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禁断のライセンス

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「有事というのはあり得ない」
 ということになっている。
 しかし実際に、世界情勢を鑑みれば、そんなことがあるはずはないのだ。
 つまりはである、一番分かりやすいのは、
「朝鮮戦争」
 における、
「韓国軍」
 というものを考えれば、
「どれほどの亡国がお花畑だったのか?」
 ということが分かるはずである。
 というのも、
「朝鮮戦争」
 というものは、そもそもが、
「朝鮮半島というものを、北はソ連の社会主義勢力。南は某国を中心とした民主主義勢力による、分割統治ということになったのが、間違いの元だったのだ」
 南を管轄する某国は、進駐というものを、日本を中心として考え、
「朝鮮半島は二の次」
 だったのだ。
 だから、朝鮮半島の分割統治を甘く考え、
「統一をそれぞれに模索しているのだろうが、いきなり有事になるということはないだろう」
 というのだ。
 何と言っても隣の中国は、内膳が終わり、やっと、
「中華人民共和国」
 という社会主義政権が生まれたのだ。
 さらに、ソ連の方では、こちらも、多国籍による、
「ドイツの分割統治」
 が行われていて、ソ連を中心とする、連邦勢力の強さは、朝鮮半島の比ではなかったのだ。
 しかも、ドイツでは露骨な対策の応酬で、最後には、悪夢のような、
「ベルリンの壁」
 というものができることになったのだ。
 だから、ソ連は、そっちに集中していて、朝鮮半島で事を起こすということはやらないだろう。
 下手に事を起こして、
「全面戦争」
 などということになれば、まだ、核開発もできていないソ連は、圧倒的に不利であったのだ。
 だから、
「北朝鮮が、南下してくることはない」
 とタカをくくり、韓国軍に対して、武器弾薬は、ないに等しかった。
 何と言っても、武器というと、旧日本軍が逃走の際に捨てていったものであり。旧式のものであった。
 さらに、戦闘機に至っては、一機もなかったのだ。
 存在するとすれば、練習機程度で、とても、戦争に使えるようなものではなかったのだ。
 それなのに、武器弾薬は、ソ連や中国から受けていて、さらに軍事訓練は、
「人民解放軍」
 という、中国軍の精鋭部隊に、守ってもらっているのだった。
 中国軍も、ソ連軍も目立った行動はとらないが、密かに北朝鮮を支援していた。
 弾薬や、訓練の補助など、秘密裡に行われていたこともあって、日本にいて、朝鮮半島事情を肌で感じているわけでもない某国の進駐軍に、そのあたりのことが分かるはずなどないのであった。
 だが、実際には、水面下で、
「朝鮮戦争」
 の火ぶたは切って落とされていた。
 北朝鮮は、最新鋭の武器で、統率の取れた
「軍隊」
 として侵攻してくる。
 韓国軍は、なすすべもなく逃げるだけだった。
 しかも、その時の韓国軍のひどさと言えばない。
 確かに、兵士だと言っても、死ぬのは怖いわけで仕方のないところもあるのかも知れないが、ソウルが陥落した時など、まだ市内に避難民が溢れているのに、軍が命令にしたがって、郊外に逃げると、何と、橋を破壊し始めたのだ。
 つまりは、自分たちが逃げ切ったから、相手が攻めてこないように、橋を壊したというわけだ。
 要するに、
「軍隊というのは、国民を守るためにあるのに、自分たちが助かりたい一心で、国民を見捨てるなど、言語道断」
 と言えるだろうが、
 しかし、そもそも、武器弾薬を与えられ、戦闘態勢が取れているのであれば、それで戦うのみだが、
「今はそんなことを言っていられない」
 ということなのだろうが、
「某国の進駐軍が甘く見ていたことが、間違いで、戦える状態ではないのに、このままなら、全滅するだけだ」
 と言いたいのだろう。
 しかし、これは、韓国軍にだけ言えることではなく、中国軍もそうだ。
 相手に攻めこまれているとして、敗走している軍、つまりは、自国領内でのことである。そんな軍隊は、民家などで、軍のための食料を与えてくれたりするのだが、その村を離れる時、何と、兵はその村を焼き討ちにしてしまうという。
 なぜなのかというと、
「追ってくる敵に、このままでは、略奪虐殺を受けて、相手に武器や弾薬を与えることになるのであれば、最初から我々の手で、その村を葬る」
 というのが、当たり前の戦略ということになっているのだった。
 こんなことが、公然と行われているような、一種の、
「野蛮な国」
 ということになるのだが、
 日本でも、戦国時代というのは、あったかも知れないが、常習的だったということは、歴史書のどこを見ても乗っていない
「都合の悪いことだから」
 という理屈も分からなくもないが、それよりも、
「これだけの書物が残っていて、どこにも書かれていないということは、後世に作られたことなのか、それとも、本当はひどいことがあるが、書き残さないという、暗黙の了解のようなものがあったのかも知れない」
 ということであった。
「俺たちの手で、葬り去る」
 というのは、
「戦争においてはあり得ることなのかも知れない」
 ということであるが、結構、軍と民衆の関係で、
「軍が、民衆を盾にした」
 などと言われていることが多いが、実際には、そんなことはないようだ。
 というのも、実際にそういう話もないわけではないが、ごくまれな話だということであった。
 特に、一番の悪影響としてあったのは、
「戦陣訓」
 と呼ばれるもので、
「生きて虜囚の辱めを受けず」
 という言葉の解釈からか、
「捕虜になるくらいなら、死を選ぶ」
 ということである。
 だから、終戦前の日本国内の、軍需工場などでは、
「死を選べるように、青酸カリが配られた」
 ということだったのだ。
 だから、民衆を巻き込んだ戦争などでは、本来なら、
「最後の一兵になっても戦う」
 と言っているが、
「もうダメだ」
 ということが分かった時、
「玉砕」
 というのが頭をよぎるのだ。
 これは、あくまでも、兵は、相手と正面から突っ込んで戦うということだが、民間人は、武器を持っていないのだから、ただ、相手に向かって、ただ行進していくだけだ。
 きっと、
「海ゆかば」
 を謳いながらの更新だったのかも知れない。
 敵の弾薬の集中砲火を浴び、次々に鈍い悲鳴をあげて、倒れていく。これこそ、
「地獄絵図」
 だったに違いない。
 これを、ただ、
「ひどい」
 といって片付けていいのだろうか?
 当時の大日本帝国というのは、今の日本国と違い、
「立憲君主国家」
 だったのだ。
「憲法の定める中において、主権者である天皇の臣民たる日本人」
 ということである。
 この臣民というのはどういうことなのかというと、
「平時は、憲法に定められ、種々の法律に守られる人権を普通に使えるのだが、これが有事となると、権利が著しく制限される」
 というものだ。
 ここでの有事というのは、戦争だけではない、災害であったり、秩序回復という意味での、
「危険思想団体」
 などから国民を守るという意味での有事というのもある。
 だから、これらの有事になって、市や自治体の機能がマヒすれば、そこで、緊急事態だということで、その都市に、
「戒厳令」
 というものを敷き、
「戒厳司令官」
作品名:禁断のライセンス 作家名:森本晃次