ。
こんなことは、
「バブル崩壊」
であろうとなかろうと、分かり切っていたことなのだが、
「銀行は潰れない」
などといういくつかの神話というものが、災いしているといってもいいだろう。
「神話が迷信に変わった時」
それに気づいた時は、
「時すでに遅し」
ということになるのだ。
会社からの帰り道で、ちょうど曲がる角から先は、人がほとんどいない。
もちろん、時間帯ということなのだろうが、そこから先を歩いていく人がいないというのは、
「そこから先が、住宅地だ」
ということもあるからだ。
数十年前は、新興住宅地だったところなので、今は、すでに、中年以上の人が、世帯主になっていることだろう。
となると、子供も成長していて、大学生くらいになっているだろうか。
結構、大学のある街に、マンションを借りて住んでいるということが多いかも知れない。
となると、
「皆、移動は車なんだろうか?」
ということが考えられ、だから、
「歩いていて、人に合わないんだ」
と感じるのだった。
治子は、高校時代の友達に、
「親友だ」
と言われて、嬉しかったことを思い出した。
その女の子は、実は彼氏がいて、その彼氏が、
「治子のことを好きだった」
という理由から、治子を、
「親友だ」
と言ったのだ。
「彼氏が好きになった相手が、彼女の親友だということになれば、さすがに、手を出したりはしないだろう」
という考えであった。
治子は、親友に彼氏がいるのは知っていた。そして、その彼氏が自分を意識しているのも分かっていた。だから、親友に対して、
「気まずい」
と思っていたのだし、その思いがあるから、
「親友と、どう付き合えばいいのだろう?」
と思っていたのだ。
まさか、彼氏が、自分に眼が行くようにしないように、自分のことを、
「親友だ」
と言い出したなどと思っていない。
「知らなかったのは、自分だけだったのだろうか?」
と感じるほど、自分が、蚊帳の外に置かれているかのように感じたのだった。
それでも、さすがに、途中から、
「怪しい」
という思いがあったのを分かった。
親友は、何かにつけて、
「あなたのことは私が守る」
というような表現をしていた。
「親友なんだから、それは当たり前のことよね」
ということだと思っていた。
しかし、
「親友というのは、お互いに尊重し合って、相手を大切な人だと思い、相手が悩んでいれば、一緒に悩んであげたり、苦しんであげたり、あるいは、前を向いて歩いていこうとしている人と、覚悟を共有できるものではないだろうか?」
と感じていたのだ。
だから、
「利用するものでもなく、まず、相手の気持ちを分かってあげられる、そんな気持ちになれる相手が親友だ」
と思っているのであった。
そんな親友も、今では大学進学とともに、別の土地に行ってしまい、しばらく連絡が取れなくなっていた。
気が付けば、その時の彼氏とも別れて、今では、一人なのかどうなのか、考えていた。
その時、治子には彼氏というのはおらず。
「彼氏がほしい」
ということも考えていなかった。
親友だといっていた人も、距離ができれば、アッサリしたもので、お互いに連絡を取ることもなくなってしまっていたのだ。
その親友の家が、ちょうどこの先にあるのだったが、もう、そんなことを気にもしていなかった。
親友の名前は、如月いちかという名前だった。彼女は、
「彼氏がいる」
ということを公言はしていたが、その彼氏を誰にも合わせようとはしなかった。
本当は、治子に合わせたくないと思っていたのだろうが、考えてみれば、
「特に治子に会わせないようにしよう」
という思いがありありだった。
自分にとって、好きな人、そして嫌いな人、それぞれなのだろうが、一歩間違えると、
「一番好きだと思っていた相手が、一番嫌いだ」
ということになりえるのではないだろうか。
確かに好きになった人というのが、
「自分にとって、運命の人だ」
とは限らない。
むしろ、相手がそう思うかも知れないと思うと、引いてしまう方だった。
そこが、治子といちかの違いであり、
いちかの場合は、
「好きになった人が、ずっと自分のことを好きでいてくれないと我慢できない」
というタイプだった。
だから、片想いで終わってしまうことを嫌う。
「最後には嫌われてもいいから、お互いの気持ちをぶつけあって、何かの結論が出ないと、我慢できない」
というタイプだった。
しかし、治子の場合は、
「相手が自分のことを好きになってくれないのであれば、こちらが好きになるのは、時間の無駄だ」
と思っている方だ。