禁断のライセンス
に合わせた形になったが、それも、某大国が、
「イスラエル建国」
というものに、大きな影響を持っていたからだといえるだろう。
そもそも、昔から、薬物を取引に使ったり、政治利用をすると、ロクなことはない。
何といっても、イギリス医おける、アヘン戦争など、いい例ではないか?
だから、開国前夜の日本は、大変だった。
国内にいて、
「攘夷論」
などを唱えている連中がどれだけ世界情勢を分かっていたのか分からないが、海外の事情を知っている人には、
「欧米列強の脅威」
は感じられていただろう。
特に、
「アヘン戦争」
を知っている人にとっては、
「日本もアヘン中毒にされ、植民地にされてしまう」
と思うと、恐ろしかったに違いない。
だから、
「幕府を倒して、天皇中心の統一国家」
という、
「尊王倒幕論」
が出てくることになるのだった。
新政府になってからの日本は、まず、
「不平等条約の撤廃」
というのを目指し、近代化を推し進める。
多少、強引だったので、荒れに荒れたが、何とか、国家の体制を、
「富国強兵策」
あるいは、
「殖産興業策」
によって、国を富ませて、兵を強くし、強固な近代国家を作り上げるということで、欧米列強に、
「追いつけ追い越せ」
ということだったのだ。
実際に欧米列強に対して、
「憲法の公布」
あるいは、
「議会政治の確立」
ができるようになったことで、大きな一歩を示すことができ、日露戦争後くらいに、日本は、一気に、大国の仲間入りを果たすことになるのだ。
そんな時に作られた、
「731部隊」
これは、完全な国家秘密であり、公表できるものではなかった。
だから、どこまでが本当か分からないが、映画が作られたりして、それくらいまでは本当なのだろう。
放映できるギリギリの内容だったのかも知れない。
それを思うと、想像以上のものだったことは、想像がつくというものだ。
そんな、
「731部隊」
の残党がどうなったのか?
ということは、いろいろウワサされたりしたものだった。
「日本赤軍に関与している」
という話や、
「某国が、戦犯と引き換えに、情報を渡すという密約があった」
という話などがあった。
しかし、事実としては、731部隊の幹部だったと言われる人が帰国して、
「日本血液銀行」
のようなものを造り、その派生型の薬品会社に影響を及ぼしていたというのは、有名な話であった。
だが、それ以外の人々がどうなったのか、ハッキリとしない。帰国した人もいるだろうが、某国に連れていかれて、研究に勤しんでいる人も少なくないだろう。
彼らの、生物兵器であったり、毒ガスなどの化学兵器の知識と、その実験のノウハウは、当時の、
「東西冷戦」
には不可欠なものだったに違いないからだ。
そこで浮上してきたのが、
「今まで、某国の属国と呼ばれては来たが、微妙にその立場が、属国としての保護を受けていないということで、曖昧なところだったその国」
への亡命説だったのだ。
さすがに、注目を浴びることはできないので、独立国家という立場にしておいて、
「国が発展してくると、少しでも某国の属国」
という風に見られる方が、某国の方にとって都合がいいということもあり、属国としての曖昧な立場で君臨していた。
実はそんな国は少なくなかったりする。実際に、
「そんな名前の国あったのか?」
というものであったり、
「あれ? これどっかの国の一部かと思っていた」
と言いながら、本当は、
「属国もどき」
だということになる。
そんな国家体制ができてくると、
「遅れてきた先進国」
という言葉がスローガンであるように、目標は、
「先進国」
としての歩みだった。
最初こそ、
「まだまだこれからの国家だ」
ということで、低い姿勢だったが、次第に、発言力を増してくる。
というのは、そのバックに、某国が見え隠れしてきたからだ。
某国の存在が分かってくると、国家がいかに体制を築いていくかということが分かってくる。
そして、某国の国家体制と同じ体制を築いていくにしたがって、新興国というのは、準属国という様相を呈してくるのだった。
副作用
対戦が終了してからというもの、社会情勢としては、社会主義陣営と、民主主義陣営の間で、
「冷たい戦争」
つまり、
「冷戦」
というものが起こってくる。
これは何かというと、大東亜戦争や、ヨーロッパ戦線が過激になってきた頃、某国は核兵器お開発を行っていた。
それを使用してしまったことで、戦争は終結したのだ。これが、
「パンドラの匣」
だったのだ。
核兵器というのは、
「抑止力」
として使うもので、それを使ってしまえば、
「相手も破壊できるが、自分のところも終わりなのだ」
ということになる。
つまりは、
「両陣営で持ってしまうと、核の均衡によって、お互いに睨みを利かせて戦争になることはない」
そういう意味での抑止力ということだが、
「核による均衡」
というものは、
「お互いに直接対決はないが、代理戦争というものは、大いにありえる」
ということである。
それが、
「朝鮮戦争」
であり、
「ベトナム戦争」
だったのだ。
他にも、アフガンであったりイラクの問題もあるが、このあたりは冷戦終結後の新たな世界情勢ということが絡んでくるので、ちょっと変わってくる。
社会主義国という、民主主義とは隔絶した主義は、
「共産主義」
という考えに基づいたものだ。
要するに、
「民主主義の限界を超えた、理想の国家主義」
というのが、社会主義というわけだ。
民主主義の基本原則として、
「多数決」
と、
「自由競争」
である。
そうなると、何が起こるかというと、
「少数派が切られる」
ということであったり、
「貧富の差が激しくなるばかりだ」
ということになるのだ。
それを解消するために考えられたのが、
「社会主義」
であり。
「国家が国民をすべて管理し、貧富のない社会にして、少数派も受け入れる」
というものであったが、社会体制が大きくなるとそうもいかない。
一人一人考え方が違うのに、従わせるだけだから、個人の自由など、あってないようなものだ。
つまりは、
「国民を統一した考え方に洗脳する」
「すべての産業を国営にして、貧富の差をなくす」
などということである。
ただ、このやり方は。大日本帝国時代の日本に似ている。
「国民の総意として、国家体制が整っていないと、戦争の遂行などできなかった」
ということであろう。
それを考えると、
「治安維持法」
などに代表されるように、
「国家体制に逆らったり、別の思想や、戦争遂行に異を唱える連中を抑えつけるための、特高警察」
などというものの配備が必要になったりするというのだ。
そんな政治体制になると、政府は疑心暗鬼に駆られる。
被害妄想もひどくなり、そのため、自分以外は信じられないということで、国家権力を使っての、
「粛清」
というのが行われるのだ。
それがどういうことかというと、