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二重人格の正体

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 しかも、今まで意識したことのないものが、急にクローズアップされて意識するようになった時って、
「最初がいつだったのか?」
 ということを意識しないように考えることで、意識していなかったことを、自分の中で肯定し、下手をすれば、言い訳に使っているのかも知れない。
 ただ、さすがに、怪しい人が、
「犯罪者」
 だということになると、住民としても黙っているわけにはいかない。
 警察は、警戒を呼び掛け、パトロールを強化するだけで、どうすることもできない。
 しょせん、最近は、警察官の数が減っていることで、どうしようもなくなっている。
 特に警察官が少ないというのは、
「人件費の節減」
 ということなのか?
 それとも、
「なり手がいない」
 ということなのか?
 ということであるが、さすがに後者であろう。
 これだけ、陰惨な事件が漏れなく市民に襲い掛かってきているこの時代に、
「人員削減」
 などして、もし、重大事件が起こったら、それこそ、世間から何を言われるか分からず、本末転倒もいいことになってしまうだろう。
「なり手がいない」
 というのは、的を得ていることで、
「警察官というものは、それだけ、危険があるわりに、世間からの人当たりも悪く、割に合わないと思っている人が多いということか」
 ということであり、学校の先生といい、公務員がそう思われている場合が結構多かったりするのだろう。
 確かに学校の先生などは、頻繁にカリキュラムが変わることで混乱しているだろう。
 学校で、勉強を教える以外に、部活の顧問であったり、非行の防止、さらに、苛め、不登校問題に絡んだりして、精神的にも肉体的にも大変である。
 だから、
「毎日、実働が平均で10時間以上」
 などと言われ、
「休みも休みではなく、毎日出勤を余儀なくされている:
 ということである。
 かつて、
「学校の先生は楽だ」
 というようなことを言われていた時代もあった。
 いや、
「公務員自体が楽なんだ」
 と言われている時代もあったが、今ではどうなのだろう?
 ただ、一つ言えることは、
「ピンからキリ」
 ということで、
「暇な人もいれば、忙しい人はまったく余裕がない状態なのかも知れない」
 ということではないだろうか。
 それは、公務員だけにいえることではなく、民間企業でもそうだろう。サービス業などは特にそうで、
「休みの日が、忙しい」
 ということになるであろう。
 昭和の頃から考えると、かなり変わったといってもいいのではないだろうか?
 昭和の終わり頃から考えても、当時はまだ、バブル期だった。
 バブル期というのは、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
 という時代であり、それこそ、
「24時間戦えますか?」
 と言われた時代であった。
 これは、当時爆発的に売れたスタミナドリンクのCMのフレーズであった。それだけ、皆働けばその分給料がもらえるということで、働くことが当たり前の時代だった。会社が事業を広げれば、それだけ忙しくなるという時代で、銀行も、どんどん融資をしてくれたのだ。
 しかし、それが平成になってから、今度はバブルが弾けてくる。そもそもバブル経済というのは、
「実体のない経済」
 ということで、
「土地ころがし」
 と言われたように、土地を右から左に流すだけで、お金が儲かるという仕掛けだった。
 ある意味、自転車操業でも、お金が回った時代だったといってもいいだろう。それだけ活気やエネルギーに溢れていて、
「やった者勝ち」
 といったところであろうか?
 しかし、一つどこかがほころびると、化けの皮が剥げるのが早かった。
「危ない」
 と思った時は、もう時すでに遅く、企業の金回りがどうしようもない状態になっていたのだ。
 当時まで、神話として言われていた。
「銀行は絶対に潰れない」
 という言葉があったが、一番最初に破綻したのは、その、
「絶対に潰れない」
 と言った、銀行だったのだ。
 それは、銀行が潰れると、経済が立ち行かなくなるので、潰れないように、国が助けるということから、銀行不敗神話というものが存在したのだった。
 そんな銀行が、一番最初にボコボコと潰れていく。
 というのも、大きな問題として、
「過剰融資」
 という問題があった。
 過剰融資というのは、銀行の利益のほとんどは、
「企業は個人にお金を貸して、その利息がそのまま儲けになる」
 というものである。
 バブル期の場合は、
「事業を拡大すればするほど、儲けになる」
 ということなので、企業も一応の融資額を見積もって相談に行くのだが、本音としては、「借りれるなら、いくらでもいい」
 という発想であった。
 しかも銀行の方も、初めての付き合いなら警戒もするだろうが、今までに何度も融資を行っているようなところであれば、安心しきっているので、さらに融資額をかさましすることになる。
 つまり、一千万円貸せば、利子が、百万円だとすると、
「じゃあ、2千万円にしましょう」
 といえば、利子は、2百万円になるというもので、元本の返済は間違いないと考えて、百万円だけ、利益が生まれるというものである。
 しかし、バブルが弾けて、企業側が、手形が落ちないなどの不当たりを出してしまい、続けてしまうと、破綻することになり、そのまま元本が、返済されない、
「負債を抱える」
 ということになってしまう。
 それも、一つの企業くらいならまだしも、一つがおかしくなると、その仕入先、納入先に迷惑が被ることになり、さらに、業界全体が怪しくなってくる。結果、日本経済の根本を揺るがすような事態、いわゆる、
「バブル崩壊」
 ということになるのだ。
 バブルが崩壊すると、まず一番の問題は、
「企業が拡大した部分が、そのまま負債になる」
 ということだ。
 破産宣告をしたり、民事再生法の適用を受けると、それは、
「破綻企業の救済」
 ということになり、債権者には、溜まったものではなくなってしまうのだ。
「民事再生の適用」
 というのは、昔の、
「徳政令」
 のようなもので、一種の、
「債権棒引き」
 とでもいえばいいのか。
「半年以上前の債権は、無効になる」
 というようなものであった。
 下手をすれば、それを返してもらえないことで、連鎖倒産に陥ることも多くあり、そんな企業が増えれば増えるほど、ダメな企業はダメで、生き残るところは、何とか生き残ることになる。
 これは、
「大企業だから大丈夫」
 というわけでもなく、金融機関が軒並み潰れたように、大企業も、バタバタと潰れていく。
 生き残るための、一番の方法としては。
「企業合併:
 するというのが多かった。
 それが、
「対等合併」
 なのか、あるいは、
「吸収合併」
 なのかということで、結構大きな問題だったりするのだが、大企業同士が合併するということも結構あり、そこになし崩し的に吸収されて生き残る企業しか、もう生き残るところはなかったといっていいだろう。
 そのために、いろいろ鬼のような改革があったのも事実で、今では当たり前のことのよのうに思われているが、昔は、そんなことは信じられなかった。何しろ、
「あの銀行が潰れる」
 という時代だったのだ。
作品名:二重人格の正体 作家名:森本晃次