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無限ループ

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 三津木は、パートさんとは少し話をするようになったが、娘の方とは、どうも話をする雰囲気はない。どちらかというと、
「娘の方が嫌っているような気がするわ」
 とママさんは思っていた。
 三津木の方とすれば、
「俺の方は別に嫌っているわけではない」
 と思っていたのだが、どうもママさんが、彼女に話をそれとなく聞いてみると、どうやら、三津木の視線が気になるということだったのだ。
 つまり、彼女とすれば、
「私は、あの人に嫌われているんだわ」
 ということだったようで、
「嫌われているのなら、それでもいいわ。私も近寄らないだけだから」
 ということだったようだ。
 ただ二人とも、
「タイプではない」
 と思っていたようで、彼女の方から見て三津木は、
「何か嫌らしい目線を感じる」
 ということのようで、三津木からすれば、
「あの視線が怖い」
 というほどに、睨まれているような気がしたというのだ。
「ニワトリが先か、タマゴが先か」
 ということのように、きっと、どちらからの見方が先だったのだろうが、時間が経ってしまうと、分からなくなってしまうようで、まさに、
「どちらから始まったか、分からないだけで、結果は同じだ」
 ということになるのであろう。
 どちらが先であっても、大きな問題ではないが、
「始まりがないように、終わりもないんだ」
 ということを理解しておかないと、厄介なことになると。感じるのであった。
 余談であるが、
「人間は生まれながらにして平等である」
 と言われているが、本当にそうであろうか?
 この言葉を聞いた時、何ともいえない違和感を感じた。
 それが何を意味するのかというと、
「生まれる時は、親を選べない。だから、死ぬ時も、死を自分で選んではいけないのだ」
 ということになる。
 つまり、生まれる時、親を選べないことで、裕福な家に生まれるか、あるいは、貧困家庭に生まれるかということで、
「生まれながらに不公平だ」
 と言えるのではないだろうか?
 さらに、死ぬ時も、自殺を基本的には許していない宗教がほとんどで、
「生まれた時が不平等なら、死ぬ時も同じだ」
 と言えるだろう。
 そもそも、死ぬ時の、平等というのは何であろう。いつ何時死んでしまうか分からないのだ。よく言われるのは、
「親よりも先に死ぬのは親不孝だ」
 と言われるが、大日本帝国では、
「子供は立派に天皇陛下のために、命を捧げる」
 という理屈がまかり通っているので、実際に、
「親より先に死んでも、陛下のためということで、正当化される」
 そのくせ、
「先立つ不孝をお許しください」
 とは一体どういうことなのだろう? 
 支離滅裂もいいところだ。
 たまに、友達とパートのおばさんと娘とで、店で一緒になると、会話が弾んだりしたものだが、娘の方がある日、
「私の友達」
 と言って一人の女の子を連れてきた。
 可愛らしい女の子だと思ったが、まだまだ失恋のショックが残っていたので、必要以上に意識をしていなかった。
 しかし、これは、友達が気を利かせて、落ち込んでいる三津木に気を遣って、
「あわやくば、カップルにでもなってくれると嬉しいんだけどな」
 という感じだったのだ。
 確かに、失恋のショックから立ち直れてはいなかったが、タイプであることに変わりなく、気になる存在だということで、いい雰囲気になっていた。
 そのうち、積極性を思い出したというのか、それとも、失恋のショックを少しでも和らげようという思いからか、三津木の方からデートに誘った。
 デートといっても、気の利いた店を知っているわけではなく、まずは駅で待ち合わせて、映画を見たりした。食事も居酒屋のようなところしかなく、それでも、彼女も、
「私呑むのが好きなので、ちょうどいいわ」
 と言って、ニッコリ笑って、ついてきてくれる。
 彼女は、実におとなしい女の子で、自分から表に出るようなことは決してしないのだが、喋るのが苦手なのだろうが、いうべきことはきっちりと口にするタイプだった。
 その様子を見ていると、急に頼もしくなって、
「自分から委ねたくなる」
 という気分になっていた。
 本当は、自分が引っ張っていくタイプだと思っていたので、少し戸惑ったが、基本的には、無口で、相手を立てようとするところは、実に嬉しかったのだ。
「前の彼女にはなかったところだな」
 と考えると、
「結婚するなら、こんな女性がいいんだろうな」
 と思うようになっていた。
 前の彼女は確かに、ハッキリとモノをいうタイプであったが、あくまでも、
「自分中心型」
 という感じであった。
 悪いわけではないのだが、今回の彼女と比較すれば、どうしても、自己主張が強すぎて、今から思えば、
「しょっちゅう喧嘩していたのも分かる気がする」
 と思えてきて、
「この子とだったら、喧嘩になんかなりそうにない」
 というところで、安心感が得られたのだった。
 前の彼女と付き合っている時は、安心感どころではない。絶えず彼女が、こちらが不安になるようなことをいうのだ。
 好きになったといっても、こんなに毎回のように、新たな不安材料を与えられるのは、溜まったものではない。
 しかし、逆に、
「ここまで心配させられると、次第に離れられなくなっていくということに気付くのだった」
 だからと言って、ズルズルきたわけではない。そもそも、一目惚れをしたということが、彼女に対して諦めきれない気持ちになっているのだということを思うのだった。
 相手に心配を与えたり、不安にさせるというのは、余計に離れられないような気持ちの絆を持っていたかのように思えてならないのだった。
 まだ、当時、お互いに24歳、結婚適齢期そのものだったのだ。
 特に、彼女の方が、結婚願望が強かったようで、その理由もかなり後になって分かった。三津木と付き合う前に彼女は、10歳くらい年上の人と付き合っていたということであった。
 しかし、その人とのことが、会社でウワサになり、結果として、彼が転勤を命じられるということになったのだ。
 ちょうどそれから一年後に転勤してきたのが、三津木だった。彼女も、
「ショックからだいぶ立ち直っている」
 という時で、まるで、二人を引き合わせるような転勤命令であったが、最初はどちらも何か、ぞわぞわした感覚があったということであった。
「そういえば、よくケンカになったな」
 と後から思えば、そう感じた。
 今の時代であれば、即行アウト。いわゆる、
「DV認定」
 だったかも知れない。
 しかし、それはお互い様で、
「向こうから先に手を出したのであって、こちらから手を出したことは一度もない」
 と思っていて、逆に、相手も同じことをいうに違いない。
 そうなると、
「言った者勝ち」
 で、逆に、
「オンナに手を出すなんて」
 ということで、明らかに、
「男が悪い」
 ということになるだろう。
 しかし、その頃は、
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
 と言われるように、誰も止める人もいないだろう。お互いに、若かったということなのかも知れない。
作品名:無限ループ 作家名:森本晃次