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再会へのパスポート

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 そんな学生時代の文芸サークルで、仲良くなった女の子がいた。
 確か名前を、東条ほのかという名前だった。結婚していれば、苗字は変わっているだろうが、今でも、目を瞑れば、瞼の裏に、彼女の表情が浮かんでくる。
 そういえば、彼女の笑顔というのを見たという意識はなかった。笑顔という印象もない。「無表情だった」
 というイメージが強かったのだが、その顔に、あどけなさがあり、可愛いという雰囲気なのだが、笑顔が可愛いわけではない。
 言ってみれば、
「純朴な雰囲気が、いいのだ」
 幼さが残っていながら、表情に笑顔がないので、
「あどけない」
 という雰囲気でもない。
 いつも同じ表情で、下手をすれば、
「飽きが来る」
 といってもいいのだろうが、晃弘には、
「飽きというものは、まったくない」
 と言えるのではないだろうか。
 背もそんなに小さいというわけでもなく、スラリと伸びた雰囲気は、クラス委員長という雰囲気が漂っているようだ。
 そういう意味で、彼女の中には、
「勧善懲悪」
 という雰囲気があり、だからこそ、無表情なのだろう。
 表情が豊かで勧善懲悪だとすれば、男性であれば、ピンとくるが、女性には、凛々しさを求めてしまうのは、仕方のないことであろうか。
 ほのかは、友達もそんなにいなかった。肌の色も、まるで病的に白く、平安時代の、
「白拍子」
 のようであり、
「静御前をやらせれば、似合うかも知れないな」
 と皆に言われていた。
 彼女に密かに憧れていた頃の、晃弘は、
「俺が義経をやりたいくらいだ」
 と思っていたのだが、それは、まわりの皆が同じことを思っていたようで、だからこそ、余計に、そのことを口に出すようなことはしなかった。
 彼女は、いつも冷静沈着だった。
「いかにも」
 という感じなのだが、その様子を誰が何を感じるかということであった。
「ほのかのファンは、それだけ多いんだ」
 と思い、
「積極的にならないといけない」
 と思ったのだが、積極的になっても、
「冷めた目で、見おろされて、それで終わりだ」
 ということになれば、本末転倒もいいところであった。
 確かに、
「彼女の魅力は、その冷静沈着な雰囲気だ」
 ということなのだが、そのまま受け入れると、
「まるで雪女のような、冷徹な雰囲気から逃れることはできない」
 ということになるだろう。
 そう思うと、
「ほのかという女性は、他の女性と一緒にいてはいけない」
 という雰囲気に見えて、まだ男の中の方が、
「高嶺の花に群がる男たち」
 という雰囲気で、まるで、
「クレオパトラ」
 をイメージさせるものであった。
「彼女の表情が変わるイメージはない」
 ということで、いかにも、
「ほのかのイメージがそのままだ」
 ということになるだろう。
 晃弘も、いつもほのかを見ていて、
「俺ほど見つめている男性は自分しかいない」
 と思っていたのだが、まわりも皆思っていたことに気付いたわけではなかったのだ。
 おとなしめだったので、喋り方も落ち着いている。その感じが、肌の白さと相まって、まるで、
「大人のオンナ」
 という雰囲気を醸し出している。
 だが、ほのかを見た時、
「初めて会ったような気がしないな」
 というイメージがあった。
 その時に感じたのが、
「これが俺の初恋なのかな・」
 というイメージだった。
 だが、自分の初恋は結構イメージとして残っていて、小学三年生の頃だったか、クラスの女の子で、やはり静かな女の子だったのを思い出したのだ。
 その時は、自分から話しかけることはできずに、ただ見つめているだけだったが、その時の女の子と雰囲気が似ていたのだ。
「確か、そういえば、ほのかさんと言ったっけ?」
 と思い、落ち着いた女の子に、
「ほのか」
 という名前の女性が多いのか?
 と感じたほどだったが、どうやら、小学生の頃、好きになった女の子が、大学のサークルで知り合うことになった
「東条ほのか」
 だということになるのだろう。
 確かに、彼女と話をするようになってから、小学校の話を聴くと、間違いなく、その時の女の子だったようだ。
 相手が、自分のことを、子供の頃に意識していたのかどうか、怖かったが聞いてみた。
「いいえ、ほとんど、小学生の頃のことは憶えていないですね。嫌な思い出が多かったような気がするからですね」
 というのだった。
 そんな彼女と大学時代に再会した時、
「あの頃から好きだった」
 と言いたかったが、それは控えた。
 だが、小学生の頃のことを何度か聞いたりしたので、
「ひょっとすると、何か、あの頃に思い出があるのかしら?」
 という意識から、
「まさか、自分のことを好きだったなんて」
 と思うからなのか、何も言わなかったのだ。
 だが、明らかに意識をしているようで、その様子を見ているだけで、晃弘は嬉しい気分になるのだった。
 いくら大学生になったからと言って、いきなり大胆になれるほど、晃弘は精神的にしたたかではない。
 それでも、今までにない大胆さは、もちろん、大学生であるということもあるが、
「以前から知った仲だった」
 ということから出てきたものだった。
 何か、必要以上のことを、晃弘はいうわけではなかった。もちろん、誘ってから後は、もう小学生の頃のことを口になどしなかった。
 せっかくいろいろ誘い掛けることができるようになったのに、何にも、昔のことを思い出すこともなかったのだ。
 それだけ、晃弘は、
「小学生時代の自分のことが、嫌いだ」
 と言ってもいいだろう。
 小学生時代の自分を思い出す時、何を言えばいいのか、考えてみたが、無理に思い出すこともないと思い、おとなしさが今とは変わっていないということを心に感じながら、なるべく今の、
「大人になった自分」
 というものを、
「いかによくアピールできるか?」
 ということを考えるべきだと思うのだった。
「初恋は、本当に、小学生の頃だったのだろうか?」
 と、自分に言い聞かせるのだった。
 そんな、ほのかとデートをしたのは、大学2年生の頃だった。映画を見て、帰りに、寄ったのが、馴染みの喫茶店だった。大学から比較的近いところだったので、まわりには、カップルも多かったので、別に自分たちが目立つわけではない。そういう意味でよかった。
 大学生になると、ほぼ毎日のように喫茶店に寄っていたような気がした。
 最初は先輩に連れていかれてのことだったが、早朝に授業がある時などは、早朝7時から営業している店で、その店では、いつも、モーニングセットを頼んでいた。
 コーヒーに、ハムエッグにトーストと、サラダが添えてあった。いわゆる、
「オーソドックスなモーニング」
 ということで、毎日食べても飽きることはない。
 早朝、まだ半分寝ているかも知れないという状況での、一杯のコーヒーは、目覚めには最高だった。
 さらに、トーストと目玉焼きの香ばしい匂いのセットは、食欲をそそるものだった。
「本当に毎日でもいいな」
 と思うくらいだった。
 小学生の頃は、家で毎日のように、ごはんとみそ汁で、それをずっと続けられ、次第に、
「見るのも嫌」
 と思っていた。
作品名:再会へのパスポート 作家名:森本晃次