無限ループ
というのが、いいことなのか悪いことなのか?
ということは別にして、少なくとも、
「この二人にとっては、いいことなのだ」
だから、一人でも、これをいいことだと思っている人がいるということであれば、完璧な悪いことではなく、
「人によって受け止め方が違う」
と言えるのではないだろうか?
では、もし、これが立場が逆であれば、どうだろう?
「都合のいい男」
昔であれば、前述のアッシー君などが、そのいい例であろう。
「友達と呑みに行っていて、終電がなくなってしまった。タクシーで帰るしかない」
となった時、女が男を呼びだすのだ。
もちろん、ウソのない呼びだしである。男の方も、しょうがないと思いながらも、やってくることだろう。
男としても、迎えに来ることにメリットがある。
彼女が友達に、
「私には、電話一本でやってきてくれる優しい彼がいる」
ということを自慢したいがために、彼女は自分を呼びだす。
という発想である。
しかあし、女性の方が、まさか、自分にことを、
「都合よく使っている」
とは思ってもいないだろう。
というのが、女性側である。
しかし、男性というのは、そこまでバカではない。
「友達に見せびらかしたい」
という気持ちは男も嬉しいというものだ。
それだけ、
「自慢の彼氏」
として見せつけたいと思っているのだろうと思うのだが、実際には、
「私の言いなりの彼氏」
ということで、お互いの考え方が正反対なのだ。
だから、その考えを否定することは、なかなかできないだろう。
それと同じことが、
「都合のいい女」
の場合にも言えるだろう。
ただ、この場合は、もっと深刻なところがある。
男は、一度セカンドにしたり、
「都合のいい女」
として認定した女性を、
「彼女」
ということで、昇格させることはないということだ。
「側室になってしまえば、正室には絶対になれない」
ということである。
昔の大名などの場合で、
「正室が、何かの病気などで死んだりすると、側室から、正室に上がることはない」
であろう。
それは、家柄というのもあるだろうし、
「側室から正室になるということは、それまでのしきたりを崩す」
ということで、容認できないことだろう。
もし、後添いを考えるのであれば、
「由緒正しき家柄の娘を、正室候補として考える」
に違いない。
確かに、側室というのが、
「大奥」
のようなところにいるとすれば、あくまでも、側室は側室としての立場をわきまえているわけだ。
もし、正室に子供ができず、側室の一人が、後継ぎを生んだとしても、その人が正室になるということはありえない。
「側室の中のトップということになるのだろうが、そこまでである」
それは、
「大奥の秩序を守る」
ということもあるだろうし。
「今までの決められたしきたりを次世代以降も守っていく」
という考えもあるだろう。
あいりは、今まで自分が、
「都合のいい女だ」
ということに気付いていなかった。
いや、気付かないふりをしていたのだ。
なぜなら、気付いた時、それほどのショックがなかったからだ。
「身体を壊すほど、ショックだった」
と言われれば大げさすぎて、嘘くさいと思うかも知れないが、
「自分にとって都合のいい女というのがどういうことなのか?」
というのを、他の女性は、どう考えているのだろう?
普通に考えれば、
「本命の彼女がいて、自分はいつまでも浮気相手。報われることなどあるわけはなく、金銭的にも、肉体的にも、男の欲を満たすためだけに使われる」
ということになるのだろう。
「私は、それでもいいの」
と考える女はまずいないだろう。
何といっても、自分の健気な気持ちを踏みにじられて、
「相手に食い物」
にされ、さらに、
「本命の彼女がいることを悟られないように、していて、本命の彼女との間に期が熟すれば、あっけなく捨てられる運命にある」
ということなのだ。
女とすれば、何が腹立つのかというと、
「自分の行為に対して、報おうとしないのは、仕方がないかも知れない。自分の努力が足りないからだ。しかし、何が嫌と言って、自分に尽くすべき気持ちを、本命の彼女のために使っていると感じると、これほどやるせない気持ちになることはない」
ということになるだろう。
自分の気持ちを、相手の男は理解しようともせず、自分は自分で、本命の彼女に、必死になって取り入ろうとしている。その時、都合のいい女たちがいることをまったく無視しているのだった。
「どんなに努力をしても報われない」
というのは、ある意味、自分を、
「健気な女」
として評価できるからまだいい。
しかし、彼の気持ちが本命のオンナに向いているということであれば、それは、まわりの努力はすべてが無駄ということになり、結局、
「彼女たちは、完全否定されている」
ということになるのだった。
完全否定されてしまうと、自分で気づかぬうちに、泥沼の精神状態に落ち込んでいるようで、
「これ以上、どうすることもできないアリジゴクのようだ」
と感じるのだ。
アリ地獄の中に入り込んでしまうと、
「好きになればなるほど、その傷口は広がってしまう」
ということになるだろう。
その思いをあいりは、今までに何度もしてきている。
失恋と言えるもの、言えないかも知れないこと合わせると、かなりの数であるが、そのほとんどが、
「都合のいい女にされてしまった」
ということになるのであり。
「自分を都合のいい女にしている男」
のことを再度考えると、
「このままいけば、苦しみしか待っていない」
と感じる。
何とかして、
「自分が傷つかない理由を考えないといけない」
と考えるが、
「自分が傷つくということは、あの男の鼻を明かすどころか、武勇伝の一つも作ってやるということでしかない」
と思うようになると、その少し前まで、
「彼のために一生懸命になっている自分を健気だ」
と思っていたことを、まるで、遠い過去のように感じるようになるのだった。
しかし、健気も限界があるようで、
「男が、自分のことをまったく考えないどころか、考えていることが、本命のことばかりだと思うと、自分を全否定されたかのようになり、正直、病んでしまう」
ということになりかねないだろう。
「私と本命の間に、どのような隔たりがあるというのだろう?」
と考えさせられる。
そうなると、健気な気持ちが次第に、限界に近づいてきていることに気付かされる。
バレンタインのチョコであれば、
「本命」
もあれば、
「義理」
というのもある。
本命しかなければ、わざわざ本命などという言葉を使うことをしないだろう。
ただ、義理というのは、あくまでも社交辞令。
「側室」
とは種類が違うものだ。
側室は側室として、今で考えれば、
「何ともみじめな存在だ」
ということになるのだろうが、義理チョコを貰うよりもマシである。
立場としては、少なくとも、殿様のそばにいるということで、家老クラスよりも下であれば、彼女たちに逆らうことはできないくらいのポストではないだろうか?
それを考えると、