神のみぞ知る
できるとすれば、兵糧攻めであるが、それでも、陥落したという記録はないので、この村は、
「本当に攻められたことがない」
というのか、それとも、
「こう見えても、難攻不落なところ」
だということなのだろう。
それを思うと、この村において、
「何か見えない力が働いていた?」
と考えることもできるだろう。
その力がどんなものなのか分からなかったが、4人は、これからそれを目の当たりにすることになるのではないだろうか?
まず計画として、
「いかに、この村から脱出して、それぞれの生活に戻るか?」
ということであった。
確かに、この村にいれば安全は安全であろう。
しかし、元の世界に戻っても、あの事件は、すでに迷宮入りの様相を呈していて、捜査阿本部もとっくに解散していて、犯人像も分からないということで、指名手配というわけにもいかない。
自分たちが戻っても、何ら問題はないのだ。
それを考えると、ここに長くいればいるほど、
「早く帰りたい」
ということを言い出してしかるべきであった。
真田が考えているのは、
「ここを出るとすれば、4人一緒だ」
ということであった。
誰か一人が表に出るということはしないと思っていた。
そうじゃないと、その人物が裏切って、ここを教え合いとも限らない。
この4人は、
「今回の犯罪だけを目的に集まった。それぞれには、利害関係の存在しない関係だ」
ということで、元々の場所に戻っても問題があるわけでもない。
それを思えば、真田は、
「今の段階になったら、いつ、この村をおさらばしても、問題はないかな?」
と思うのだった。
「警察の捜査は及ばないか?」
と誰かがいうと、
「大丈夫だ。捜査本部もないし、俺たちが顔を見られたわけではない。もしそうだったら、とっくに、全国指名手配になっているさ」
ということだった。
彼らが取った金は、中途半端なものだった。
そもそも、いくら金持ちとはいえ、いきなり強盗に入って、他の誰にも気づかれないように、金を用意させるとすると、用意できる金額は決まっている。
彼らは気づいていないようだが、
「実は、強盗に入ったということは、世間では何も言われていないようだ」
ということだ。
被害者が警察に通報したわけではなかったからなのだが、それだけ、やつらも、警察に踏み込まれては困る何かがあるのだろう。
警察に踏む混まれることを考えれば、強盗に奪われた金額くらい、
「蚊が刺したほどではない」
と言えるだろう。
そういう意味で、真田たちは、運がよかったといってもいいだろう。
しかも、念には念を入れて、密かに滞在もしたのだ。もう、何も怖がることはないのだった。
さて、そんな状態において、
「いよいよ、この村から出る」
ということが、本格化してきた。
前述の、
「六道越え」
というのが、それで、
六道というのはm仏教の擁護にて、
「輪廻転生」
という考え方に由来するものだというが、一種の、
「死後の世界」
と言えばいいのだろうか。
「六つの道」
というものがあるわけで、この村の三か所にある峠は、その六道のうちの三つが、存在しているというわけだった。
つまりは、この村には、
「出入口は。専門になっている」
と言ってもいい。
まず、入り口は一か所、それが、
「神仏櫓」
が立っているところだった。
あとの3つは、出口であって、そこには、六道のうちの三つの名前がついている。
それもすべてに、気色の悪いものが存在するのだが、それが、
「修羅道」
「畜生道」
「餓鬼道」
と呼ばれるものであった。
ここにいるのは、4人、とりあえずは、
「全員が抜けることができたのを確認して最後に、真田が出ていく」
という手筈にしたのだが、そういう意味で、
「出口は三つ。人間も三人」
ということで、問題は誰がどこに行くか?
ということであった。
まず、修羅道であるが、ここを通るのは、
「沖田」
ということになった。
沖田という男は、この中で一番の勧善懲悪で、一見平和主義に見えるのだが、裏切られたり、理不尽なことがあれば、徹底的に戦うという、
「戦うことに関しては、これ以上ないというくらいに、特化した人は、少なくともこの中にはいなかった」
ということである。
この中で一番先に進むとすれば、沖田であることは、最初から暗黙の了解だったような気がする。
彼は、自分の先祖が武士で、しかも、
「一番槍を目標にした、先陣争いばかりをしていた猛者だった」
ということらしい。
確かに戦陣争いをするようになってから、彼の先祖は出世し、遣えた主君は、数人いたというが、それらすべての主君が、
「ほぼ、天下を手中に収めていた」
という。
そのうちの一人は、天下統一まではできたが、実際に君主として君臨する前に暗殺されたということなのだが、一応は、
「天下統一」
を成し遂げたのだから、
「天下人だった」
といっていいだろう。
そうなると、彼は、
「出世家臣」
ということになる。
そういわれることに違和感はなかったのだ。
そして、沖田の先祖は、江戸時代になると、すでに、江戸城に常駐しているような、
「将軍に近い存在」
だった。
さすがに、老中、側用人などというえらいさんではなく、おし本当にえらいさんだたとすれば、
「歴史に名が残っていても、不思議はない」
と言えるだろう。
そんな彼が、江戸城での、
「お勤め」
に、ある提訴の、
「天下泰平」
というのを味わっていたが、幕府の財政が火の車であることに気付くと、
「幕府をいかに収めていくか?」
ということが問題になってくる。
少々、ひどいお触れを出さなければいけないわけだが、それも一回だけなら、まだ、江戸の町民は納得するのだろうが、
それが、何度もになると、どうしようもない。
「○○の改革」
などというものが、江戸時代には、結構あったが、そのほとんどが、失敗に終わっている。
そもそも、成功していれば、そういくつも、改革などというものがあるわけもなく、
「幕府が転覆する」
ということもないだろう。
しかし、江戸幕府の滅亡は、
「黒船来航」
という問題もあったのだが、そもそも、
「財政の先行きのなさ」
「封建制後の限界」
などというのが、問題になっているということなのだろう。
そんなことを考えていると、
沖田は、いつ頃から、
「自分が勧善懲悪だった」
と感じるようになったのか。
「悪を懲らしめ、善を勧める」
というのが、言葉そのものの意味なのだろうが、そういう意味での、
「本当の勧善懲悪」
というものが、いくつも存在しているとは思いにくいのであった。
そういう意味で、彼がこの計画に加わるには、彼が事を起こすだけの、
「大義名分」
がなければいけなかった。
確かに、真田がいうように、
「営利を貪るような連中に対しての勧善懲悪」
ということなのだろうが、
「沖田にとっての、自分が加わる意義があるのか?」
と言われれば難しかった。
「大義名分」
もないのに、これだけのリスクを負えるというのか?