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再会へのパスポート

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「目の前に見えていても、それを意識することがないので、そこに重要なものがあったとしても、見逃してしまう」
 ということに繋がるというものだ。
 これは、
「灯台下暗し」
 という発想とも似ている。
「目の前にあるにも関わらず、気付かなかった」
 というのが、灯台下暗しという言葉の現象であり、
「石ころ現象」
 とは、似てはいるが、あくまでも類似現象であり、どこかがかぶっているのだろうが、その接触地点もハッキリと分かっていないという感覚だった。
 というのも、
「石ころ現象」
 というのは、あくまでも概念であり、それ以上でも、それ以下でもない何かが影響しているかのように思えた。
 確かに似たような感覚が他にもあるのだろうが、単独でそこにあっても意識しないほどの感覚なのは、
「石ころ以外にはないものだ」
 と言えるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、その喫茶店にいつも来ているはずなのに、その日は、途中から、コーヒーの香りがしなくなっていたのは、どういうことだったのだろう?
「どこか体調が悪かった」
 と言えるかも知れないが、むしろ体調が悪いというよりも、心地よすぎて、その中に埋もれてしまった感覚になったような気がするのだが、だからと言って、
「コーヒーの香りを無理にでも思い出したい」
 と思わなかった。
 一つには、
「またすぐに匂いが戻ってくる」
 というのが分かったからで、錯覚の類なのだろうが、本当にそれだけなのか、危惧してしまうのだった。
 もう一つは、
「この時間は、コーヒーではない、何か他の種類の匂いを感じたい」
 という思いがあるからであり、それが、
「何かの心地よさだ」
 ということはわかるのだが、その正体が、その時は、
「分かるわけはない」
 と感じたのだった。
 そんなコーヒーの香ばしい香りを感じているから生まれた心地よさであり、さらに、他の香ばしさを感じたいという一種の欲が、自分の中に現れたことで、感じたのが、ほのかのつけている香水だったのだ。
 香水の種類を、男の晃弘が分かるはずもない。最初は、まるで薬品のような臭いに、
「何がいいのだろうか?」
 と感じたのは、母親が昔からつけていた香水を思い出したからである。
 その臭いは、悪臭だったといっても過言ではないだろう。
「これでもか?」
 と言わんばかりの、薬品の匂い。
 漂い始めると、正直吐き気を催してきて、
「もし、他の臭いがどんなに単独だったり、いい匂いだと思う臭いであっても、混ざった時点で、これほど耐えられないものはない」
 と思うことになるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「この喫茶店の漂っている匂いを、嫌に感じたことはなかった」
 と言えるのであり、そもそも、この店の建物から漂ってくる香りの正体がまったく分かっていないので、
「まあ、嫌ではないか?」
 と感じさせるものであったのだ。
 この日も、鼻腔をくすぐる心地よさしか感じることはなかったが、新たな発見として、
「この店には、香水の香りもいいものだ」
 ということであった。
 少々、薬品の匂いが強烈なので、
「まあまあ、少々の辛さを感じたとしても、致し方がない」
 と思うほどだったが、これだけ強烈な臭いがあるにも関わらず、まったく気にならないというのは、どういうことなのだろうか?
 という思いもあったのだ。
 香水の香りの柑橘系と、甘みを微妙に混ぜた感覚は、
「初めて感じたものだったのだろうか?」
 と思い、その臭いを記憶をさかのぼらせることで思い出したいという思いから、目を瞑って、意識を過去にさかのぼらせようとしたのだった。
 記憶をさかのぼらせてみたが、やはり、ある程度のところに結界があるのか、それ以上遡ることができなかったのだ。
「どこまでさかのぼればいいのだろうか?」
 と感じてみたが、さかのぼって正体がわかるところまで行こうとするには、まだまだ時間が掛かるというもので、それまで、
「頭痛に耐えることができるだろうか?」
 という発想であった。
 今のところ、頭痛がしているわけではないが、晃弘には、頭痛がし始める、ある程度のラインが分かるのだった。
 それは、
「頭痛が起こる結界とでもいえばいいのか、自分でも、よくわからない」
 というものであった。
 一種の、
「オーバーヒート」
 というものであろうか、頭痛がしてくるのを感じると、高校時代にちょくちょくあった、
「偏頭痛の現象」
 を思い出す。
 病院に行くと、
「ストレスを抱えたりすると、起きますので、なるべくストレスを抱えないように」
 と先生から言われ、軽いリハビリのようなものと、薬を貰っただけだった。
「だけど、ストレスを抱え込むなというが、それができるくらいなら、とっくにやってるさ」
 と言いたいくらいだったのだ。
 そもそも、ストレスと言っても、いつどこで起こるかというのは、想像がつかない。
 自分で起こすこともあるだろうが、たいていの場合は、
「外部からのものがほとんどではないだろうか?」
 と言えるだろう。
 外部からの圧力を感じると、最初は、反射的に、それを払いのけようとするのだろう。しかし、そのタイミングを逸すると、完全に隙ができてしまい、そこからストレスは、何の抵抗もなく、入り込んでしまうことから、
「逃れることはできない」
 と感じさせられるように思えたのだ。
 それが、
「五感すべてで感じる」
 というものであったりすれば、臭いだと、嗅覚だけということであれば、まだ、何とか逃れられるのだと思うのだが、これも、相手がうまく、
「臭いの感覚をマヒさせる」
 というものであることが分かると、
「まるで、保護色のようなもので、カメレオンを彷彿させる」
 という思いと、
「コウモリ」
 を感じさせた。
 コウモリというのは、イソップ物語の中にある、
「卑怯なコウモリ」
 という発想であり、
「鳥と獣が戦争をしている時、獣に向かっては、身体に毛が生えているということから、自分を獣だといい、鳥に向かっては、羽根があるということから、自分を鳥だと言って、逃げ回っていた」
 というコウモリの話である。
「最後には、戦争がなくなったことで、鳥と獣の両方からハブられることになり、暗く異質な洞窟の中で暮らすようになり、自然と目も見えなくなっていったのではないだろうか?」
 という話であった。
 この喫茶店において、香水の匂いを嫌に感じないのは、その絶妙なタイミングによるものなのか、
「いい匂いを感じさせるようになるのではないか?」
 ということからも言えるのではないかと考えるのだった。
 臭いというものが、いかに意識や記憶の中に忍び寄っているかということは、
「実際の臭いというものを覚えていることは、意識の間ではあるかも知れないが、これが記憶というところまで行ってしまうと、もう分かるはずがない」
 ということを感じさせるものであった。
 ただ、その臭いが何に近い臭いだったのかということの記憶だけはあるのだ。
 だから、
「もう一度嗅げば思い出すのにな」
作品名:再会へのパスポート 作家名:森本晃次