無限ループ
と言ってくれるだろうが、その時々で精神状態が変わることを考えると、
「話す内容も、気を付けないと、相手を怒らせてしまったり、内に籠ってしまったりして、今度は、自分が何をしていいのか分からず、パニックになってしまうだろう」
相手に、
「パニック障害」
があったりすると、こちらがパニックになることで、最悪な状態になるのではないか?
と言えるであろう。
できた彼氏も、あいりほどひどいものではないが、軽い精神疾患があった。
言い方は悪いが、
「中途半端な疾患」
ということなので、
「自分が一番苦しんでいる」
というような、錯覚をしているようだった。
だから、あいりに対して気を遣っているつもりでも、きっと頭の中で、
「自分の方が、気を遣ってもらうべき人間なのではないか?」
と思っているのではないだろうか?
しかし、あいりはそれくらいのことはわかっていた。だから、彼が、
「せっかく気を遣ってくれているのだから」
と思うのであって、そのために、あいりの方が彼に気を遣うという、ある意味、
「本末転倒」
な状態になるのだった。
あいりにとっては、
「百害あって一利なし」
それでも、気にかけてくれるのは、ありがたいと思うのだが、鬱状態に入ってくると、自分の精神状態を抑えることができない部分は、自分の中で消費できずに、ストレスとして溜まってくるのではないだろうか?
だから、あいりは、
「疾患のある者同士が一緒にいるというのは、難しいことなのだろうか?」
と思うようになっていた。
お互いに、相手への悪影響となり、
「性格を打ち消し合っていうような気がする」
という、泥沼に入り込んでいるように思えるのだった。
今のあいりにとって、一番求めたいのは、
「とにかく、一緒にいてくれる人」
というものであった。
それは、お互いにマイナスの影響を与える人であってもかまわない。そう感じてしまうだけ、不安であり、人に委ねてしまう気持ちになるのではないだろうか?
だが、あいりが鬱状態になった時のことを、中途半端な疾患のある彼に分かるわけもなく、相変わらず、自分のことしか考えていない彼にとって、
「あいりは、自分を補助してくれる相手」
ということでしかなかったのだ。
「同じように疾患を持っている人だから、少々のわがままは聞いてくれる」
という甘い考えを持っているようで、自分よりも、さらにきつい障害を持っている人がいるということすら気づいていないということなのであろう。
だから、あいりが最悪の精神状態の時、彼が、いつもの、
「甘え」
で近寄ってくると、あいりの方は、必死に避けようとする。
そのうちに、相手の顔が化け物に見えてくるという環境で、
「私にとって、やっぱり、彼は、毒でしかないんだ」
としか思えなくなった。
さすがのあいりも、別れを告げることになった。
相手は、
「どうしてなんだい?」
と言って、永遠に理解できないであろう理由を考えるが、当然、分かるはずがない。
そのうちに、気持ちが不安だけに包まれて、被害妄想の気がでてくるのだった。
被害妄想は、
「信じている相手に裏切られた」
という気持ちになるらしい。
あいりは、
「裏切るも何も、信じられていたという意識すらない。慕われているとは思っていたが、それは、孤独と不安を和らげるためだという、自分勝手な考えからだったのだ」
それを考えると、
「二人の間には、外国語くらいの言葉の壁のような結界を感じる」
と思えた。
外国語を、辞書も何もなく、もちろん、知識もないのに、理解しようというようなものである。
つまりは、手掛かりなどというものはどこにない状態で、二人の間にあるのは、まるで、
「ベルリンの壁」
を彷彿させる、
「大きな結界だ」
と言えるのではないだろうか?
結界というものが、どういうものなのかということを考えると、その結界を作っているのは、あいりではなく、彼の方ではないだろうか?
ということは、あいりには、その結界に対しての対応ができるわけではなく、結局は、
「自分が、彼なら大丈夫だと思ってしまったことが、そもそもの間違いだった」
と言えるだろう。
だが、あいりにとって、
「今一番誰かにいてほしい相手」
という人を探しているのに、その人が、結界を持っているということであれば、そもそも、無理難題だったといってもいいだろう。
どちらかというと、自分が相手にとっての、
「今一番誰かにそばにいてほしい」
と思うことで、求められた人物になってしまったのだ。
他の人になられてしまっては、どうすることもできない。
「そばにいてほしいはずの相手が誰なのか?」
最初にそれを考えなければいけなかったのに、考えたことは、
「誰かにそばにいてほしい」
ということを、闇雲に考えることだった。
結局、目標を見失ってしまい、結果、目的が果たせないということになってしまったのだろう。
結婚
三津木は、
「人生で、この人ほど愛する人は、もう現れないだろう」
という思いを抱きながら、無理を押し通して、結果別れることになったのだが、一年間というショックを経て、
「私は、どうすればいいのか?」
と思い、飲み屋で知り合った、男性と、一緒に飲むようになり、行きつけのスナックまでできたのだった。
その友達も、ちょうど失恋していて、お互いに一人でやけ酒状態だったのだが、一緒に飲んでみると、結構気が合う仲間になっていた。
その友達は、高卒で田舎から出てきていて、親戚が社長をしている会社で仕事をしていた。
その子は、高校までは田舎に住んでいたので、高校時代には、真面目で、
「優等生タイプ」
だったという。
しかし、都会でおじさんが社長をしているところに就職し、おじさんが、いわゆる、
「大人の遊び」
を教えてくれたのだった。
「大人の遊び」
というのは、高校時代から憧れていたもので、高校時代までは、童貞だったのだが、社会人になったことで、社長が、
「祝いだ」
ということで、いろいろな、
「大人の遊び」
を教えてくれたのだった。
それも、
「童貞喪失」
という遊びで、
「普通なら、ボーナスでも出ないと、そう簡単に行けるものではない」
というところだったのだ。
今でこそ、
「大衆店」
「格安店」
などというものもあるが、当時は、
「サービスも一流」
と言われる店ばかりで、遊びというよりも、神聖なものというイメージが強かったのではないだろうか。
相手の女の子も、いわゆる、
「童貞キラー」
と呼ばれるような女の子で、社長も分かっているようで、
「彼女に相手をしてもらえ」
ということで、ほとんど、
「問答無用」
だったという。
おかげで、彼は、彼女のおかげで晴れて、童貞を卒業できて、こういうお店を今まで、
「いかがわしい」
と思っていたが、実際はそうではなく、
「聖母マリアのような女性がいる、神聖なお店」
と感じるようになった。
「いかがわしい」
というイメージは、その店にいる女性が皆、
「借金のかたで、身を売るしかなくなった女の子たち」