小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

再会へのパスポート

INDEX|9ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

 それよりも、精神病院に入院させて、治療を優先しようと考えるだろうか?
 普通はそれくらいあっても不思議ではないと思うことだろう。
 しかし、昭和の頃というと、ある意味、偏見があった。
「精神病院というところは、入ったら終わり」
 という感覚があり、
「自分の子供が精神的に病んでいたとしても、世間体を気にして、精神病院に入院させたりはしないだろう」
 と言える。
 しかし、実際にはもっと深刻であるということを知らないだけで、例えば、親に暴力をふるったり、殺されかかったりすれば、急に臆病になって、それまで言っていた言葉を一気に撤回し、
「何も言わずに、病院で隔離させる」
 ということになるのだ。
 要するに、自分に身の危険が迫ってくると、それまで、
「世間体が」
 などと言っていたくせに、一気に臆病になり、
「自分たちからなるべく遠ざけよう」
 とするに違いない。
 親といえども、そうなると、
「自分たちのことしか考えていない」
 ということであろう。
「もう、おかしくなってしまった子供は、自分の子供ではない」
 とばかりに、一気に突き放すような気分になるのであった。
 そんな時代だったからなのか、当時は、今ほど精神疾患の子供がいないような気がする。
 少なくとも、一定数は、前述のようなケースもあるだろう、
「大人が体裁を気にして、子供を表に出さないようにしている:
 という形である。
 それでも、自然治癒したということであろうか?
 それとも、子供と親とで、秘密裡のうちに、泥沼に嵌ってしまったことが、世間に知られないままに、処理されるという、何か恐ろしい力が働いているということなのかである。
 そんな恐ろしい状態において、それほど問題にならなかったというのは、ひょっとすると、表に出てきていない、
「何らかの組織」
 というのが暗躍をしていて、本当は今よりもひどかったのかも知れないものを、秘密裡に始末していたのかも知れない。
 今の時代であれば、コンプライアンスの問題などもあるので、そんな光らせている目をかいくぐって、暗躍できるほどの今の時代ではないだろう。
 そうなると、今は、ほとんど、
「オープンにすることが、一番の解決法だ」
 ということになるのではないだろうか?
「昭和の頃の昔と、令和の今とでは、どっちがいいというのだろうか?」
 ということを考えて、果たして簡単に答えが出るものであろうか?
 そんなことを考えていると、子供の問題も難しいことに気付く。
「令和の今がいいと思っている人は、意外と、昭和を知っている人なのではないか?」
 というほど、昔の体裁を気にしたり、コンプライアンスのまったくなかった時代から比べると、今の方が相当いいと思っているのかも知れない。
 コンプライアンスの話になると、比較されるのが、昭和の頃の同じシチュエーションの話だった。
「本当に昭和の頃というのは、仕組みが整っていなくても、よかった時代だ」
 という間違った考えを持っている人も多いのかも知れない。
 昭和の頃は確かに、いろいろと、おおざっぱだったこともあった。
 しかし、いろいろ、
「神話」
 と呼ばれるものがあり、それとは違う考えは、基本的に打ち消された。
 たとえば、
「銀行不敗神話」
 バブルの時期にいわれていたのだが、
「銀行は絶対に破綻しない」
 というものであった。
「破綻しかかっても、国が助けてくれる」
 というものであるが、まったくもって、デマであったということが、
「バブルの崩壊」
 で証明されることになるのだ。
 さらに、もう一つとして、
「高速道路神話」
 というのもあった。
「確か耐震構造は、鉄壁のようなことを言っていたのでは?」
 というはずだったのに、阪神大震災では、見事に横に倒れていたではないか?
 さらに、
「原発安全神話」
 というのもあった。
 福島県の原発が、東日本大震災にて、どのようなことになったか?
 ということである。
 ただ、震災に関しては、
「想定していた以上の災害だった」
 ということになるだろう。
 そういう意味では仕方がないというところもあるのだろうが、だからと言って、
「しょうがない」
 ということで済ませられるのだろうか?
 被災者が、必死で立ち直ろうとしているところ、さらに、次に何が起こるか分からないというのは、阪神大震災にて、耐震構造を再度見直しをしたにも関わらず、それから、数十年経っても、まったく変わっていないという、とんでもないところもあった。
 やはり、
「歴史に学ばない」
 というのは、
「時代を生き残っていけない」
 ということになるのではないだろうか?
 それを考えると、
「震災などの、災害に関しては、デリケートな部分を相当含んでいる」
 と言えなくもないだろう。
 そういう意味もあるが、昔から、神話として言われていたり、
「政府や企業が太鼓判を押すことに関しては、疑ってかかった方がいい」
 という場合も往々にしてあるというものだ。
 そんな神話の中で、確かに政府がいうのは、あてにならない場合も多い。
「年金や福祉は、100年大丈夫だ」
 などと言った、過去、自分の党を、
「ぶっ潰す」
 とかいうようなことを言っていた、ソーリの言葉を思い出せば、どれだけいい加減だったということか、よくわかるというものだ。
 結局、その時のソーリが残した傷跡が、今でも足枷のようになって、どうしようもなくなってしまっている。
「それが、今の世の中だ」
 と言えるのではないだろうか?
 余談になってしまったが、昭和の頃の喫茶店と、今とでは、相当な違いがあるということである。
 ただ、このお店は、
「古き良き時代」
 を思わせるものが残っていて、しかも、今も現役で動いている。
 それは何かというと、
「レコード」
 であった。
 平成に入ってから、少しして。CDというものが出てきてから、レコードや、昔のカセットテープというものが、徐々に姿を消していった。
 昭和の頃のラジカセというと、ラジオをカセット再生、録音ができる機会で、ダビング用に、ダブルカセット機能がついていたりした。
 レコードも、今でも、針を盤に落とした時の音が、心地いいと思っている人もいるくらいで、確かに音は、CDの方が、どれほどいいか分からないが、それを加味しても、ラジカセや、レコードプレイヤーというのは、実に懐かしいものである。
 何しろ、アンプやカセット、スピーカーまで普通にそろえると、安くても、20万円以上したものだった。
「まるで、今のパソコン並みではないか?」
 と言えるのではないだろうか?
 そんな店で、大学時代を懐かしく思っていると、またしても、ほのかのことが当た頭をよぎってきた。
 しかし、今度はほのかのことを想像しているのだが、登場する自分は、
「今の自分なのだ」
 これは、まるで、夢に何度も見る、
「大学を卒業できないでいる自分」
 というものを、思い浮べているようだ。
 夢を思い出してみると、
作品名:再会へのパスポート 作家名:森本晃次