自分と向き合う
というのは、小説における、
「設計図のようなもの」
であり、
「登場人物の設定であったり、ジャンルであったり、ストーリー展開の大まかなあらすじのようなものであったり、それらをプロットという」
ということであるが、それを先に書いておくと、実際に文章を作成する時、スムーズにいくというものであった。
「プロット作成というものが、苦手だ」
ということもあるが、どうして苦手なのかというと、
「プロットを作成してから、本文を書こうとすると、どうしても、プロットがある程度の内容を指示しているので、書いているうちに、本文の内容が、うすっぺらくなるような気がする」
ということであった。
執筆というものが、本文中心だということを感じたのは、プロットを書いてみた時だった。
途中からはプロットを書くようになったが、それは、
「本文を書いている時に、自分が集中できている」
ということが分かってきたからだ。
その時に感じたのは、
「小説を書いている時は、考えるのではなく、頭に描いたものを、文章にする」
ということで、
「考えたことが、文章になっていくことに快感を覚えるようになると、集中力を高めるには、余計なことを考えないことだ」
と考えるようになったのだ。
小説を書けるようになった理由の一つに、
「喋れるのだから、書けるはずだ」
ということであった。
「喋ることができるのだから、確かに書くということに置き換えればいいだけのことであって、文章を作れないのは、喋ったことを、整理できないからではないか?」
と考えられる。
「執筆している時、まわりの人がどのように感じるか?」
などという雑音であったり、本来なら見えるものが見えないなどというものがないように考えるのだ。
「一定年齢より上の人には聞こえない」
という、
「モスキート音」
というものがあるという。
「執筆の際のプロット」
あるいは、
「プロットありきの執筆」
というものに、
「モスキート音」
のような発想があるのではないか?
と思うのだった。
プロットを書くことを心掛けると、今度は、スピードが速くなってきた。元々、
「喋れるのだから、書けるはず」
という発想の元に書けるようになるのだから、実際に書いていると、スムーズに言葉が出てくるのであった。
モスキート音というものは、
「ある年齢以上になると聞こえなくなる」
という特性があると言われる、一種の、
「超音波」
と言われるものである。
「モスキート」
というのが、
「蚊」
ということであるので、蚊が飛んでいる音は、ごく近くまで来ないと聞こえないので、いわゆる、
「ステルス効果」
があるということで、
「軍事目的で開発される」
ということだったようだ。
兵器として利用されるのだろうが、
「近くに来ないと音が聞こえない」
あるいは、超音波なので、
「飛行音が、レーダーに引っかからない」
ということになるのかも知れない。
また、暗黒の宇宙で、光を自ら発する恒星であったり、光を反射して光っている星しか、宇宙空間には存在しないかのように思われているが、実際には、
「光を発せず、反射もさせず、光を吸収してしまう」
という、ある意味邪悪な星ということで、
「暗黒星」
というものを創造した天体博士がいたというが、まったく存在を知られることなく、近くに佇んでいるということであれば、これほど恐ろしいことはない。
それも、
「モスキート音」
というものが、音であるなら、
「暗黒星」
というのは、光というものによって、保護色に包まれた、
「音でも保護色の色でもない光」
というものが、他にも存在しているのかも知れない。
そんなことを考えていると、
「光」
というものと、時間が絡んでくるのではないか?
という発想があった。
その光が、時と場合によって、精神疾患がある人間に、いかに影響するか?
と考えると、
大学時代に書いた小説の中で、
「精神疾患のある人が創造した世界」
というものを作り出したという記憶があった。
その精神疾患者は、
「嫉妬心」
というものが、奥深くに存在し、
「覚悟」
というものを自分でまわりに振りまく環境が、
「一歩踏み出すことで、自分が見えていない世界に、時間というものが絡むことで、四次元の世界の創造であったり、時間を超越することで、
「暗黒星」
というものの、
「無限の限界」
を感じさせるのであろう。
その女の子が、
「自分に何を求めているのだろう?」
ということを、考えるようになった。
話をしている中で、考えれば考えるほど、袋小路に入りこんでしまっているのを感じるのだが、それは、最初から、
「俺には分からないのではないか?」
と、考えるからではないだろうか?
というのは、
彼女に対して、自分は、病気というものが相手にあるということで、恋愛感情というよりも、そばにいて支えてあげるということを目指していたのだった。
しかし、話をしているうちに、次第に疑問を感じてくるようになった。
その理由には、いくつかあるのだが、一つには、
「自分と知り合ってから、毎日のように、精神状態が安定しない状態になっていくのが、目に見えて分かった」
ということからだった。
「俺と知り合ったことで、運命を変えてしまったのかも知れない」
と思うと、そもそも感じていた、
「そばにいて、寄り添ってあげる」
と考えていたことが、まったく、本末転倒になってくるのだった。
さらに、もう一つ気になることとしては、
「俺は、彼女が言いたいことを理解できているのだろうか?」
という気持ちだった。
話をしているうちに、自分が想像していたよりも、彼女はものの理屈などに関しては、相当しっかりしている。そこに気付かなかったのは、
「彼女は病気なんだ」
ということを必要以上に考えすぎてしまって、彼女の個性であったり、性格を、俺自身が、否定しているのではないか?
ということを感じたからだ。
確かに、相手を否定するつもりもなければ、ただ、
「寄り添っていたいだけだ」
と思っていても、それが、次第に嫉妬になってくるのを感じたのだ。
嫉妬というのは、彼女に対しての、
「恋愛感情から来るものだ」
と思っていたが、途中から、少し違って考えるようになった。
というのは、
「自分が仲間外れにされているのではないか?」
ということを感じたからではないだろうか?
彼女には、自分の保身のためもあってか、友達、相談相手が多い。男として恋愛感情を抱いた相手が、いくら病気だといっても、自分以外の人との時間を大切にしたり、自分には分からないということに対して、相談しているのだと思うと、
「俺とは住む世界が違うのではないか?」
と思うようになったのだ。
もちろん、
「そんなことはないはずだ」
と自分に言い聞かせるが、似たような病気を持っていて、立ち直った人に、いろいろ相談したり、頼るのも当たり前のことだろう。
だから、本当は、
「そうか、そういう人がいるのなら、頼ればいい」
という、
「大人の態度」