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無限ループ

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「この話は、実は最初から最後まで、主人公は乙姫様」
 ということになる。
 だとすると、タイトルも、
「浦島太郎」
 ではなく、
「乙姫様」
 ということになってもいいのではないだろうか?
 おとぎ草紙ではないが、さらに昔の、
「竹取物語」
 という話のサブタイトルとしては、
「かぐや姫」
 としての通称がいきわたっているではないか。
 そういう意味では、
「乙姫様」
 と言われても違和感はない。
 むしろ、最初から、そういわれていれば、それで正しかったといってもいいだろう。
 浦島太郎の話というのは、考えてみれば、どうにもおかしなところが多すぎる。
 それは、今の時代から考えるかも知れないが、今の時代であれば、まず、
「カメを苛める」
 ということを物語の中に織り交ぜていることが、おかしいということになる。
 普通の小説であればいいのだろうが、少なくとも、学校教育の中で、
「教育の場の教材」
 としておとぎ話が設定されているのであれば、
「カメが苛められている」
 という話は、
「アウトではないか?」
 と考えられる。
 いわゆる、
「苛め」
 という問題に直結していて、
「よく、教育委員会が、許したな」
 と言われるレベルではないだろうか?
 ただ、そういうことを言っていると、鬼退治に向かう桃太郎であったり、舌切り雀のような、
「舌を抜く」
 などというのは、残虐だということになるだろう。
 実際に、教育委員会の中で、
「おとぎ話の見直し」
 ということに関わっているという話も聞くことがある。
 それを考えると、
「どこまでが、その通りなのか?」
 ということと、今の時代にマッチするかを考えると、
「難しい解釈になる」
 と言ってもいいだろう。
 浦島太郎だけに言及すると難しいところもあるが、ここは、浦島太郎だけの話をして考えた時、
「前半と後半で、主人公が違う」
 と考えたことから、
「実は最初から、計画されたことだったのではないか?」
 と勘ぐってしまうと、
「疑えば疑うほど、奥は深い」
 と言えるのではないだろうか?
 ただ、これも、
「考えすぎ」
 であり、考えすぎると、すべてのおとぎ話の正悪を考えなければいけなくなってしまい、下手をすると、
「学校教育」
 ということ自体から掘り下げればいけなくなってしまうのではないかと考えてしまうのだった。
 そんなに、
「どこまで考えればいいのか?」
 あるいは、
「難しく考えすぎているのではないか?」
 と考えてしまうと、
「果たして、何が一体正解なのか?」
 ということが分からずに、そのうち、分かろうとする気持ちもないまま、突き進んでいくのではないかと思えてくることだろう。

                 不安の焦点

 石松あいりという女性がいる。
 彼女は、25歳で、三津木に言わせれば、
「結婚適齢期」
 というものであろう。
 彼女は、今までに何度となく、
「都合のいい女」
 に仕立て上げられ、好きになった男性から、最後には、捨てられるようにして、別れを迎えていたのだった。
 あいりは、もちろん、自分がまさか、
「都合のいい女」
 になっているなどということを分かるはずもない。
 食事に誘われても、いつも自分から、
「いいわよ。私が出すわ」
 ということで、男は、最初こそ、自分で出そうとしていたが、すぐにお金を出すということをしなかった。
 それをいいことに、男は、もう財布に手を延ばそうともしなかった。
「この女が出してくれるんだ」
 と言わんばかりである。
 女も、それで満足しているようだ。男から見れば、
「相手が出したいというのを、むげにするのは、却って失礼だ」
 ということなのだろうが、女を、
「自分の都合よく扱おう」
 という男なんだから、そんなことまで考えているなどということもないだろう。
 昔であれば、
「アッシー君、メッシー君」
 などという言葉もあったが、今ではそれも死後になった。
 どちらかというと、男よりも女の方が、都合よく使われる方が多いのではないだろうか?
 本当はそのあたりは、微妙なところで、
「本人が自分のことをどう感じるか?」
 ということなのであり。
「自分で都合のいい女だ」
 と思うと、都合のいい女になっているということである。
 ただ、そのことに気付かない女がたくさんいる。だから、男が、それをいいことに、女を、
「都合よく使う」
 ということなのかも知れない。
 実際には、自分が都合よく使われているのが分からない女性もいるだろう。
 中には、
「私は分かっていて、敢えて相手に尽くしているのよ:
 と、あくまでも、都合よく使われているということを否定する人もいる。
 そういう人は、
「自分が相手を助けている」
 と思っているのだろうから、
「どっちもどっちなのではないだろうか?」
 男にしても、女にしても、
「甘やかされすぎると、ダメになる」
 ということではあるのだろうが、それよりも、
「こんな私にも、相手のためにできることがあるんだ」
 という、普段から自己否定する考え方しかしていない人からすれば、一種の進歩なのではないだろうか?
 それを考えると、
「都合のいい女」
 になってしまうというのは、基本的には、
「オンナが悪い」
 と言われることも多いだろうが、人によっては、
「女性とすれば、やむを得ない部分がある」
 と言えるだろう。
 しかし、男に対しては、
「問答無用」
 と言ってもいいのではないだろうか?
「女性を都合よく扱う」
 というのは、男側からすれば、これは、問答無用で、いいことではないと言えるだろう。
「俺のことを好きになってくれているんだから、都合よく扱ってやるのも、人助けのようなものだ」
 などという、傲慢としか言えないような考えを持っている人もいる。
 まわりから見て、
「あの女性は、都合よく扱われている」
 という風に見える場合、その男性は、ほぼ間違いなく、意識して、女性を都合よく扱っているに違いない。
「そんなつもりはなかった」
 などというのは、詭弁であろう。
 普通であれば、男性は、女性に奢ってやったり、デートではお金を出すのが普通だという意識があるだろう。
 だから、自分がおいしい目を見ていれば、
「その立場を分かっていない」
 というのは、男からすれば、
「実にもったいない」
 という話であり。
 実際には、このような立場を味わいたいから、都合よく利用しているわけだ。
 だから、その状況を分かっておらず、相手を都合よく扱っているとすれば、
「その方が罪ではないだろうか?」
 女性の中には、
「相手が喜んでくれればうれしい」
 と思っている人もいて、それがいくら都合のいい女に成り下がってでも、相手に尽くしているという自分の立場を考えた時、健気な自分をいとおしく思いたいと感じるのであれば、
「それだけで満足だ」
 と思っている人もいるだろう。
 だが、そんなことを女性が考えているとするならば、男にとって、
「これほど、男冥利に尽きることはない」
 と思うだろう。
 男がそう思うことを女性も望んでいるのだとすれば、
「都合のいい女」
作品名:無限ループ 作家名:森本晃次