小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

再会へのパスポート

INDEX|16ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

 自分が今までに付き合ってきた女性たちのことを思い出すと、特に大学時代の、ほのかと別れてから付き合った数人に対しては、ストーカーとまではいかないが、
「納得がいかない」
 と言って、かなりしつこく付きまとったことがあったりした。
 その理由は自分でも分かっている。
 というのは、それまでほのかと付き合っていた時は気づかなかったが、
「俺は結構、気にしていないつもりでも気になるタイプで、特に後になって考える方なのかも知れない」
 と感じるようになっていた。
 だから、ほのかとの別れを、その時は、
「大人の対応」
 として受け入れたのだが、別れてからというもの、その別れに対しての後悔の念が、どんどん沸き起こってくるのだった。
「こんなことなら、もっと自分の気持ちに正直に、粘っておけばよかった」
 と感じたのだ。
 というのも、
「ほのかに対して」
 というよりも、別れたことに対しての後悔が強かったのだ。
 だから、次に付き合うことになった女性と知り合うまでに、そんなに時間が掛からなかった。どうかすれば、
「まだ、ほのかとの別れに対して、ショックが残っていた時期だったからだ」
 それを思うと、
「ひょっとすると、その時が、自分にとって、唯一のモテキだったのかも知れない」
 とも感じた。
 だが、そんなことは、後になって思い出して感じたことで、その時はわからなかった。
 だから、余計に、
「ほのかとの別れ」
 というものに、後悔があったと、後から思うようになったのだ。
 ほのかが、自分と別れてからどうなったのかということは、分からなかった。
 別れを後悔しているわりに、彼女のその後を知るのは怖かったのだ。
 だから、他の女の子に視線を向けて、敢えて、忘れようとしたのだが、そうなると、彼女ができるという、複雑な心境となることになったのだ。
 悪循環と言ってもいいのだろう。気持ちの整理ができる前に彼女ができるのだから、できた彼女とうまくいくはずもない。
 それを思うと、大学時代というのは、往々にして、
「歯車が狂ってしまっていた時期だった」
 と言ってもいいだろう。
 高校生の頃までは、そこまで感じたことがなかったが、感じたことがなかっただけで、今から思えば、やはり、何かがずれていたような気がする。
 自分の学生時代は、どこかから何かがずれてきていて、それが大きな波となっていたのではないかと思うのだった。
 それが、30歳くらいまで続き、30代の末期くらい、中年という言葉が頭に浮かんでくるようになると、自分の中で、落ち着いてきたような気がしたのだ。
 ただ、20代の後半くらいは、人生の歯車がかみ合った時期があったような気がしてきた。
 それが仕事に対しての感覚であり、20代の後半というと、自分の仕事にも慣れてきて、しかも、ちょうど、第一銭という現場中心の仕事だったので、その成果が結果という形で現れる時期でもあった。
 だから、
「頑張れば頑張るほど報われる」
 と感じたのだ。
 給料に直接反映するというわけではないが、一生懸命に頑張ったことが、結果となって現れ、上司からもそれなりの評価がもらえることは、自分の中で、
「お金に換えることのできない充実感であり、満足感だ」
 と思っていた。
 上司というのは、その頃は、
「部下に命令だけして、楽な立場だ」
 と思っていた。
 しかし、実際に自分が、今度は、中間管理職と言われる立場になると、
「本当にこれでいいのか?」
 と思えてきたのだ。
 それまでは、自分が第一線でしていた仕事は、
「やればやるほど結果が出た」
 というわけで、やりがいがあったのだが、今度の、
「中間管理職」
 というのは、
「今までやっていたことを、人にやらせてなんぼ」
 というものだったのだ。
 ということは、今までと、180度違った形になるわけであって、それを思うと、
「仕事をしていても、やりがいとなる成果が生まれてこないではないか?」
 ということだった。
 そもそも、やりがいというものが、結果だけだと思い込むことがおかしなわけで、ただ、最初に結果が出る仕事をしていたことから、そう思うのだから、しょうがないことなのだろう。
 それでも、やりがいがあって、うまく仕事ができているのであれば、それでいいのだが、そのやりがいが分からなくなると、次第に、会社にいても面白くなくなってくる。
 そうなると、余計に、
「歯車が狂い始めた」
 と思うものだろう。
 そう思って、人によっては、
「転職」
 というのを考えるようになるが、逆にいえば、
「どこに移っても、この考えが変わるわけではない」
 と言えるだろう。
 だから、晃弘はその時、転職を考えることはなかった。
 だが、不思議なことに、やりがいということを少し考えるのを辞めると、考え方が変わってきて、仕事をするのが嫌ではなくなった。
 会社の人に言われたことがうまくいかなかったわけではなく、何とか仕事ができるようになってきた。
 それは、きっと、
「慣れなのだろう」
 と感じるようになった。
 それまでは、
「実績と結果がすべてだ」
 と思っていたが、
「人にやらせる」
 ということで、出てきた結果は、
「すべてが、現場の人間の成果だ」
 と思ったからで、それは、
「自分がそれまでに感じたことを否定したくない」
 ということの表れだったに違いない。
 だが、少し冷静になって考えると、
「後輩が残した成果」
 というものは、自分の操縦術から来るものであり、それが中間管理職の仕事だと思うと、今度は、上司から降りてきた案件をまとめることもできるようになってきた。
 つまり、
「上司からの案件を、現場にいかに分かりやすく伝授するか?」
 ということであり、それができるかできないかで、大きく仕事が別れてくるというものであった。
 それは、
「部下の仕事が、モノを作るという、工場の過程であり、自分たちの仕事が、その設計図を作る」
 というものだとすれば、
「設計図がまともにできないと、すべてが瓦解する」
 と考えると、自分たちの仕事がどれだけ大切かということも分かる。
 それが、係長や主任の仕事であった。
 そこから、今度は、部長、課長クラスになると、その設計図を係長がうまく作れるようになるための。
「企画、立案」
 が仕事となってくるのだ。
 もし、顧客からの依頼があって、それを最後に納品するところまでであれば、まずは、相手との折衝が必要になり、設計する際の、必要な要件が問題になってくる。
「どのようなものを使って、いかに進めていくか?」
 ということである。
 そのためには、問題はさらに大きなところが絡んでくる。
 というのも、
「お金の動きが発生する」
 ということだ。
 つまりは、会社のためになるものとして、最終的に、
「利益」
 というものを生み出すことが必要だ。
 ということになるわけだから、当然、
「必要経費」
 という問題も絡んでくる。
 実際に、かかる経費と、売り上げ見込みを考えて、そこからの損益を考える必要が生まれてくるということになる。
 そんなことを考えていくと、
「社会の仕組みがどのようなものなのか?」
作品名:再会へのパスポート 作家名:森本晃次