無限ループ
今から思い出しても、些細なことだったに違いない。理由の細かいところは、いちいち覚えているわけではないが、それだけ、お互いを思いやるということをしなかったのだろう。
口喧嘩をしても、
「売り言葉に買い言葉」
NGワードも結構あるはずなのに、平気で踏み込んでしまっていたに違いない。
それを思えば、実に幼い喧嘩だったことであろう。
そんな喧嘩が絶えない女だったので、
「今度付き合う人とは、なるべく喧嘩のないようなおとなしい女性がいいな」
と思うようになっていた。
だが、前の彼女も、最初はおとなしく、喧嘩になるなど想像もできなかったような女性だったので、
「相手を見かけだけで判断してはいけない」
と言えるだろう。
もっといえば、喧嘩になってしまったのは、自分にも責任があるということで、
「喧嘩両成敗」
とは、よく言ったものだと感じたのだ。
そんな、
「若気の至り」
のような付き合いで、後から思えば、
「ままごとのような交際」
だったのかも知れないが、やっている本人は、本当に必死だった。
「もし、タイムリープして、もう一度人生をやり直したとして、彼女との付き合いという、また同じことを繰り返すだろうか?」
と言われれば、
「きっと繰り返すような気がする」
というだろう。
経験から、少しは違うだろうが、彼女と付き合うということに関しては、間違いないだろう。
タイムリープというのは、
「タイムスリップが、自分が、身体ごとまったく別の時代に飛んでいくことなのと違い、飛んでいくのは、魂だけで、飛んでいった時代の、自分の身体に入り込むというものである」
つまりは、
「同一次元の、同一空間に、同じ人間が存在している」
という、
「タイムパラドックス」
とは違った発想であった。
だから、タイムリープに、タイムパラドックスは成立しない。
ただ、
「元々あった自分の魂は、どうなってしまうのか?」
という問題であったり、
「元の世界に戻れるのだろうか?」
という問題が孕んでいるのだ。
細かいところは、いろいろ物議をかもすことになるだろうが、あくまでも、一つの考え方である。
学説というよりも、
「SF小説のネタ」
として考える方が面白いかも知れない。
彼女との、壮絶ともいえる交際を経て、結果、うまくいかず、大きなショックが、尾を引いてしまうことになったが、経験値が上がったのは、間違いないだろう。
新しい出会いを演出してもらい、彼女として自分でも認識できるようになると、彼女の控えめな性格に、次第に惹かれていくのだった。
彼女は、何と言っても、よく、
「幸せな気分にさせてくれる」
というところがあった。
その時は、幸福な気持ちになるのだが、そんな時に限って、前の彼女を思い出し、付き合っている時に、
「こんな気分にさせられたことは一度もなかった」
と感じていた。
前の彼女に対しては、
「俺が彼女を幸せにしてやる」
という思いの方が強かった。
「惚れた者の弱み」
とばかりに、強い思いがあったことだけは確かだった。
しかし、いくら自分だけが頑張っても、その状況を打破することはできなかっただろう。
何と言っても、彼女の方も、気持ちに靡かなければ同じなのであり、結局喧嘩というものの数が増えていくだけのことであった。
正直、
「喧嘩の数はいくら増えたとしても、それが二人の仲をさらに深くする」
というわけではないということだ。
深くするどころか、ちょっとした、ごく小さな穴が開いていたその穴が、あっという間に大きな亀裂となり、どうすることもできなくなることだろう。
それを考えると、
「どんなにタイムリープしてやり直したとしても、結果として最後は、壮絶な別れ方になるのではないか?」
と思うのだった。
タイムリープして歴史が変わってしまえば、いくらタイムパラドックスが成立しないとはいえ、過去から戻った未来は、まったく違う世界が広がっている可能性は、タイムスリップと変わりないだろう。
それを思うと、タイムリープの場合は、
「決して戻ることのない、片道のタイムトラベルなのではないだろうか?」
ということになるのだろう。
だから、いくら、
「人生をやり直したいから、過去に行きたいということで、タイムリープを選んだとしても、そこから続く未来は、やり直した瞬間から、規則正しい時系列で動いていくことなので、結果の未来に矛盾は生じない」
と言っても過言ではないだろう。
そんなことを考えていると、
「どんな世界線にいたとしても、出会いの一つ一つが変わることはないだろう」
というものだった。
そこで付き合うかどうかということは別にして、その人の人生にとってのターニングポイントになる出会いは、必ずあるのであって、ただ、ターニングポイントとして、存在することになるかどうかということは、別問題なのであろう。
そんなことを考えると、
「今回の彼女との出会いもターニングポイントだ」
と言えるだろう。
それが、結果として、結婚に繋がるのだから、おかしなものである。
付き合い始めた頃は、まだまだショックから立ち直れず、きっと彼女も、
「この人は、どういうつもりなのだろう?」
と思っていたのではないかと思う。
話しかけても、上の空だっただろうし、後から思えば、口下手の彼女が話しかけてくれるということは、それだけ、三津木を気にかけてくれていて、勇気を振り絞ってのことだっただろう。
「それをどこまで分かっていたのか?」
あるいは、
「分かっていても、実感が湧いていなかったのか?」
ということであった。
どちらにしても、彼女に対して、
「失礼なこと」
であり、
「どう考えればいいのか?」
ということになるのだった。
そういう意味で、
「よく結婚にまでこぎつけたものだ」
と言えるだろう。
前の彼女と結婚できずに、
「もう俺は、結婚することはないだろう」
と感じていただけに、実際に結婚するということは考えられなかったはずだった。
それを考えされてくれたのが、
「そろそろ、結婚を考えてもいいんじゃない?」
という彼女の一言だったのだ。
その時点で、交際期間が4年を過ぎていた。
「長すぎた春」
になりかかっていた時期だった。
それを思えば彼女の一言は、実に絶妙のタイミングだったといってもいいだろう。
「長すぎた春」
に終止符を打つことで、自分の人生の転換期に入ったことが分かり、気合も入ったというものだ。
結婚するまで、決して平たんな道ではなかったが、それなりの、苦労もあって、結婚したのだった。
結婚してしまえば、過去の苦労はすでに忘却の彼方に封印されていて。結婚したことで、
「結婚できてよかった」
という思いと、
「結婚というのは、こんなものなのか?」
というものであった。
その時に、それまで思い出さなかった前の彼女を思い出すことになるのだが、結婚をこんなものなのかと思ったというのは、
「あれだけ夢見た結婚というものが」
という言葉が上につくと言ってもいいだろう。
「味気ない」
というわけではないのだが、