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中二病の犯罪

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 というような目で見ているようで、それをなぜなのかと考えるようになった。
 その時に思ったのが、
「自分の性格が、女性らしいところがある」
 と感じたことだった。
 というのも、最初からそのことに気づいたわけではなく、嫌らしいものの象徴として見ている男子連中を、最初は、
「汚いもの」
 と毛嫌いしていたが、その男子連中の考えている先にあるものが、
「女性へのあこがれではないか?
 と思うようになり、
「思春期の男子が女性に対して、自分たちとは違う神聖な存在」
 という意識でいることの表れが、
「いやらしいものを見る」
 という感覚だったのだろう。
 そんな風にはどうしても感じることができない隆は、
「俺は、本当に思春期を迎えたのだろうか?」
 と感じるようになっていた。
 思春期というのは、隆もそれなりに、知識としては持っていたが、女性に対しての見方一つととっても、どうも、自分が想像していたこととは、かけ離れたところがあるようで、それが何なのか、よくわからないでいた。
 それを考えている時、温泉宿で知り合った、あの時の兄妹のことを思い出すと、妹が、兄を慕っていたのを見て、心の中で、
「羨ましい」
 と感じていた。
 最初は、慕われる兄を羨ましがっているのかと思ったが、どうもそうではない。もしそうだったとするならば、自分の立場を、この自分に奪われた兄の立場を、分かるだろうからである。
 しかし、なぜか、分かるのは、
「とにかく、誰かを慕っていないと気が済まない」
 というような、妹の気持ちだったのだ。
 つまり、
「俺が意識していた目というのは、妹のあの目だったんだ」
 と思うと、
「そのことを確かめたい」
 と感じるようになった。
 それが、
「今回書こうと思った小説の主人公を、妹にして、女性の視点で書くことで、自分がいかに女性的な目で見ているのかということを、証明したい」
 という気持ちが強かったということになるのだろう。
 そう思うと、隆は、
「自分の書く小説が、自然と書けるものなのだろう」
 と考えていたが、
「文章を書くということはそんなに簡単なことではない」
 ということを思い知らされたような気がしてきた。
「それほど、文章を書くというのは、難しいことでもない」
 ということでもあった。
 考え方はいろいろだが、視点を変えることで、簡単でも難しくもある。小説の場合には、それが顕著に出るような気がするのだ。
 すべての面を自分一人の視点から書くのと、場面によって、視点を変えるという二つの方法がある。
 確かに、
「一つの視点で全体を書く方が、スマートであるし、分かりやすくもある」
 と言えるだろう。
 しかし、
「場合によって変えることで、バリエーションを生かした書き方もできるし、書いていて、ワイドな見え方が見えたり、客観的に見えてくる」
 ということもあるだろう。
 まだ、
「視点を変える」
 ということができるほど、上達しているとは思えない隆は、
「それならば」
 と、普段の自分からの視点とは、少し違ったところから見ようと思って、妹の視線に合わせたつもりだった。
 しかし、実際にやってみると、思ったよりもしっくりくる。
「俺って、ひょっとすると、天才なのでは?」
 などと、自惚れたほどで、さすがに天才というのは大げさだったが、少なくとも、小説を書いていくうえで、書き続けることを許されたような気がしたのは、実に嬉しいことだった。
 それを思うと、小説における主人公を、敢えて妹にして、妹視線で、女の子の視点を見ると、何とも、
「こんなもの、見たくはなかった」
 というような、ドロドロした世界が想像できたのだ。
 その時は分からなかったが、後になって人から聞くと、
「女同士の世界ほど、ドロドロした陰湿なものはない」
 という話を聴いたりした。
 大学生になって付き合った女の子の一人に、女子高出身の子がいて、そんなことを言っていたものだ。
「共学や、男子校の男子には想像を絶するものなのかも知れないわね」
 と言っていたものだった。
 中学時代に書いた、妹を中心に見た小説で、妹の目から見た女子の間というものを描いた時、
「大げさすぎやしないか」
 と感じながら描いた小説を見せてみると、
「うんうん、まさにこんな感じかしらね。でも、よく書けているわ。まるで見てきたかのように思えるわ」
 というほどであったが、実際に見てきたわけでもないのに、確かに後から見ると、違和感がないように描けている。
 それを思えば、またしても、
「自分は、小説を書くことに特化したタイプなのかも知れない」
 と感じたほどだった。
 最初に書いた小説は、本当に小学生の時の旅行の話を書いただけだった。
 フィクションではあるが、ほとんど、ノンフィクションといってもいい。それだけ、描く範囲は狭く、内容は、陳腐なものだったと思っている。
 しかし、それでも、小説を書いていると、情景がどんどんと浮かんでくる。一つ思ったのは、
「よく、こんな狭い描写に満足できるものだ」
 ということであった。
 自分が、
「中二病的な発想」
 を持っているということを分かっていたので、もっと背伸びしたものが描けるのではないかと思っていたはずだった。
 ただ一つ気になっていたのは、まわりの小説を書いている連中、中学生だけでなく、高校生、大学生と、若い人のほとんどが、ファンタジー関係の小説を書いているではないか?
 特に、
「転生モノ」
 というと、実にほとんどの人が手を出しているものであり、
「小説を書くというとファンタジーや転生モノだ」
 と言われることに、違和感を感じていたのだった。
「俺は、そんな、ミーハーではない」
 と思いたかった。
 だからといって、他の小説を書けるほどの知識があるわけではない。特にこの間まで引きこもっている間に、やっていたことというとゲームではないか。きっと、今小説を書いている人のほとんどが、ゲームやアニメから入り、いわゆる、
「ライトノベル」
 と呼ばれるものを読んだり、アニメやゲームからさかのぼる形で、触れてくることで、自然と、ファンタジーは転生モノに入り込んでいったのであろう。
 隆も、自分の中の自制がなければ、きっと同じ道を歩んでいたことであろう。
 そんな風に考えていくと、
「俺は、きっと人と同じでは嫌だという性格なのに違いない」
 と感じるようになっていた。
 なるほど、確かに人と同じでは嫌だというところは、結構あったと思っている。その性格が一番顕著だったのは、大人になって忘れてしまうことになる、
「小学生低学年の頃の考え方」
 であった。
 大人になって忘れてしまったのも無理もない。
 というのも、大人になるにつれて、子供の頃に否定したかった自分の性格の嫌なところを認めたくなかったからで、しかし、そんな中で、実は、その性格が自分の本当の性格だったというのは、皮肉なことだったに違いない。
 小学生の頃は、どうしても、好きになれなかった性格だったが、高校生の頃になると、むしろ、
「嫌ではない」
 と思うようになり、そのせいで、次第に、小学生低学年の頃の性格が、次第に薄れていったのだ。
 これは、
作品名:中二病の犯罪 作家名:森本晃次