小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

中二病の犯罪

INDEX|11ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

「相手にいくら騙されたとしても、時間が経てば、また同じようなシチュエーションになったとしても、同じことを繰り返すに違いない」
 と思うのだった。
 そんな作風を書いていると、最近読んだ本の中で、似たようなシチュエーションの本があることに気が付いた。その人は小説ではなく、マンガを描く人だったのだが、セリフ回しなどが、自分と酷似していたのだった。
 まだ無名の作家で、そのうちに売れそうに思ったのは、自分と同じ発想を抱いて、似たような作品を書いているのだが、当たり前のことだが、
「自分よりも、すごいと思う作品を書いている」
 ということだった。
 話の内容は自分が考えていたよりも、深い内容で、時間の範囲が広いのだ。
 やはり、素人だと、どうしても、短い時間の範囲の中で、何とか纏めようとするが、さすがプロともなると、その範囲は、どんどん広がっていく。
 それだけ、
「発想の広さが、素人とは違うんだ」
 と思わせた。
 その人も、男性作家なのに、女性の気持ちをしっかりとらえていて、同じように女性目線から書こうとしている隆の心を捉えて離さない。
 実際にファンは固定ファンだけにとどまらず、どんどん増えていく。一気に人気漫画家になってきたのを見て、隆は思わず、
「この作家は、売れると前から思っていたんだよな」
 と、ばかりにまわりに吹聴していた。
 自分も小説を書くことから、そのマンガ家が売れるのは、別にかまわなかった。
 自分と似たような話を書いている人を褒めることで、あたかも、
「自分の作品もすごいんだぞ」
 ということを言いたかったのだろうが、それだけではない。
 小説とマンガというものを、自分の中での優劣で考えると、
「小説の方が圧倒的に、勝っている」
 と思っていた。
 マンガと小説では、そもそも、土俵が違うということは分っていたはずなのに、それなのに比較してしまうのは、
「マンガには絶対に負けない」
 という自負があるからだろう。
「こっちは、小説を書いているのだから、相手がいくらプロだとは言っても、しょせんはマンガなんだ」
 と思っているからこそ、平気でマンガが売れたことを、あたかも最初から分かり切っていたかのように言えるかということである。
 この決定的な結界があるからこそ、隆は、
「自分のこの行動が正当化される」
 と思うのだった。
 この結界がどのようなものなのか、よくわからないが、
「この人売れると思っていた」
 ということを自慢げに話すのは、あたかも、
「中二病の兆し」
 ということであり、そのことも分かっていた。
 いくら、結界があるとはいえ、分かっていて、今までは感じたこともないような思いを抱くということは、それだけ、
「このマンガを褒めることで、自分の小説を正当化したい」
 という思いであり、心のどこかで、正当化しないといけないことなのだということを考えている証拠なのだろう。
 このことは、大学に入った時に思い出したことだった。
 というのは、大学に入った時にも、同じように、誰かのマンガを褒めたたえ、その作家が売れたことを自慢したことがあった。
 その時はさすがにまわりも、白けた目をしていた。同じようなことであっても、中学時代なら通じることでも、大学生では通用しない。
 それを思い出すと、
「中学2年生の頃がいかに幼く、当時であれば、思春期ということで許されることも、大人になれば、中二病と言われ、疎まれることになる」
 ということになるのだろう。
 ただ、一つ言えることとして、
「同じことをいずれ繰り返すかも知れないと感じていても、きっと同じことを繰り返すに違いない」
 と思ったとしても、後悔は絶対にしないという気持ちが自分の中で溢れているということである。
 人間の中には、普通であれば、
「同じ過ちは繰り返さない」
 という思いが強いものである。
 特に、そのことで大切なものを失ったり、自分の間違いに気づいたりすれば、余計に、同じ過ちが繰り返さないようにしようと感じるに違いない。
 しかし、これが、
「恋」
 というものであれば、同じことを繰り返すものだ。
 しかし、それが分かるのは、必ず、2回目以降である。
 ということは、
「一度誰かを好きになり、その人のために一生懸命に尽くしたとしよう。自分の中でも、その人に尽くすことは、間違っていることではないと気づくに違いない。しかし、それでも、うまくいかない時はうまくいかないもので、特に相手から、こっちの気持ちを裏切るような行為。例えば、好きになった相手が、他の人を好きになってしまったことで、自分が捨てられた」
 などということになれば、少しは事情を知っている人であれば、同情もしてくれるであろうし、
「相手が悪かったと思って諦めるしかない」
 ということになるだろう。
 しかし、諦めなければいけない方からすれば、これほど理不尽なことはない。
 それでも、二人のことを、それほど知らない人から見れば、どうでもいいことであり、下手をすれば、
「裏切られたといっているけど、自分も何か悪いことをしたんじゃないか?」
 という、いわゆる
「喧嘩両成敗」
 的な発想をされてしまうと、実にやりきれなくなる。
 それでも、たいていの場合は、
「時間が解決してくれる」
 というもので、
「あんな男を好きになった私が悪かったんだわ」
 ということで、割り切ることができるようになるだろう。
 そして、こう誓うことになるだろう。
「もう、二度と、あんな男に騙されたりはしない」
 とである。
 何と言っても、一度後悔をすることになれば、身に染みて分かっているので、もう、二度と同じ過ちを犯すはずはないだろう。
 しかし、それまでには、かなりの時間を要するのが当たり前である。
 まずは、誰かを好きになり、告白があって、付き合い始める。少なくとも、どちらかが相手を尽くし、尽くしまくるわけで、相手が他の人を好きになる理由の一つとして、あくまでも贔屓目に見て。いや、
「百歩譲って」
 というべきであろうが、
「そんな相手の尽力が、却って重たくのしかかってくることもあるだろう」
 つまり、そこまで行くには、半年、一年と掛かるはずである。
 そうなると、相手もその辛さを感じると、自然と別れに繋がってくる。
 しかし、普通は、非道な人間でもなければ、いきなり別れを告げるなどということはできないだろう。しかも、好きになった人が、自分に靡いてくれるという保証が少なからずでもないと、自分を好きでいてくれる女性を、
「裏切る」
 ということになるのだから、当然、簡単に別れることはできないだろうし、自分だけが、損をするというように感じることもあるだろうから、別れるまでには、かなりの時間を要することだろう。
 そうなると、別れ方のかなり拗れることになる。別れを言い出された方も、
「はい、そうですか」
 というわけにはいかない。
 何とか撚りを戻そうとするだろう。
 だが、それでもどうしようもないので別れるわけで、しかし、実際に別れるまでにも、かなりの時間が掛かる。
作品名:中二病の犯罪 作家名:森本晃次