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無限ループ

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「超がつくくらいに当たり前のことを理解していなかったのではないか?」
 と感じたからであった。
「告白したことで、相手が交際してくれるということになれば、そこから交際が始まるのだが、果たして、おとなしくないと思える女性と真剣に付き合っていけるだろうか?」
 と考えたのだ。
「おとなしくない女性」
 というのは、
「賑やかな女性」
 というだけではない。
 確かに賑やかな女性もその中に入るのだが、
「自分というものを全面に押し出して、グイグイこちらに迫ってくるような女性」
 というのも苦手だった。
 賑やかな女性が苦手だというのも、
「相手のことを考えずに、土足で相手の領域に入り込んでくる」
 というような相手を感じるからであって、本来なら、そこまでということはないのだろうが、
「賑やかな女性も、相手にグイグイくるところがあり、この場合は、相手が誰であれという理屈が備わるだけで、結局は、相手のことを考えていない」
 と言えるのではないだろうか?
 柔らかくいえば、
「空気が読めない」
 ということになるのだろう。
 よく言われる、
「空気が読めない」
 という発想も、本当は、
「空気が読めない」
 わけではなく、自分が目立ちたいということが前面に出るので、
「空気が読めないから、相手のことを考えられないのか、相手のことが考えられないから、空気が読めないのか」
 と考えてみたが、しばらくの間、自分で、その結論は出ないでいた。
 しかし、実際に、一目惚れというものをしたと思うようになると、基本は、相手のことが考えられないということになるのだろう。
 そうなると、
「相手のことが考えられないから、空気が読めない」
 というような気がするのだった。
 一目惚れをしてしまうと、正直、相手のことを考えていることができないほど、相手が気になってしまうのだった。
 何とも、理不尽な考えであるが、
「人を好きになるというのは、理屈ではない」
 と言われることがあるが、まさにその通りだということを、証明するかのような言葉であった。
 一目惚れとは、
「空気が読めなくなるほどに、人を盲目にしてしまうものなのかも知れない」
 と考えると、
「一目惚れなんて、本当はいいことではないのではないか?」
 と思えるようになってくる。
 そのことを、無意識に感じるから、
「一目惚れを今までしなかったのではないか?」
 と思えるのだ。
 だが、本当に、
「してはいけない」
 という一目惚れをしてしまったことで、果たして本当に、後悔の念が現れたのかというと、実際にはそんなことはなかったようで、
 実際にしてはいけないと思っていることが、本当にしてはいけないことなのかどうか、考えてみれば、怪しいものだった。
 人間には、実際に、
「してはいけない」
 という概念が、昔から存在している。
 いわゆる、
「見るなのタブー」
 と言われるものであるが、これは、いろいろな時代に、全世界で言えることであった。
 古くは、
「旧約聖書」
 から始まった。
 本当の最初である、
「アダムとイブ」
 の話からであり、
「食べてはいけない」
 と言われている、
「禁断の果実」
 を食べてしまったことから、人間は、
「恥辱」
 というものを感じるようになった。
 という考えであった。
「ギリシャ神話」
 にもあった。
 パッと、
「見るなのタブー」
 を感じた時、出てきたお話が、このギリシャ神話における、
「パンドラの匣」
 の話だった。
 この話は、奇しくも、
「開けてハイいけないものを開けてしまった」
 という意味で一致するところで、日本のおとぎ話としての、
「浦島太郎」
 の話に酷似しているといえるのではないだろうか?
「パンドラの匣」
 という話は、
「開けてはいけないと言われていた箱を開けてしまったことで、その中から出てきた不幸」
 というものが、蔓延ることになったが、最後には、
「希望が残った」
 と言われるものであった。
「浦島太郎の話」
 というのは、
「竜宮城から帰ってきて、知っている人がいなかったことで、落胆してしまい、自暴自棄になった太郎が、箱を開けると、そこから出てきた煙で、お爺さんになってしまった」
 というようなお話だった。
 この二つ物語の、
「見るなのタブー」
 というものは、若干違った発想であった。
 状況としては、浦島太郎の話の方が、リアルにつらい話だった。
 何と言っても、
「数日しか経っていないと思われた時間が、実際には数百年経っていて、気が付けば、知っている人が誰もいなかった」
 という話だった。
 自分に置き換えて考えればどうだろう?
 夢も希望もまったくなく、後悔だけが残るのではないだろうか?
「では、この場合の後悔とは、何であろう?」
 竜宮城に行くきっかけとなった、そして、この物語のプロローグである、
「カメを助けたこと」
 であろうか?
 それとも、
「ノコノコと、助けた相手がお礼のつもりなのか何なのか、正直分からない状態で、何の疑いもなく、カメの背中に乗って、竜宮城に行ったことなのか?」
 ということである。
 このお話は、本当はハッピーエンドなのだが、少なくとも、
「陸に戻ってくると、自分の知らない世界になっていた」
 ということは、紛れもない事実である。
 ラストは確かに、乙姫様が陸に上がって、二人は末永く暮らしたということでのハッピーエンドだというが、果たして、それが浦島太郎にとっての幸せなことだったのだろうか?
 自分の生まれ故郷の村で、静かに暮らしていくのが、彼なりの幸せだったのかも知れない。
 しかし、この話は、浦島太郎の視線から足掻かれてはいるが、実際に、
「お話の続き」
 を見ると、そこからの主人公は、完全に乙姫である。
 そう、この話は、
「前半は、浦島太郎の話で、後半は、乙姫の話なのだ」
 ということである。
 これが、
「おとぎ話ではなく、小説だ」
 ということになれば、理屈は分からなくもない。
 だからこそ、この話は、最後は、
「玉手箱を開けると、お爺さんになってしまった」
 ということで、おとぎ話としては終わりにしたのかも知れない。
 そもそも、
「カメを助けるという正しいことをしたのに、最後にはお爺さんになったということで終結してしまうということになれば、これほど理不尽なことはない」
 と言えるのではないだろうか。
 しかし、結果として、バットエンドになってしまうというのは、
「おとぎ話」
 というものの性格上、おかしいのではないかと考えられる。
 しかし、ラストが、
「乙姫様の話が中心で終ってしまった」
 ということになると、考え方としては、
「最初から乙姫様が計画したことではないか?」
 と考えられる。
「乙姫様が、一目惚れした浦島太郎を何とか自分のものにしたくて、仕組んだことだ」
 と考えれば、辻褄が合うこともあるのではないか?
 最初のカメが苛められていたというシーンだってそうだ。
 これも、乙姫の演出であり、最終的に、
「浦島太郎に疑われないように、竜宮城に連れてくるための方法」
 として、考えたことだということになれば、
作品名:無限ループ 作家名:森本晃次