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未来への警鐘

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 というのが、その結界なのかも知れない。
 しかし、治子は、
「一般常識」
 であったり、
「社会の常識」
 という言葉が嫌いだった。
「これほど、胡散臭い言葉はない」
 ということになるからであった。
 つまり、何が胡散臭いのかというと、
「いっていることは当たり前のことで、それをさも、すごいことのように言い、皆がそれにたいして大げさに賛同しているというのは、見ていて、気持ちのいいものではない。逆に、いいたいことがあるはずなのに、それを言わずして、人のいうことに、ただ従っているのであれば、それこそ、洗脳ではないか?」
 と思うのだ。
 だから、治子はどうしても、
「社会の常識」
 という言葉を、これによがしに、当たり前のこととして言い切る人間が信用できないのだった。
 得てして、会社にはそんな人物がたくさんいる。
「私は、社会人になってから、今の時代によく言われている、コンプライアンス違反というのは、昔でいえば、まかり通っていたということも、おかしいというものだ」
 だからこそ、昔から、当たり前のことを正当性を持ってこれ見よがしに語っている人間が多かったのだ。
 今のコンプライアンスだって、昔から、
「これが当たり前だ」
 ということを思ってる人はたくさんいただろう。
 しかし、
「これが社会なんだ」
 と思うことで、結果として、
「悪いことであっても、しょうがない」
 と感じるのが、
「長いものにまかれてしまっている自分」
 に愕然とするのだろう。
 子供の頃によくあった苛めで、
「確かに苛めをしている人が一番悪いというのは当たり前なのだが、苛められている人にとっては、苛めっ子よりも、まわりで静観していて、助けようともしない連中が、一番腹が立つということなのだろう」
 それを思うと、長いものにまかれるというのは、ある意味、
「集団意識のなせるわざ」
 ということになるのではないだろうか?
 そんな理不尽な社会であったが、今は、それらすべてが、
「コンプライアンス違反」
 ということで、
「○○ハラスメント」
 というものに、すべて集約されることになるのだった。
 そんな状態において、
「会社の上司が言っていることは、ただのきれいごとに過ぎない」
 ということである。
 昔であれば当たり前だったことが、今では、悪いことにされてしまう。そのためには、昔の人からすれば、
「かつてはいいことだった」
 という正当性が必要になるのだろう。
 それを思うと、
「今の時代、正当性を証明しないと生きられないような、そんな時代なのか?」
 ということである。
 確かに、コンプライアンスというものを、いいことだとするのであれば、
「昔の人には、暮らしにくい時代になったであろう」
 そもそも、タバコというものに、正当性はないと思っているが、今は、タバコを吸う人間が、罪悪のように言われている。
 それも、一番の問題は、
「一部のマナーの悪い連中のせい」
 だということを分かっている人がどれだけいるだろうかということだ。
 タバコを吸う連中のひどいのは、タバコの火がついたまま、ポイ捨てをしたり、歩いながら、手にタバコを持って、人のそばを歩いたりする連中だ。
 子供がそばにいるのにである。
 子供の顔に火がついたりすると、どういうことになるのか?
 ということを本当に分かっているのかということだ。
 そういえば、作者は、今までに何度か書いてきたが、福岡市にある福岡城の、
「重要文化財」
 である。
「下ノ橋御門」
 のところで、2022年の10月に、タバコに火をつけて、吸っているやつがいることを、ツイートしたが、その写真をスマホで撮ったので、市の環境課(だったと思うが)、重要文化財を管理するところに、通報に行ったのだが、
「ああ、あそこはスプリンクラーがありますからね」
 というだけで、犯人捜しをする気配さえない。
 その証拠に、作者が提出しようとした写メすら、
「その情報を共有させてください」
 ということすら、一言も言わなかったのだ。
「福岡市に限らないのかも知れないが、さすがに、公務員仕事だ」
 と思ったのも、無理もないことだろう。
 通報者への塩対応を見る限り、これこそ、
「マナーを守らない一部の人間」
 を擁護しているように思えてならない。
 こんなことが許されていいものなのだろうか?
 ということである。
 何といっても、一部のマナーの悪い連中の本当の敵は、
「マナーを守って、タバコを吸っている連中なのである」
 ということは、もし、マナーを守れない連中が、
「喫煙者全員が、自分の味方だ」
 などと思っていれば、それは、本末転倒であり、
「そんなことあるわけないだろう?」
 ということになるのだ。
 というのも、マナーを守っている連中からすれば、
「あの連中がいるから、俺たちまで白い目で見られる」
 ということを言っているのであって、これは至極当たり前のことである。
 だが、タバコを吸っている連中からすれば、
「集団意識」
 というものがあることで、
「喫煙者は、皆味方だ」
 と思っているとすれば、とんでもない思い違いで、それを口にした瞬間、
「大型のブーメランが飛んでくる」
 ということになるのであった。
 それはそうだろう。禁煙者は確かに、喫煙者に恨みのようなものを持っているだろうが、常識の分かっている人も多いはずである。
 だから、恨みがあっても、恨みに思う相手は、
「マナーの悪い奴だ」
 ということを分かっている。
 そこで、マナーを守る喫煙者と、禁煙者の間で、共同戦線が張られ、マナーの悪い連中だけが、孤立無援になるというわけだ。
 それでも、どんなにまわりが少なくなろうとも、バカな連中というのは、
「たった一人になっても戦う」
 と思うのだろう。
 それをまさか、
「男の美学のように思っているとすれば、それは、とんでもない見当違いであり、それこそ、大日本帝国の、崩壊前の危機的状況による、玉砕」
 といってもいいかも知れない。
 社会において、自分が何をしないといけないのかということをいかに理解するかということを認識できるかによって、
「コンプライアンスの厳しい」
 今の世の中では、生きていくなどできるはずもないのだ。
 だが、今そんな状態において、治子は、会社を辞めようかどうしようか考えていた。
 コンプライアンスは悪くないが、ブラック企業であるのは間違いない。残業手当も、本当に労働基準に乗っ取って支払われているものなのか怪しい気がして、会社の上司も、何やら、胡散臭さを感じるのだ。
 言っていることが、まるで、昭和。どう判断していいのか分からないのだった。
 会社では同僚と、
「思い切って辞めちゃおうか?」
 と話をしている。
 お互いに、辞める意思はあるのだが、
「どちらかが辞めると、間違いなくそのしわ寄せはもう一人に掛かってくるので、辞める意思はなかったとしても、辞めざるを得なくなってしまうに違いない」
 という話はしていたのだ。
 そういうことであれば、
「あんたが辞めたら私も辞めることになるし、私が辞めたら、あんたが辞めることになるじゃない?」
作品名:未来への警鐘 作家名:森本晃次