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二重人格の正体

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 実際に、躁鬱状態で、軽い症状であれば、白石氏にも経験があった。最初に感じたのは、中学の時が最初だったあだろうか? 高校の頃まで、ほぼ、
「無限ループ」
 の状態に近かったといってもいい。
「躁鬱症ではないか?」
 と感じたのは、比較的早かったような気がする。
 最初が、躁から始まったのか、鬱から始まったのか、自分でも分からなかったが、よく考えてみると、最初の予感があったのは、
「時間の感覚」
 だったのだ。
 最初に感じた時間の感覚は、まず、
「時間がなかなか過ぎてくれないな」
 と感じたことだった。
 その時、とっさに、
「何か悪い予感がする」
 と感じたのだ。
 それ以前から、
「時間が長く感じたり」
 あるいは、
「なかなか過ぎてくれなかった」
 などと感じると、何か悪いことが起こる予感がして、そういう場合、たいてい当たっているのだった。
 もちろん、時間が短く感じる時というのもあって、そういう時は、
「いいことがあるような気がする」
 と感じ、大体当たっていた。
 考え方であるが、往々にしてこういう時は、後付けで、正当性を感じるものではないかと思うのだった。
 要するに、後から感じて、悪いことが起こった時は、最初に感じてから、その状況になるまで長かったような気がするので、その理由づけを、後追いで行うということである。
 いわゆる、
「辻褄合わせ」
 と言えるもので。
「嫌なことはなかなか過ぎてくれない」
 いや、
「時間が過ぎてくれないから、嫌なことが起こる」
 という両面から辻褄を合せて、しっくりくることでの正当性を考えるのであろう。
 そんな状態が、
「鬱状態」
 というものであり、
「何をするにしても、すべてが悪い方に行くという感覚にしかならない」
「人と関わると、何か虫唾が走るかのように、気持ち悪く感じる」
「人のアドバイスがすべて悪い方にしか聞こえない」
 などのような、すべてが悪い方に向かい、
「すべては自分が悪いと思っているのだが、どうすることもできない」
 という状態に陥るのだ。
 だから、人の話を聴けない。自分勝手な行動に走り、結局うまくいかず、自分のせいにして、さらに、他人のいうことが信じられなくなったりする。いわゆる、
「悪循環」
 というものである。
 人の助言が、悪口にしか聞こえない。世の中には、
「正論をあたかも、自分の考えのように話すバカな人もいるだろう」
 そんな馬鹿なやつのことがやたら目立ってしまったりと、
「鬱状態の方が敏感で、正確な状況判断ができるのではないか?」
 と思えるのだが、実際には、そんなことはないのである。
 だから、
「まわりの見たくないものが、やたらとハッキリと見え、一番関わりたくないと思っているところに、なぜか人が寄ってくることで、今度は、身体がムズムズしてきて、どうすることもできなくなる」
 まわりが皆敵だらけというような。
「四面楚歌」
 の状態を彷彿させるのだった。
 そんな鬱状態において、他の時との違いを、
「目に感じる時」
 があるのだ。
 というのは、
「夕方になると、普段は見えないと思っている光景が見える」
 というのだ。
 それは、光景というよりも、
「色彩」
 というものであった。
 その時間帯は、非常にせまく、特に夏になるとその影響が顕著に感じられる。
夕方というのは、実に短い時間だ。しかも、夕日が沈みだして、夜のとばりが下りるくらいまでのことをいうのだろう。
 それを思うと、
「目の前に沈もうとしている夕日を見ながら、身体に掻いたじっとりとした汗が背中にへばりついてきて、服の重たさが感じられるようになる時がある」
 と思うのだ。
 その時、日差しが、信号機に当たった時の、その色が、青信号は、明らかな碧に、そして赤信号は、ピンクに見えてくるのだ。
 碧というのは、
「緑色が、限りなく青に近い緑である」
 という感覚えある。
 また、ピンクというのは、
「限りなく赤に近いピンク」
 ということである。
 そして、その色を感じると、頭痛が襲ってくるのを感じる。疲れからくるものなのか、その感じた頭痛は、頭に重たさを感じさせる。そして、次第にその重たさが、脈を打っていると思うようになると、こめかみのあたりから、徐々に頭全体に渡って、痛みが広がっていくというものだった。
 痛みが頭全体に広がっていくと、
「元々の痛みがどこから来たのかが分からなくなる」
 と言った感じで、襲ってきた痛みが、まるで、虫歯のような感じがしてくるのだ。
 何とか、痛みを和らげようと、気を散らせようとする。
 そう思っていると、頭痛にも身体が慣れてくる気がすると、次第に頭痛が収まってくる。
 収まってきた頭痛ではあるが、それだけでは収まらないというのが鬱状態の特徴だった。
 そこから、今度は、吐き気を催してくるのである。嘔吐まではいかないのだが、吐き気からか、身体がいうことをきかなくなる。その頃になると、日が沈んできて、
「風がピタッと止まる」
 と言われる夕凪の時間に突入しているのだった。
 その時になると、明らかにそれまでと違っていた。
 というのは、ここにきても、
「色彩」
 というもので、さっきまで見えていた色が、今度はまったく感じられることのない、
「モノクロの世界」
 が広がっているのであった。
 ただ、これは、
「鬱状態でなくとも見れる」
 というものであった。
 というのは、夕日というものが、
「ロウソクが消える前の輝き」
 と言われるように、日が沈む寸前に、
「これでもか」
 とばかりに、光を放っているというものであった。
 その光が、目の中に、
「残像」
 として残っているものであった。
 その残像を残したまま、一気に火が沈み、その光の残像を地平線から望む光が、かすかな光を、まるで、
「最後の力」
 というように、目に襲い掛かってくるのだった。
 その時、人間は、
「目の錯覚」
 というものを起こし。その光が、この世に一瞬の、
「モノクロの世界」
 を見せるのだった。
 その光が、どれほどの一瞬なのかというのは、
「これほど曖昧なものはない」
 と言えるのではないかと思うほど、分かりにくいものはないといえるだろう。
 本当に数秒の一瞬なのかも知れないし、十数分くらいのものなのかも知れない。
 少なくとも、夕方を30分とすれば、モノクロの時間が十数分ということであれば、
「太陽が水平線に掛かり始めて、完全に夕日が見えなくなるまでの時間に、限りなく近いものだ」
 と言っても過言ではないだろう。
 それを思うと、目の前に広がっている光景がモノクロである時間帯すべてに、吐き気が感じられるのではないかと思うのだった。
 そして、その吐き気を感じるその時間帯において、頭痛から始まって、吐き気を感じたその後に、今度は、視界が狭まってくるのを感じた。
 その時は、まだ吐き気が残っている時間帯で、日も完全に沈んでいない。その時、感じたのは、それまで、ピタッと止まっていた風だった。
 その時身体にへばりついた、
「汗の滲んだ下着に、容赦なく風が押し寄せてくるのだ」
 真夏の時期であれば、
「ここちいい」
作品名:二重人格の正体 作家名:森本晃次