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自分と向き合う

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 当時はまだ、バブルの時代で、定年が55歳くらいだったので、普通にその年齢くらいまで勤めあげれば、
「悠々自適な生活」
 というものができたのだ。
 しかし、バブルが弾けてからは、とんでもない世の中になり、定年の年齢はどんどん上がっていき、
「少子高齢化」
 ということもあり、年金の収入が少なくなっている。
 さらに、とどめを刺したのが、政府の怠慢による、
「消えた年金問題」
 だった。
 ずさんな事務管理という人災によって、もらえるはずの年金が、かなりの人間の額が分からなくなってしまったのだ。本当は、関わった全員が、
「切腹もの」
 というほどの大罪なのに、あの責任問題は、ある程度曖昧になったのではなかっただろうか?
 誹謗中傷を受けたことで、これからも自分が、
「いかに立ち直るか?」
 ということであったが、その中で、
「支え合う関係」
 を保てるような人がいた。
 その人の存在が自分に勇気を与えてくれるというのか、精神疾患がある人ではあったが、その人を、ずっと自分が支えているつもりでいた。
 その人も、絶えず誹謗中傷を受けてきて、いかに、
「今後の人生を一人で歩んでいけばいいのか?」
 ということで悩んでいた。
 同じ趣味を持つ相手ということで、一緒に歩んでいくつもりであったが、才能からすれば、相手の方にあった。
 悔しいが、太刀打ちなどできるはずもない。
 という相手だった。
 分かってはいるのだが、その状態を、どうすることもできなかった。
「相手は自分が支えている相手」
 ということで、それだけが自分の支えであったが、それだけでは、とても耐えられるものではなかった。
 その気持ちがどこから来るのかというと、
「やっかみや悔しさ」
 という意味での、
「嫉妬心」
 であった。
 これは実に厄介なもので、相手に対しての優越感では、どうにもならない。そもそも、相手というのを、
「俺が支えている」
 と感じた時点で、どうすることもできなかった。
 というのは、実際には、
「自分が支えている」
 というわけではなかったからだ。
 そう、お互いに立場が平等であり、
「自分が支えているわけではなく、お互いに支え合っているのだ」
 ということなのであった。
「優越感」
 というものを持っている以上。この支え合っているという感覚に至るのは、実に難しいだろう。
「決して認めたくはない」
 という思いが強い。
 ということは、このような関係であるということを、有岡はしっかり自分で自覚をしているということであろうか。
 お互い、支え合っているからこそ、倒れないのだ。
 なるほど、確かに、彼女ほどの意識があれば、
「俺になど太刀打ちできるはずはない」
 と言えるだろう。
 だから、太刀打ちできないというのは、優越感の否定ということからも言えるのであろう。
 だが、今の有岡にとって、
「お互い支え合っている」
 という、優越感の全否定は、
「自分の存在意義を否定している」
 ということも同意語だといえるのではないだろうか。
 本来であれば、お互いに支え合っているのは、美学と捉えてもいいのだが、どうしても、
それでは、
「俺のプライドが許さない」
 という思いが強かった。
 これを、
「嫉妬心」
 というのだが、有岡の中では、この、
「嫉妬心」
 という思いが、実に邪魔なものとなって、立ちふさがったのだ。

                 嫉妬心

 人に対しての妬み。この思いは、自分でも結構厄介なものだと思っている。
 例えば、日本代表が世界一になったということで、お祭り騒ぎになったり、あるいは、高校野球で優勝したと言っては、地元だけでなく、全国で盛り上がったりするのだ。
 有岡にとって、正直。
「俺にはどうでもいいことだ」
 と感じる。
 むしろ、決勝に近づくにつれて、次第に興味を失ってくる。
 それは、学生の頃までであり、それ以降は、そんな大会というもの自体に、まったく興味がなく、最初から意識もしなくなっていた。
 特に高校野球など、
「いつ始まって、いつ終わったのか?」
 ということすら分からないくらいだった。
 それでも、高校時代までは、大会の途中くらいまでは、気にしていたりもした。
 だが、高校を卒業すると、
「自分よりも下の連中が、やっている」
 としか思えない。
 ここでいう下というのは、年齢のことである。
 自分が年上だと思った瞬間に、一気に熱気が冷めてしまった。
 というのも、
「俺もいずれは」
 という思いがあったのだ。
 中学時代までは、野球部に所属し、
「めざせ、甲子園」
 という目的があった。
 もちろん、中学で目立つことで、高校のスカウトの目に留まり、
「野球留学」
 などという形で、有名校に入部して、
「そこから、甲子園を目指す」
 というような、
「青写真」
 を描いていたりもした。
 しかし、二つ上の先輩が、ちょうど自分が中三で、野球部の中心選手となっていた頃、その先輩は有名校からスカウトを受けて、自分の描いた、
「青写真」
 の通りの、甲子園を目指していたのだが、先輩が二年生の時、突如、野球部を辞めてしまい、さらに、数か月後には、学校も辞めてしまった。
 正確にいえば、
「退学させられた」
 ということであった。
 万引きだったか、罪としてはそんなに重くはないが、完全な転落人生に違いなかった。
「一体、先輩に何があったというのだろう?」
 それを考えていると、ウワサというのは流れてくるもので、
「先輩は、練習中の怪我から、治療後のリハビリに失敗したことで、肩を壊してしまったのだ」
 ということであった。
 結局は、そのまま野球ができなくなったとのことだった。
 この時、もう一人、共犯として、その人も、
「野球留学の仲間」
 であり、
「前途を宿望されていたはずだった」
 ということであった。
「それがなぜ?」
 ということであるが、考えてみれば、ある意味当たり前ではあった。
 中学時代には、地域で有名な中学生であり、
「いずれは、彼が甲子園につれていってくれる」
 という、地元の勝手な期待を受けていて、本人もさぞや、その気になったことであろう。
 中学を卒業し、まるで決まっていたレールに沿う形で、
「お約束の野球留学」
 という形で、いわゆる、
「甲子園常連校」
 と呼ばれる学校に入学した。
 当たり前のように、野球部に入部し、高校野球という舞台に、脚を踏み入れたはずだったのだ。
 だが、実際には、そうもうまくいかない。
「中学時代では、まわりに敵なし」
 と言われるほどの、
「無双選手」
 であったが、この学校は、そんな選手ばかりをスカウトがその目で見て、集めてくるのだから、
「トップ中のトップ」
 の集団と言っても過言ではないだろう。
 そんな中に入ってしまうと、
「高校野球レベル」
 と言われ、高校生になれば、
「超高校級の選手」
 と呼ばれるだろうと、自他ともに思っていただろう。
 しかし、今自分が、
「エリート集団」
作品名:自分と向き合う 作家名:森本晃次