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無限ループ

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「もう一度同じことを繰り返すのは、バカがすることだ」
 というかも知れないが、その失敗や挫折を一度でも味わった人間であれば、中には、
「もう一度、同じことをするかも知れないな」
 というだろう。
 もし、他の人から、
「お前はバカか?」
 と言われたとすれば、
「それが俺という男さ」
 としか答えられないだろう。
 本当は、そんな言い訳しかできないのだが、それは、本当は無理もないことだった。耗一ついえば、
「俺が、一度でも経験しているからだ」
 としか、言えないだろう。
 三津木が、結婚しようと思った人との出会いは、
「結婚適齢期に、結婚できなかった人と別れたショックに打ちひしがれている時のことであった」
 と言えるだろう。

                 好きになるということ

 実は、三津木自身、
「今までに一番好きだった相手は誰だったのか?」
 と言われたとすれば、それは、その時の彼女だったに違いない。
 彼女だけは、今まで付き合ったり、結婚までした人にはないものがあった。
 それが、
「一目惚れ」
 ということであった。
 どちらかというと、
「好かれたから、好きになる」
 というタイプか、
「嫌いになられずに、長く一緒にいてくれる人なので好きになった」
 という、
「相手によって、自分の気持ちを気づかされた」
 と思える相手ばかりだったのだ。 前者は、明らかに自信過剰であり、後者は、控えめと言ってもいいくらいであった。
 だから、
「自分が本当にその人を好きになって、付き合ったのだろうか?」
 と思わさせるのだ。
 だが、それもすべてが後になって感じることであり、付き合っている時に訪れる別れに対して、まるで、
「お約束」
 のごとく、
「なぜか、いきなり相手に別れを告げられた」
 というものであった。
 自分を、
「悲劇のヒーロー」
 に仕立て上げたいということなのか、結果としては、ショックがかなり尾を引いてしまっていて、それだけ、まわりの目と、自分で感じる思いとの間に、ギャップを感じさせるのであった。
 まわりの目は、
「なんと情けない男なのだろう?」
 と思いで見ているだろう。
 別れを告げられたことで、まわりからの目と同じ感覚をまず感じるのだ。
 すると、自己嫌悪に陥ってしまい、そこから鬱状態になってしまうと、今度は定期的な躁状態の転機のその時に、
「俺が、まず好かれたから好きになったと考えることが、まず間違いなのではないか?」
 と感じるようになると、
「好かれたから、好きになる」
 という感覚を、
「悲劇のヒーロー」
 として、仕立て上げることに一役買わせるのは、どこかが違っているのだろう。
 だが、三津木は、
「好かれたから好きになる」
 というシチュエーションが基本的に好きだった。
 何と言っても、先に好かれるということで、相手に対して、
「優位に立てる」
 という感覚になるからではないだろうか?
 そんな風に感じるのだった。
 ただ、この場合の優位というのは、
「自分がフラれてしまったことへの言い訳にするには、せっかくの優位が、まったく違ったものになる」
 ということである。
 それを思えば、
「今回は一目惚れだった」
 と思うことで、
「今度は、絶対に別れなどありえないんだ」
とばかりに感じたのだった。
 実際に一目惚れをした時、自分でも衝撃のようなものが走ったような気がした。その衝撃というのは、
「好きだ」
 という感覚とは違う気がした。
 それまでに人を好きになったのが、
「好きになられたから好きになった」
 というものであったが、今から思うと、それすらも勘違いだったような気がする。
 別に好きになられたわけでもなかったからで、好きになられたと思ったのが錯覚であり、錯覚からの勘違いが、まるで一周まわって、勘違いの勘違いから、本当は、好きになられたと思ったのは、ただの、社交辞令だったようだ。
「難しく考えてしまう」
 ということで、
「辻褄を合せよう」
 としてしまうのだろう。
 そんなことを考えていると、
「好きになられる」
 ということは、
「本当は相手のことを好きになることで、初めて得られることではないか?」
 と感じるようになったのだった。
 そういう意味で、この時の一目惚れは、最初から、
「これが一目惚れなんだ」
 ということが分かった気がした。
 そしてその理由が、
「自分の理想とピッタリだ」
 と思ったからだが、考えてみれば、
「彼女が自分の理想の相手だと思ったのは間違いない」
 と思うのだが、実際には、
「理想の相手」
 ということは、この時初めて自覚をしたような気もした。
 そうなると、一目惚れの定義として考えられる、
「好きになった相手が、理想の女性だ」
 という理由は、辻褄が合わなくなってしまう。
 それでも、一目惚れをしたということに間違いない。その女性というのは、雰囲気としてまず感じたのは、
「とにかく、おとなしそうに見える女性」
 ということだった。
「物静かな女性が好きだ」
 という思いは、何となく自分でも分かっているような気がする、
 あれは、小学3年生というから、まだ思春期にも達していない、本当の子供だったではないか?
 だから相手を、
「女の子だ」
 という意識はあっても、
「異性」
 という意識でもないのだから、仲良くなりたいと思っても、それは、
「好きになった女性」
 ということでの、
「カウントしてはいけないのではないか?」
 ということであった。
 ただ、子供の頃に感じたのは、
「彼女が、俺のことを好きになってくれたような気がした」
 という思いからだった。
 実際に一目惚れをした相手に対しても、一瞬だけだが、
「好きだという意識が彼女にあるのかな?」
 と思ったのではないかと思った。
 だから、彼女のその視線に気づいたことで、三津木は彼女を初めて意識したのであって、その時に感じたその思いが、間違いなく、
「人を自分が好きになった瞬間だ」
 と初めて気づいたからではないだろうか?
 大学時代には、何人かの女性と付き合ってきた。そのほとんどが自分からの告白であったが、断られることはなかった。
 そして、そのほとんどの女性が、ほとんど狂いないといってもいいくらいに、
「おとなしい女性」
 だったのだ。
「おとなしそうな女性に、告白すれば、大体失敗しないだろう」
 というそんなおかしな自信めいたものが、三津木にはあった。
 確かにその通りだったのだが、それは、
「おとなしい女性が相手だからうまくいったのか?」
 あるいは、
「相手が誰であれ、告白すれば、すべてにおいて失敗はないのか?」
 ということを考えると、後者はありえないと思った。
 その頃の三津木は、自信過剰なところがあり、好きになった相手が、間違いなく、
「断られることはないだろう」
 と思っていたのだが、おとなしい子意外に告白しようとは思わなかった。
 そもそも、
「告白するというのは、断られることがない。成功だけを求めてすることではなく、交際をしたいという思いからするものだ」
 という、
作品名:無限ループ 作家名:森本晃次