神のみぞ知る
というと、沖田という男は、その性格は、見てすぐに分かると言ってもいいほどで、
「勧善懲悪」
というのが、よく似合う男性だったのだ。
「僕にとって、勧善懲悪という感覚はあるのだが、何もそれらがすべて、正しいということにはならないだろう」
という考え方であった。
今回の犯罪は、
「勧善懲悪だからこそ、参加した」
と言ってもいいだろう。
今回の事件は、
「世間が苦しんでいても、何もしようとせずに、保身ばかりに走る政府や国家、さらには自治体を見ていると、何を信じていいのか、分からない」
ということであった。
だから、沖田という男は、
「そんな世間を懲らしめて、本当に苦しんでいる
「不幸の第三者」
たちに、報いるためということであった。
しかし、実際には、苦しんでいる人を余計に苦しめ、政府には、まったく蚊に刺されたほどでもないというそんな事態にならないとも限らないのだった。
そういう意味では、彼らの犯罪は、少々の情状酌量の余地もあるかと、あくまでも、第三者として話を聴いた場合のことである。
しかし、実際には、やったことは強盗なのだ。
人に恐怖を与えて、そして金を奪い、自由を奪って逃走したのだ。この行為に関しては、どのような情状があろうとも、許されることではない。警察も、凶悪犯ということで、真摯に事件と向き合っているのだ。
犯人たちは、実に鮮やかに犯行を行い、事件現場から、見事に姿をくらまし、今はどこに潜伏しているのか、まったく分からない状態だった。
事件発生後、数か月が経っているのに、
「犯人たちの行方は、ようと知れず」
ということだったのだ。
それだけ、事件の最初に真田によって計画された事件の設計書が、よほど、用意周到だったということなのだろう。
犯人たちはまったく静かに犯行を行い、金を奪い、さらに、被害者を殺すことなく、行動したのだ。
さすがに殺人まで犯すというのは、リスクが大きすぎるということなのであろう。被害者を殺さずに、逆に生かしておいて、もし、捕まったとしても、被害者を必要以上に傷つけたわけでなければ、罪は幾分か、軽減されることだろう。
真田という男が、そこまで考えていたのかどうか分からない。むしろ、犯罪に対して、
「傷つけることは本意ではない」
と思っていたとすれば、実に紳士的な犯罪である。
そういう意味で、
「あとの三人は、被害者を生かしておくことに、反対はなかったのだろうか?」
ということである。
こういう強盗事件というのは、顔を見られたり、少なくとも一緒にいるわけだから、どこで足が着くか分からない。
今度の事件において、被害者がどこまで犯人について分かっているのか、実際ん位は何も分かっていないようだが、そのことを犯人グループが理解できているのかというのが、よくわからない。
犯行計画では、
「被害者側に自分たちのことは分かるはずはない」
ということだったはずだ。
実際に、襲撃相手は、
「自分たちと接点のない相手」
ということだった。
少しでも接点があるのであれば、
「生かしておくわけにはいかない」
ということになる。
犯罪事件において、被害者と加害者に接点があるのとないのとでは、どちらが多いのだろう?」
と思えてきた。
基本的に、
「復讐」
などであれば、相手は自分の関係者ということになる。
例外としては、
「復讐の目的が、犯人にとって大切な人を殺されたり、あるいは、ひどい目に遭わされたことによって、立ち直れない状態に陥ったりした場合」
など、
「被害者と犯人に接点はない」
ということもありえるだろう。
しかし、大切な人が被害を受けた時点で、被害者とは、
「復讐者と、復讐を受ける側」
という、切っても切り離せない関係になっているということになるだろう。
「復讐以外」
ということになれば、基本的に顔見知りでない方が、犯罪計画が立てやすいということであろう。
警察だって、まずは、いくら強盗事件であったとしても、動機の中に、
「復讐」
というのが考えられるということになるだろう。
「被害者が、一番恨みを買っているのは誰か?」
ということである。
刑事ドラマなどでは、「被害者は基本的に金持ちである。直接的な復讐でもなければ、金を強奪するのだから、金のないところに押し入るなど、本末転倒もいいところである。
しかも、単独犯ではなく、複数犯だ。
一人が復讐したいと思っても、他の人間には、関係のないことだ。
もちろん、犯人側四人が、
「被害者への復讐」
ということで、一致団結しているというのであれば、話は別である。
犯人にとって、
「どのように犯行を成功させるか?」
ということを考えると、復讐が絡むのであれば、犯人グループは、それぞれに、被害者に対して恨みを持っているということであり、
「かなりの悪党だ」
ということになるのではないだろうか?
ただ、今回の犯行は、誰も、
「被害者に対して恨みを持っているわけではなかった」
ということである。
しかし、評判はすこぶる悪い、どちらかという胡散臭い人間なので、
「勧善懲悪」
という意味では恰好の人物だった。
そういう意味で、沖田は乗り気だった。
そもそも、勧善懲悪というような性格の人間なので、被害者に対しての恨みを、直接的な被害者が叶えられなかった復讐を、
「この俺が行っているんだ」
ということを考えると、
「お金を貰うくらい、当たり前のことだ」
ということになり、沖田の内部では、自分にとっての、
「犯行の意義」
というのは、
「すでに存在していた」
ということになるのであろう。
他の三人は、本当に金銭的にどうしようもなかったので、被害者の選定は、沖田に任せたのだった。
難しいのは、金持ちの家である。
そこでは、そのあたりの警備の入ったビルよりも、警備体制はかなり行き届いていることだろう。
しかも、表向きは、善良な会社の社長であるくせに、実際には、裏で、悪行の限りを尽くしているといってもいいくらいの男で、裏の世界と繋がっていて、その世界をいかに牛耳っていくかということばかりを考えていたのだった。
ただ、彼らは、この被害者に恨みを抱きそうな人を探し上げて、買収することに成功していた。
奴らは、そもそも復讐というものを、
「できるならしたい」
と思っているわけである。
だから、敢えて、買収したといっても、
「復讐が果たせるなら、どんなことだってやりたい」
というほどの人間なので、その機会を与えてあげれば、金や憎悪による衝動で動くことなく、
「少々危険なことでも、飛び込んでくれる」
というものであった。
内部にかなりの、
「内通者」
がいれば、犯行は、そんなに難しくはない。
彼らに対しては、
「我々が実行すれば、君たちはまったく何も知らない」
ということで、しらを切っていればいいんだよ。あの連中には、もっともっと恨みに思っているやつもいるだろうから、内部からの手引きがあったということを、警察も分からないだろうから」
ということであった。
しかし、実際には、警察が捜査すれば、
「内通者」