禁断のライセンス
という人の命令が、秩序になるのだが、
「それらの命令はある意味絶対で、それも、さらなる二次災害。三次災害を招かないという意味で重要なことなのだ」
ということになる。
そういう意味では、戦争に敗北し、占領軍によって、統治という観点でも、、
「民主主義を急速に根付かせる必要がある」
という観点からも、
「日本という国は、それだけ、軍国主義に傾倒していた」
ということになるのだろう。
しかも、その問題の一番だったのが、
「立憲によって、君臨する、天皇というものの存在が大きかった」
ということである。
教育としては
「日本の天皇は世界一の万世一系の家柄で、日本は、天皇の力によって、世界に君臨できている。その証拠に、日本が危ない時は、神風が吹いて、きっと勝利に導いてくれる」
という考えと、何といっても、明治以降の対外戦争で不敗を誇る軍で、
「あのロシアにも勝ったではないか」
という、大いなる伝説が、紛れもない事実として君臨しているのであった。
「日本の天皇」
というものは、それだけ力強いものだ」
といってもいい。
明治天皇は、結構発言力もあったが、昭和天皇は、検挙だった。。
特に、
「満州某重大事件」
と呼ばれた、
「張作霖爆殺事件」
において、当時の首相であった、田中儀一の発言に一貫性がなく、それを糾弾したことで、内閣が責任をとって、即日解散したということがあり、天皇は、
「自分の発言が、政治を動かした」
ということで、猛烈に反省したのだ。
天皇は統帥権から、
「軍に口出しはできるが、政府に対しては、口出しをしてはいけない」
という暗黙の了解があったのだ。
「ライセンス契約」
をしたその薬を、日本で作って、コピー商品として、運用を始めたが、実は、新省庁には、
「開発チーム」
という、一種の少し曖昧なチームがあった。
そこでは、新たに、
「新型となる、国産としての開発」
という使命があったのだ。
というのは、
「ライセンス契約」
の中には、
「開発の際は、ライセンス規約に従って作る」
とあるが、
「開発した薬を、供与を受けた国が、独自に研究してはいけない」
という規約はない。
そもそも、ライセンスであろうが、作った薬は、オリジナルとして、公式には売られることになるので、いくら国家間のライセンス契約とはいえ、その自由を束縛することはできないのだ。
それが、
「ライセンス契約における限界だ」
と言っても過言ではないかも知れない。
そんなことを考えていると。
「我が国における開発技術を、某国は、甘く見ているな」
と、ほくそえんでいる博士がいた。
彼は、毎年のように、ノーベル物理学賞候補になるのだが、どうも、どこかの国の圧力で、受賞にはいたっていない。
それを、
「某国の仕業だ」
ということで、彼は、自分の開発に意欲を燃やしながら、
「いずれ復讐してやる」
とばかりに、静かに燃えていたのだ。
彼の名前は、
「湯本博士」
という。
湯本博士
実は、これは重要機密事項なのだが、この機密を持っているのは、何と、
「某国の傀儡国家」
である。
あの国は、ナチスの科学者、731部隊の科学者を勧誘することで出来上がった国なので、今でも、各国の、
「埋もれた人材」
をスカウトしてくることが多い。
その中で、当然真っ先に名前が挙がったのは、湯本博士だという。
しかし、彼には、並々ならぬ、
「愛国心」
というものが存在し、それだけに、その気持ちを、傀儡国家が分かっていなかったことで、
「何でこの俺を誘うんだ?」
と、愛国心の塊の湯本博士からすれば、まるで、
「バカにされたかのような気分」
となっても無理もないことだったのだ。
「本当に何を言っているのか?」
という気持ちになるわけだが、それも当たり前のことであり、
「俺の考えを調べるという初歩的なことすらしていないなんて、それで、よく勧誘にきたものだ」
と、湯本博士は、その浅はかさに呆れかえっているといってもいいだろう。
湯本博士は、そんな気持ちもあったことから、
「どうして、彼が、この新省庁に入ったのだろう?」
と思う人は多かった。
なぜなら、
「元々誘いにきたのが、そもそも、ライセンス供与国ではないか?」
ということである。
つまりは、ライセンス供与しようとする国は、自分がバカにしているはずの国なのに、「なぜなんだ?」
ということである、
しかし、よく考えると、取得したライセンスから作った商品を、さらに開発できるとすれば、
「この俺しかいないだろう」
というくらいに、博士は考えているとすれば、それも間違いではないだろう。
さらに、博士には、
「ノーベル賞受賞」
という目標がある。
邪魔されればされるほど燃えてくるのであるが、
「どうせなら、あいつらが開発して、中途半端になっているものを、この俺が、さらに開発を続けてやろうではないか?」
という考えから、
「相手に思い知らせてやる」
という、反骨精神のようなものが芽生えたに違いない。
それを思うと、
「俺はこれから、この社会において、ライバルを、あの傀儡国家にするんだ」
と誓ったといっても過言ではない。
実際にライセンスからできた、
「日本オリジナルの製品」
というのが、今では、幾種類も、
「やはり、日本製はすばらしい」
ということで、まわりからの評価もうなぎのぼりであった。
「もう、某国が横やりを入れてきても、阻止することは難しいだろう」
と思っていた。
さらに、
「わしも年なので、ノーベル賞を受賞すれば引退するかな?」
とさえ思っていたくらいだった。
ただ、気になるのは、自分のノウハウであったり、考え方を引き継いで任せられるような人がいるわけではなかった。
それが気になるところであり、
「俺は一体。このままどうすればいいというのだろうか?」
ということを考えていたのだった。
というのも、
「わしの愛国心というのは、大日本帝国時代の愛国心とは、若干違う。それは時代が今の時代からなんだよ。つまり、愛国心というのは、時代とともに移り変わるものだから、話や考え方を伝授できても、実際に、その本人の愛国心にできるかというと、そういうわけにはいかない。それを考えると、わしは、後進をどのように作ればいいのかということに関しては白紙状態で、いかにどうすればいいのか? ということは、まったく分からないといってもいい」
というのが、博士の考え方だったのだ。
ただ、博士がここまで考えていて、さらに答えが出ないのだから、それだけ、相当困難な問題なのだろう。
それを考えると、
「どこまでが自分の領域なのか分からない」
ということになるのだった。
「だったら、もう後は後進に任せるということの方が無難なのではないか?」
というように考えるようになったのだが、
「それが正解なのかどうか、誰にも分かるはずもない」
ということであるが、そんなことは、いまさら問うことでもない。
要するに、
「一周回って、戻ってきた」
ということになるのだろう。