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遅れてきたオンナ

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 それでも、どこに応募しても、合否の判定だけで、作品に対しての評価をしてくれるところはないが、この出版社だけは、
「批評をしてくれる」
 というわけだ。
 その批評にしても、
「いいことだけではなく悪いことも書いてある。しかも、最初に悪いことを書いて、ちょっと気分を害しておいて、そこから、褒めちぎるのだから、なかなか巧者だと言ってもいいだろう」
 それを考えると、
「胡散臭いとは思ってるが、せっかく批評してくれるのであれば、利用しない手はない」
 と思うようになった。
 そのおかげで、騙されることもなく、悩んだり苦しむこともなかった。
 だから、さくらにとって、その出版社は、
「どうでもいいところ」
 であり、
「どうせなら、騙されたふりをして、こっちが利用してやろう」
 と思っていただけに、相手の理不尽な言い分にも、
「そら来た」
 と思うのだった。
 おかげで、
「こんなのが大人になれば、蔓延っていて、大の大人が、こんな子供だましの手口にやすやすと引っかかるんだ」
 と考えるようになったのだ。
 まるで詐欺手口のような出版社も、すぐに潰れていった。
「2年前は、出版数日本一を誇ったのに」
 という自費出版会社が、2年もしないうちに、破綻し、多額の借金と、多数の裁判沙汰となっている事案を片付けなければいけなくなっていた。
 それでも、民事再生を適用すると、
「債権者にとって、不利になる」
 ということが横行するので、問題は、そう簡単に収まることはなく、大きな社会問題を巻き起こすことになるのだった。
 その社会問題が解決すると、
「小説家になりたい」
 という人は、ネットの方に走っていった。
 もちろん、書籍化をしたいと思っている人は、去っていたであろうし、
「こんなひどい目に遭うのであれば、もう何もしない」
 と思っている人も、これを教訓にして、
「危うきに近寄らず」
 と考えることであろう。
 それを思うと、
「今の時代のネットというのが、どういうものなのか?」
 と思えてならなかった。
 一時期、
「ケイタイ小説」
 というのが流行った。
「ネット用語なる言葉を使ったの話のような、話ではないような作品」
 で、
「これの何がいいのだろうか?」
 と思った人も多いことだろう。
「直木賞」
 のような著名な文学賞にまで関わってくるようになるのだから、
「世も末だ」
 と思っている人も少なくないかも知れない。
 そんな中で、
 「ケイタイ小説」
 とは違うのだが、
「ライトノベル」
 という作品が生まれてきた。

                 五分前のオンナ

 以前、
「ノベライズ」
 と呼ばれたものがあったが、それは、平成初期くらいに流行ったものとして、
「トレンディドラマ」
 というものがあった。
 それらの多くは、
「原作があって、それを脚本家が、ドラマとして書き上げるという形ではなく、
「オリジナルの脚本を、放送局のディレクターが、有名脚本家に依頼する」
 という形が主流だった。
 それらの脚本から、作家が、今度は小説として再稿するという形で、
「従来の形」
 とは違った形での、小説が生まれ、書籍化されて、本屋に並ぶということが流行った時期があった。
 その、
「出版される小説」
 を、
「ノベライズ」
 というのであった。
 時代は進んで、今は少し傾向が違う。
 ほとんど、ドラマには原作が存在し、その原作というのは、
「マンガ」
 というパターンが多い。
 もちろん、小説もあるが、新作ドラマが公開される時期、十数本のドラマが製作されるが、小説のドラマ化など、ほとんどないし、オリジナルも、あまり見られない。
 ほとんどが、
「マンガ」
 というものの、
「実写垢」
 というものである。
 昔もマンガの、
「実写化」
 というものがあったが、それは、ロボットものであったり、ヒーローものというものが多かった。要するに、子供向けである。
 そもそも、その頃、マンガというと、
「子供が見るもの」
 というのが当たり前だったので、それも当然と言えば当然のことであろう。
 それを考えると、昔と今とでは、同じ、
「実写化」
 と言っても、まったく違う形のものだ。
 と言えるだろう。
 今のマンガのドラマ化というと、
「青春、恋愛もの」
 に少しSFなどの着色があったりするのが、定番だと言ってもいいだろう。
 そんなマンガが、映画化されることもあり、昔とは、様相を呈してきた。
 そこで産まれてきたのが、
「ライトノベル」
 なる形態である。
 これは、ジャンルというよりも、
「ジャンルを超越した形」
 のものだといってもいいだろう。
 要するに、
「まずは、小説があって、そこから、マンガが生まれる。そして、それを原作として、ドラマになる」
 という、
「ノベライズ」
 というものと少し形は違うが、似たようなものだと言ってもいいかも知れない。
 最近は、ゲームからでも、アニメができたり、マンガになったりする。
 つまりは、小説、マンガ、アニメ、ゲーム、ドラマと、前は一線を画していたものが、一緒の形態になって、そこからでも、進出できるという感覚である。
 その中でも、
「まず小説があって、そこから、ゲームやマンガになりそうなものを探してくる」
 という形であったが、
「ライトノベル」
 というのは、最初から、
「マンガやアニメにするために書かれた」
 いわゆる、原作であったり、原案というものである。
 昔もマンガにも分かれているものがあったではないか、
「作画と、原作」
 という形で、連名で発刊されるマンガもあったはずだ。
 そういう意味で、原案を小説として作家が作りあげ、それをマンガ家がマンガにし、そしてゲーム制作者がゲームにしていく。それが、ドラマ化やアニメになるのだから、考えてみれば、すべての原点となるものが、この、
「ライトノベルだ」
 と言っても過言ではないだろう。
 そういう意味で、ライトノベルという形態は、今でも結構発売されている。
 ある意味、今の時代の小説と言ってもいいだろう。
 だから、ネット小説家の中には、
「ラノベのプロとして、作家デビューしたい:」
 と思っている人も多いだろう。
 しかし、昭和のことのような作品ばかりを見てきた人間には、とても、
「ラノベ」
 という世界は分からない。
 今までであれば、聴いたことはあるがあまりなじみのない、
「ファンタジー小説のようなもの」
 がそうであろう。
「ファンタジー小説」
 というものには、
「異世界」
「異次元」
「異時代」
 というような、
「異」
 というものがついているものが多い。
 世界が違うのと時代が違うのは、ある意味似たところがあるといってもいいだろうが、時代が違うものは、まったく違った展開を要するのであり、この中では、一番、ノンフィクション足り得るとすれば、
「異時代」
 となるだろう。
 ただ、異時代というのは、あくまでも、時代考証を考慮しなければいけないというもので、歴史小説のように難しかったりする。
 ちなみに。
「時代小説」
 と
「歴史小説」
作品名:遅れてきたオンナ 作家名:森本晃次