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自分と向き合う

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「まわりのことを先に考えると、結果を求めることを優先してしまい、前に進んでいるつもりでも、求めているだけで、自分が切り開いているわけではないと考えられるであろう」
 ということであった。
 だが、覚悟を決めると、
「退路を断っている」
 というところまでは行っていないが、自分ではそれくらいのつもりだったといってもいいだろう。
 だが、
「やる」
 と決めると、自分の気が楽になってくるのを感じる。
 それまで、緊張から重たかったと感じていた身体だったが、覚悟を決めて、気が楽になってくると、少しでも、前に進める気がするのだ。
「前に進めるということが、覚悟を決めたことの証明にもなるということではないだろうか?」
 と考えられる。
 小学生や、中学生では、そんな気持ちは、なかなかわからないだろう。
 中学生の時、弁論大会に出ようと想ったのは、
「賞品を俺も貰いたい」
 という発想からで、
「モノに惹かれた」
 と言ってもいいだろう。
 確かに、景品や賞品に惹かれることは当たり前であり、小学生、中学生くらいであれば、文句なしに、
「景品や賞品は、貰って嬉しいものだ」
 と言えるだろう。
 実際に、景品や賞品を貰うということよりも、貰ってみると、
「貰うということよりも、貰って嬉しいと感じている自分を、まわりの人に見せびらかして、羨ましいという感覚にさせたい」
 というものだった。
 それは、自分が感じたことであり、羨ましいと思わされたことで、自分が立候補したのだ。それが、堂々巡りではあるが、最初に感じたことであり、
「間違っていない」
 と感じさせるものだということではないだろうか。
 弁論大会に出てみると、正直、成績は惨憺たるものだった。
「俺がここまでひどいとは」
 というほどのことで、予行演習でやった時は、
「実にうまくいった」
 と信じて疑わなかった。
 信じて疑わなかっただけに、結果を見た時、
「そんなバカな」
 と感じたほどだった。
 順位発表の時、自分の名前がなかなか出てこなかったので、
「ひょっとして、優勝では?」
 と自惚れたほとだったが、実際には、下から2番目で、ほしくもないブービー賞だったのだ。
「何で俺が、こんなに低い順位なんだ?」
 と思った。
 本番では、練習の時くらいに、
「自分でもうまくいった」
 と思ったのだったが、実際には、
「こんなにひどかったんだ」
 と思わされるほどだったのだ。
 してはいけないとは思ったが、どうしても納得がいかずに、審査委員に聴いてみると、審査委員は、聴かれたことに、別に印象はないようだったが、呆れたかのような表情で、
「放送部が録音してくれているだろうから。それを聞かせてもらってごらん」
 と言われただけだった。
 そして、その表情に、哀れさを感じさせるのだったが、放送部の人に、
「審査委員から、僕の録音を聞かせてもらってくれと言われたので来てみました」
 というと、今度は放送部の人も、委員と同じような、少し呆れた表情になったことを見逃さなかったが、それを見ると、
「何か嫌な予感」
 がしたのだった。
 そして、実際にそのテープを聴いた有岡は、愕然としてしまった。
「これが俺なのか?」
 ということが、まず出てきた言葉だった。
 声のトーンも自分で感じているのとは違い、かなり高めだった。
 しかも、声の抑揚には、完全に、どこかの訛りが含まれていた。
「どこの訛りだというんだ?」
 知っているかぎり、生まれてから、違う方言の土地に住んだということはなかった。ただ、おばあちゃんが、自分たちとまったく違う方言を使っていて、その分、訛りもひどく、テープを聴いているうちに、おばあちゃんが話していた訛りを思い出したのだ。
 中学2年生のその時、すでにおばあちゃんは亡くなっていて、確認することはできないが、自分の喋りを聴いていくうちに、おばあちゃんの方言を思い出すので、
「この訛りは、おばあちゃんから受け継いだものだったんだ」
 ということであった。
 それを思い出してみると、
「なるほど、こんな弁論だったら、最悪じゃないか。まあ最下位じゃないだけマシだったというものだ」
 ということであった。
 ただ、
「参加して、やり切った」
 ということだけは、評価できると想った。
 成績は最悪で、
「もっと努力しないといけない」
 ということと、
「自分がここまで自分というものを知らなかったのか?」
 ということを考えると、
「やっぱり、勇気はあっても、賞を貰えるなどという自惚れがひどいということを思い知った」
 というものであった。
 だが、その時思ったのが、
「なぜ、弁論大会に出たいと思ったんだっけ?」
 というものであった。
 確かに、弁論大会に出た理由は、
「賞品がほしい」
 ということであった。
 というよりも、
「賞品を貰っている人間を、指をくわえて見ているということに耐えられない」
 ということだったのだ。
 これが、どういう感情になるのかというと、それこそが、
「嫉妬心」
 というものだったのだ。
 自惚れということもあり、
「俺は出場さえすれば、賞品を貰えることは確定している」
 というくらいにまで思っていた。
 しかし、出なかった理由として、
「人前で話すということも、覚悟がいると思ったが、それよりも、原稿を読むということの方が、笑い出してしまいそうな状況になることで、もっと、度胸を必要とする」
 と感じたことだった。
「急に笑い出してしまう」
 という現象は、自分の中で、理解できるものではなかった。
「なぜ、笑い出すのだろう?」
 ということを考えると、
「まわりが自分を見つめていることに、くすぐったさのようなものがあるからではないか?」
 というのが、ある程度考えた上での発想だったのだ。
 笑い出すということが、
「余計なことを考えるからだ」
 ということに繋がってくるということに気付かせてくれたのが、大学生になって、小説を書けるようになってからのことだった。
 というのも、
「小説を書くことができるようになったのは、余裕を感じないような時間の使い方ができるようになったからだ」
 と考えている。
 小説を書けるようになるというのは、
「構想したものを、最後まで書き切る」
 ということであった。
 満足いく、いかないというのは、あまり関係ない。
 自分で書こうとしていることが、とにかく、完結させるということを目指しているからだった。
 その時に考えたのが、
「途中で余計なことを考えず、最初に思ったことに向かって突き進むということが、小説を書くということで重要なのだ」
 ということであった。
 だから、小説を書いていると、
「とにかく、スピードを優先する」
 と考える。
「下手にいろいろ考えると、せっかく繋がりかかっている話に、余計な尾ひれがついて、先に進まなくなる」
 という考えがあったからだ。
 だから、小説を書いている時は、
「余計なことを考えないこと」
 ということを目指すようになったのだ。
 最初に小説を書き始めた時、本来なら必要な工程である、
「プロット作成」
 というものを行わないようにした。
「プロット」
作品名:自分と向き合う 作家名:森本晃次