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自分と向き合う

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「俺の中にも、小説を書きたいという思いがあったということだろうか?」
 と感じたのだが、いかんせん、実際にやってみると、意外と難しいものだった。
 だからと言って、せっかくやりたいと思ったことを見つけたという思い、それに、
「ここでやめるというのは、何か、プライドが許さない」
 という思いがあることから、
「もっと頑張ろう」
 と思うのだった。
 小説を書けるようになるために、
「小説の書き方」
 であったり、
「新人賞を取るには」
 などという、ハウツー本を買ってきて読んだりしていた。
 この当時は、まだ、ネットというのも、発展しているわけではなかった。
 だから、本屋で、それらしい本を探すか、図書館にするか、というとことなのだろう。
 それを考えると、本来であれば、図書館で探すのが当たり前なのかも知れないし、元々、図書館に対して、
「造詣が深い」
 というつもりだったので、
「図書館で選ぶのが当たり前のことなのだろう」
 と考えたが、どうにも、図書館で借りるということができない気がしたのだ。
 どちらかというと、
「図書館というのは、自分の本当に好きなことを中心とした本を借りるところではない」
 と思っている。
 それこそ、図書館というのは、その場所が好きなのであり、この際、
「蔵書」
 というものとは、それほど関係性が深いものではないと考えるのだった。
 もっといえば、
「蔵書が気になるのであれば、中学生の時、司書係ではなく、図書委員であってもよかったということだ」
 ということである。
 それを思えば、
「図書館が好きなのは、やはり、匂いであったり雰囲気が最優先で、本の内容などは、ほぼ関係のない」
 ということになるに違いないといえるだろう。
 だから、本屋で買ってきて、実際に何冊か読んでみた。
 その感想としては、
「帯に短し、たすきに長し」
 というところであろうか?
「一冊だけだと、偏ってしまう」
 ということから、何冊も見るようにしたつもりだったのだが、その内容が今度は、あっちこっちに行ってしまって、ハッキリとうまくいかない状態だったのだ。
 同じような内容の本で、結論としては同じに向かうように書かれているのに、その途中が、まったく違った方向だったりするので、戸惑ってしまう。
「元々、違うところにゴールがあって、それに従った内容であったとすれば、それはそれで納得のいくものではないだろうか?」
 と感じるのだった。
 その考えをいかに、一つにまとめることができるか?
 という方が、より結論に近いのではないかと感じるのだった。
「ただ、ゴールが違っているのだとすれば、その発想は、パラレルワールドに近いものを感じさせる」
 と言えるのではないだろうか。
 パラレルワールドというのは、
「平行宇宙」
 というようなものであり、どちらかというと、
「木を隠すには森の中」
 という感じで、
「真実を隠すのに、森の中であるウソの中に紛れ込ませる」
 ということに似ていて、発想が一種の保護色であったり、
「天体の中には、自ら光を発しなかったり、光を反射しない」
 という、星が存在するという。
 それは、
「邪悪な星」
 であり、普通であれば、ありえない発想のものではないだろうか?
 ということである。
 それを考えると、
「ハウツー本というのは、実に当たり前のことを当たり前に言っているだけで、結果がほど遠いものであれば、どちらかに焦点を絞らなければ、まずい発想に陥る」
 ということなのかも知れない。
 そんなハウツー本をいかに、
「解読するか?」
 というのは、大きな問題だった。
 話の内容が切り口から、変わってくるのであれば、うまくいかないのも当然のことであった。
 解読というものを、いかに考えるかということばかりを考えていると、本来なら、素直に入って解釈するべきことが、最初の、
「解読」
 というところで詰まってしまうということになるのだろうか?
 ハウツー本というものを、なかなかうまく解読できないことになると、後は、自分の考えに頼るしかない。
 その時、
「自分に自信がない」
 と考えるか、
「自分の解釈に間違いはない」
 と考えるかで変わってくる。
 ただ、どちらも、
「オール オア ナッシング」
 という考え方であって、その発想が、それぞれに、本末転倒になってしまわないようにしないといけないと考えるのだ。
 小説を書くということは、
「ひょっとすると、そういう本末転倒の行き着く先なのかの知れない」
 と考えると、小説を書くということは、
「どこか、無限ループのようなものと、避けては通れない何かがある」
 ということになるのかも知れない。
「これなら、何も考えずに、ただ書き続けている方が、迷うことがないから、気が楽に学べるかも知れない」
 とも思った。
 ただ、自我流は、
「どこまで行っても、答えが見つからない」
 ということになる。
「見つからない答えを探して彷徨っていて、しかも、それが無限ループであることに気付かないとなると、これが本末転倒という言葉の出口になるのかも知れない」
 と言えるのではないだろうか?
 小説を書き続けるということ自体、無限ループである。
 それは、ある意味、
「答えがない」
 ということを示しているのであって、無限ループというものの間に何があるのかということを考えれば、一度陥った無限ループを、次には回避できるということになるのかも知れない。
 そう、先が見えないということは、
「答えがない」
 ということを示しているのであって、
 小説を書き切ることが、最初の、
「無限ループ」
 というものの、出口なのではないだろうか?
 確かに、どんなに内容の違うハウツー本でも、共通していることとして言えるのは、
「どんなことがあっても、投げださず、最後まで書き切ることだ」
 ということであった。
 それを考えると、
「人生の縮図」
 と言ってもいいのかも知れないな。
 大げさではあるが、人生には、
「山あり谷あり」
 見えないものが見えてくる場所もあるはずで、無限ループと人生は、
「切っても切り離せない」
 と言ってもいいだろう。
 小説を書けるようになるまでに、自分でも、試行錯誤していた。
 もちろん、難しい中で、ハウツー本を攻略し、その中で、
「共通であることには、間違いがない」
 ということを考えると、いくつか絞られるところがあった。
 一つのハードルとして、
「最後まで、何があっても書き上げる」
 ということを、まずは目指すということに終始していた。
 それがよかったのだろう。一つの話を、曲りなりにでも書けるようになると、その先にあるものも見えてきた気がした。
 まだまだ、短編しか書けないので、自分の中では、
「中途半端だ」
 と思っていたが、その短編も、
「尊敬しているプロ作家」
 という人を目標に、やってきたつもりだったので、書き上げたことも、自分にとっていいことだと思うのだった。
 その作家というのは、
「短編の名手」
 と呼ばれる人で、そもそもは、24歳くらいの時、よく飲みに行っていた店で知り合った主婦から教えられた本だった。
作品名:自分と向き合う 作家名:森本晃次