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遅れてきたオンナ

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 ということになるのである。
 そのことを、老人たちは誰も分からないが、他の患者は分かって入りので、違和感に包まれた不穏な空間に、老人たちだけ、別の世界を形成しているといっても過言ではないだろう。
 そんなことを考えていると、
「このような老人たちこそ、必要悪の逆ではないか?」
 と思うのだ。
 要するに、
「悪ではないが、必要のないもの」
 というそんな存在もあるのだ。
 警察は、確かにその存在がなければ、世の中が無法地帯となってしまうだろうから、必要であるということに変わりはないが、
「では、正義なのか?」
 ということになれば、
「正義どころか、悪である」
 と言ってもいい。
 本当に必要な時、事件であれば、
「なくてはならない存在であるが、
 事件でなければ、動こうとしないのだから、最初から、国民に、
「警察は、何もなければ動きません」
 と言っておけば、人情としては、まだ許せるところもあるが、必死の思いで行方不明者を探そうとしていて、
「警察に相談したから、安心だ」
 と思っている人から見て、もしその人が自殺、他殺関係なく、死体で発見されたとすれば、
「警察に捜索願いを出しているのに」
 ということで、警察への恨みもひとしおだろう。
 しかし、それはあくまでも、警察というものの考え方であり、まさか、国民を無視して自分たちだけで、いかにも、
「やった感」
 を出すというだけのことであれば、誰が警察など信用しようというものか。
「それが警察であり、民主国家というものだ」
 と言えるのではないだろうか?
 そもそも、民主主義というものは、基本が、
「多数決ということから考えても、実に穴ぼこの多い組織だ」
 と言えるだろう。
 多数決というのは、本当に、国民にとっていいことなのかどうなのか。難しいところである。
 明らかに、少数派というのは、
「無視される」
 ということであり、どんなに少数派が正しいということであったとしても、決まってしまうと、その通りに動かなければいけないのも、民主国家なのだ。
 そんな不安定な国の警察という組織、こちらも、さらに不安定なので、
「民主警察」
 などという言葉が、本当にいいことなのかということは分かるはずもないということであろう。
 そんな社会において、
「一体どれだけたくさんの必要悪があるというのだろうか?」
 と考えると、少し怖くなってくる。
「悪」
 と呼ばれるもの、そのほとんどが、
「必要悪なのだ」
 ということになれば、民主国家というものが、どれほどひどい体制なのかということになるのだろう。
 民主国家の弱点というのは、前述の、
「多数決によることで、少数派は、切り捨てられる」
 ということである。
 そして、もう一つは、経済などにおいては、基本的に、
「自由主義」
 ということなので、
「貧富の差が激しくなる」
 ということである。
 さらに、民主主義というのは、自由主義という隠れ蓑に乗って、
「賄賂などが、蔓延る世界になる」
 ということも言えるだろう。
 自由競争として、
「独占禁止法」
 であったり、わいろなどに対しては、
「政治資金規正法であったり、刑法などの、収賄罪などというもの」
 が問題になったりする。
 要するに、法律としては出来上がっているわけだ。
 しかし、それでも、法律違反ということが蔓延っている。
 特に、政治家などに、そういうことが多かったりする。
 政府の要人が、企業からの賄賂によって、口利きをしたり、便宜を図ったりということは今に始まったことではない。
 そういえば、この間、暗殺されたソーリも、いくつも疑惑があったではないか。
 しかも、
「それらの問題を、私が解決する」
 と宣言して、次期総裁、つまり、今のソーリになった男も、結局、その
「元ソーリの犬」
 に成り下がり、
「悪事を暴く」
 どころか、自分のソーリとしての力を使って、さらにもみ消そうとしているのだから、これこそ、
「国民を裏切った」
 ということで、とんでもないことであった。
 そういう意味では、
「すべての人」
 とは言わないが、ほとんどの政治家というのは、
「必要悪」
 ではないだろうか。
 最近では、霊感商法で、あこぎなことをしていた、
「悪徳宗教団体」
 から金を貰っていた人がほとんどだったという体たらくである。
 社会問題になっている連中から、選挙に勝ちたいという理由で、政治家が金を貰っていたというのは、それこそ、
「確信犯」
 であり、やはり、
「必要悪」
 ということになるのではないだろうか?
 それを考えると、
「政治家というような、国民から選ばれた連中があこぎなことをしているのだから、元々、そいつらを選んだのは、国民だ」
 ということで、そうなれば、
「多数決で決める」
 という民主主義の基本自体が悪いということになる、
 そう思えば、民主主義の基本である、
「多数決」
 あるいは、
「自由競争」
 というものこそが、必要悪なのではないかと言えるのではないだろうか?
 いや、必要悪というよりも、
「本当の悪」
 だと言っても過言ではないだろう。
 そんな世の中において、
「五分後のオンナ」にとって、「五分前のオンナ」というのは、どういう存在なのだろうか?
 もちろん、
「逆もしかり」
 であり、リアルな意味での、
「必要悪だ」
 と思っているかも知れない。
 きっと、お互いに、会うことができない存在であるため、それぞれに、気に病んでいるところがあるかも知れない。
「私の知らないところで、自分のイメージを崩しているのではないか?」
 ということである。
 しかし、逆に相手のことをまったく分からない存在だということが分かっているので、今度は、
「相手に対して、慎重に見てしまう」
 ということかも知れない。
「自分でありながら自分ではない」
「似て非なる者」
 という存在は、これほど恐ろしく感じるものではないだろう。
 それを思うと、
「ひょっとすると、これこそが必要悪なのではないか?」
 と感じるのだった。
 自分が、相手を怖がっている。
 しかも、自分でありながら、得体の知れないものである。だから、
「彼女の身に何かあれば、私に影響しないだろうか?」
 ということを考えてしまうかも知れない。
 実際にドッペルゲンガーというものは、
「見たら、近い将来に死ぬ」
 というではないか。
 それを思うと、ドッペルゲンガーのような、しかも、人の証言で、明らかにいるということが分かっている、
「もう一人の自分」
 である。
 その存在は、自分にとっての必要不可欠な人間だとすれば、少なくとも、
「必要悪の中の必要」
 という部分になるのではないか?
 ただ、自分にとって、今のところ、
「悪」
 という存在でしかない。
 五分を隔てたオンナは、そういう意味でも、
「必要悪」
 ということに
「一番近い」
 といってもいいのではないだろうか?
 そう思っていると、
「ひょっとすると、男の方も、何か、私たち二人のことを、同じように、必要悪だと思っているのかも知れない」
 と感じる。
作品名:遅れてきたオンナ 作家名:森本晃次